長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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安曇野市  塔原城②

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塔原城関連遺跡の配置

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塔原城遺構配置図  (現地調査と信濃の山城と館を参考に作成)

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大手虎口を見る。

大手道を5分ほど登ると尾根の弛みに着く手前に虎口が設けられた堀切が現れる。

堀切は城内に入る関門となるもので、土橋を残して両側を掘り切っている。


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大手虎口を守る堀切を見る。

塔原城から逃亡した塔原氏は、後に武田氏に降っているが逃亡時に武田氏によって塔原城は破却されている。

その後、塔原氏は武田氏に降ることは許されたが城将として復帰することが出来ず、武田氏によって据えられた海野三河守幸貞

(甲陽軍艦には、『とうの原廿騎土屋右衛門尉相備、是れは本名海野也』ともある)

が城将となり仁科系塔原氏は副将の座に降格させられている。


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大手虎口を入ると二本の尾根に挟まれた広大な平場に出る

写真左側の尾根が大手道となっていて、右の尾根には平場を見下ろすように郭が築かれ大手を警戒している。


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大手を入ってすぐにある広大な平場(写真奥には大浦沢を挟んで旗塚がある)

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大手を警戒する為に築かれた郭、眼下には大手虎口と平場が見下ろせる

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また、大手を警戒すると共に大浦沢側にも削平した平場を作り、大浦沢を通って直接城の中心部に近づこうとする敵にも目を配っている。

永禄10年(1567)、武田信玄は嫡男義信を自害させると家臣団の動揺を静めるため、生島足島神社(上田市)で信玄に対して

二心無き事を誓う起請文を提出させているが、この中に塔原氏の名が見える。

『 海野三河守幸貞 ・ 塔原藤左衛門宗幸 』

またその他に、勝頼代分限帳には、塔原藤左衛門宗栄廿騎  塔原織部幸知(会田氏家臣)がある。

天正9年(1581)伊勢神宮の御師宇治家の『御祓くばり日記』にも塔原氏は見える。

『海野三河殿・・・・のし五十本 上ノ茶十袋       同名たうの原殿・・・・・のし五十本 ちや五つ』

と見え三河守との土産の量の差によってからも三河守が周囲からも上位として扱われていたことが分かる。


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大手側尾根を遮断する長大な横堀を見る。

更に大手の尾根を登ると尾根を遮断するように細長い平場が現れる。

この平場は大浦沢側へ尾根を細長く続いており、現状では間伐の作業用に使われているようで道の様に見える。

ただこの平場を大浦沢側の末端まで追ってみると、大浦沢へ落ちる末端は堀状になっておりこれがかつては横堀であったことが

分かるのである


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大浦沢へ落ちる横堀の末端部を見る

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段郭を見る。

横堀をすぎると大手道脇には小規模な平場が多数、見られるようになってくるので本格的に城内になってきた事が感じられる。


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大手道から城の中心部を見上げる。

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大手道の尾根からは会田街道と会田川を挟んだ対岸には会田氏の城砦が見られる。

(対岸には会田氏の家臣堀平氏が守った佐々野城や越氏が守った中沢の古屋敷がある。)


長くなってしまったので本日もここまで~次回は塔原城の中心部を紹介していきたいと思います。

お付き合いくださいませ。
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  1. 2016/04/19(火) 19:01:27|
  2. 安曇野市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

こんばんは、ご無沙汰してます。

昨年の郷土博物館の講演で、遠藤公洋氏が
「天正期に上杉風の改修が加えられたのではないか」
と述べていたのは、おそらくこの部分だと思います。
また、鉄砲戦を想定しての低い土塁が見られる、とのことでしたが、どのへんなのでしょうか。

塔原氏が、仇敵仁科一族というだけでなく、上杉勢の最先端部ということであれば、小笠原貞慶に激しく敵視されたのも、なるほど、と思えます。

このあたりも、松枯れの伐採が目立つようですが、押野城のようなことになってほしくないものです。
塔原城、たいへん美しく、興味深いお城です。

  1. 2016/04/23(土) 22:25:22 |
  2. URL |
  3. かから #0x7wt1P.
  4. [ 編集 ]

Re: かから様へ

こんばんはこちらこそご無沙汰しております。
天正期の上杉氏による改修とは、小笠原貞慶が府中を回復する以前の
小笠原洞雪斎が上杉氏の支援を受けて府中に入城した時のことだと思いますが、
追い出した木曽氏に備えて塩尻方面の城を改修するのは理解できますが、
統治していた府中から見ると上杉領側となる塔原城を数ヶ月しか統治できなかった
洞雪斎が改修まで手が出せたのかは少し疑問ではありますね。。。。
低い土塁というのはたぶんですが。。。。よく上杉方の城にある北信濃での鉄砲陣地といわれるもので
大手堀切と斜面途中の横堀・段郭あたりが鉄砲陣地といわれるものに似ていますね。
細い帯郭に土塁を付随させるものをそう想定しているようです。
上杉氏に手を貸しその後、貞慶に降った仁科氏は貞慶による復讐が怖かったんでしょうね。。。。復讐の鬼ですから。
塔原氏の間伐は遺構の無い斜面は作業道などを開け間伐していますが、城内は手作業でやっていただいているよう
ですので作業をやられている方には感謝です。
このままいい状態で後世まで残してほしいものですね。
  1. 2016/04/25(月) 23:13:11 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
  1. 2017/01/01(日) 05:14:43 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

Re: あけましておめでとうございます

五遁様丁寧なごあいさつありがとうございます。
埼玉に帰省しており遅くなってしまい申し訳ありません。
改めてあけましておめでとうございます。
この間ご一緒した時間はとても楽しかったです。
また暖かくなりましたらご一緒させてください。
よろしくお願いします。
  1. 2017/01/04(水) 17:11:25 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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