長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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下諏訪町  高木城

4回目にしてやっときれいな写真がとれたぞ~。。。。

所在地・・・・下諏訪町高木石投場                    訪城時間・・・・10分

危険度・・・★☆☆☆☆                          訪城目印・・・・27番鉄塔巡視路入り口

訪城日・・・・2012年10月14日・2013年2月9日・3月25日



           ~ 高木城の歴史 ~

 『長野県町村誌』の「高木城墟」によると、

「村の東の方、十五町程の小高き山にあり。土人高木の城と言伝う。因に云、天文年間(1532~54)武田信玄、

諏訪処有の頃、応援の為め、砦を所々に築きし墟なりと云、然れども某氏之に居る等の年歴不詳。」とある。

また、『諏訪史蹟要項二 上諏訪編』の「高木城」では、

「築城年代は詳かでない。高木刑部左衛門尉、高木喜兵衛がこれに居たたと云う。諏訪神社下社の神役人中には

此等の人名が見える。高木氏も金刺氏の支流だと云ひ伝えられる。」

武田氏による諏訪侵攻時に高木氏は、武田氏に降ったようで武田氏配下が提出した永禄10年生島足島神社起請文

の中に見える「諏訪五十騎衆」に高木氏の名が見える。「高木正兵衛・高木清七郎」

ただ、『下諏訪の史話』に、『高木城と大和城は、大和氏の一族が居た。』という記載があるようであり、

金刺氏から分かれた大和氏、さらに大和氏から高木氏が出たという考えもあるかもしれないが不明。

その後の高木氏は不明である。



               ~ 高木城の現状 ~

takagisior91.jpg

この高木城の図面に沿って紹介していきます。

~ 登り口 ~

takagisiro71.jpg

高木地区の最上段まで行き、しだれ桜(何かに指定されている)のある道路の行き止まりにこの鉄塔NO.27の

巡視路への入り口を登っていく。


takagisiro71 (6)

尾根上近くになるとこの鉄塔が現れ、さらに上の鉄塔まで道が伸びている。

この次の鉄塔が城跡で、本郭に鉄塔が建っている。(一本道なので迷う心配はない)


takagi.jpg

尾根上に着けば奥に、高木城本郭切岸が見えている。

~ 堀① ~

takagisiro758 (2)

尾根と城内の間にあるべき堀切が見られず、切岸だけで守っているように見える。

この低い部分にわずかな段差が見られるが、現状ではここに堀切があったのか判断が出来ない。


takagisiro758.jpg

ただ、諏訪湖側には、竪掘が落とされていて、通常では堀切から竪掘が落とされているのが普通であるはずで。。

反対側の斜面は自然の沢。。。。ん~。。。。判断に苦しむ遺構である。


~ 郭①(本郭) ~

takagisiro01 (3)

通称、西城山の山頂に構築されている本郭は、27×19mで削平が丁寧にされている。

郭の北側隅部には、写真のように鉄塔が建てられており郭の一部は破壊されたと見るべきであろう。


takagisiro01 (2)

郭の東側から南側にかけて高さ30cm程度の土塁が確認でき、往古は本郭を全周していたようである。

4回訪れたが、12月~4月以外は本郭も籔となっている。


takagisiro01 (5)

本郭の中央付近には、切株の上に祠の屋根部分が置かれていてその他の部分は無くなっている。

屋根の摩耗状態からかなり古い祠のようであるが、いつのものか何の神様なのかも分からなくもの悲しい感じ。


takagisiro01.jpg

本郭からの眺めは、鉄塔があることから期待していたが、木が伸びていて下社方面しか視界が利かないが、

本当は・・・・・・・


takagisiro71 (2)

このように諏訪湖が一望出来たものと思われ重要な烽火台であったであろう。(写真は、登り口からの眺め)

~ 南側帯郭 ~

takagisito6.jpg

本郭の南側は、切岸が甘く帯郭の削平も甘い。しかも、一段しか存在せず斜面は緩く降っており防御に不安を

感じる。(ちなみに、山城探訪に記載の竪掘は自分は確認できなかった。)


~ 北側腰郭 ~

takagisiro9 (9)

本郭北側の帯郭を下から見上げる。

takagisiro9 (10)

本郭の北側には、2段の郭が構築されていて、写真は本郭下の1段目で本郭切岸の高さは約4mあり厳重である。

takagisiro9 (5)

本郭下から2段目の腰郭で、切岸の高さは約2mで削平は1段目より甘くなっている。

基本的には、ここまでが城跡の遺構と見られていて、斜面の防備の郭数からいえば北側(下社側)に備えていた

ことになり、金刺氏の支族としての高木氏という位置づけは???

このあたりは武田氏に降ってからの改修ということか?


takagisiro9 (3)

西側斜面に存在するとされる竪掘は、どうみても。。。。自然の窪みにしか。。。。まだまだ修行が足りないのか。


takagisiro9 (7)

本郭の北東斜面に入り込んでいる沢沿いには、写真のような段郭状の段々が確認出来るが、これは麓まで見られる

ことから山城探訪では、畑の跡であろうとしている。ということは。。。ここまで畑があることから、城跡も耕作

されたと見るべきであろう。。。。。。。堀切埋めたのかな~。


~ 城跡からの眺め ~

takagisiro71 (5)

takagisiro71 (4)

高木城の登り口からは、諏訪湖東岸にある烽火台伝承地がよく見え、これらと連携して甲府へ烽火を伝えていた

のであろう。(本郭は木が高く見通しが悪いので、登り口からの眺めでご勘弁を)


~ 居館跡 ~

takagitonomura3.jpg

高木氏に居館跡は、高木城の南東山麓に位置する殿村遺跡とされているが、現在は宅地化が進み遺構は残されて

いない。また、出土遺物も縄文期のものが出ていてここには建穴式住居?が復元されていて中世居館色はゼロ。


takagitonomura3 (2)

居館の北側隣接地には、東照寺という寺がかつて存在していたというので高木氏との関連も考えられる。

奥に見えるのは、老人保養施設グレイスフル下諏訪の建物で、居館・城跡の探訪の目印にどうぞ。




と長々とお送りしてきましたが、小規模な砦の域をでず、土豪の詰の城を武田時代に使用されたかは不明であるが

西側(下社側)に腰郭が多く構築されているところが気にかかる。

烽火台くらいには使われたかな。



~参考文献~  

山城探訪 諏訪資料編      (宮坂 武男)

高嶋城と諏訪の城        (郷土出版社)

豊田村誌            (豊田地区公民館   平成23年)

諏訪史蹟要項 上諏訪編     (諏訪史談会     1996年)
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  1. 2013/03/31(日) 10:16:35|
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下諏訪町  山吹城白鷺山砦?

山吹大城の西尾根の先端に存在する白鷺山は砦か? 

山城探訪の宮坂氏は、「(前略)奥まった所に大城があり、その前衛として、山吹沢を挟んで小城と白鷺山(石尊

山)を配置する構えは、砥川を軸にして上の城があって鋳物師沢を挟んで下の城と萩倉砦があるのと対称になり、

よく似た構成である。」として、白鷺山を萩倉砦同様の砦であったのではないかとしている。

ってことで。。。。。調査してきました。


yamabukikozyou2.jpg

今回のルート(国土地理院 2万5千分の1地図使用)


訪城時間・・・大城から15分・麓から・・・・15分程度      

危険度・・・・★★★☆☆(迷いに注意し、地形図・方位磁石を持って行きましょう)

訪城日・・・・2012年3月4日


       ~ 大城~白鷺山への現状 ~

yamabukioosiro90 (3)

大城の西尾根から先端にある白鷺山を目指すが、途中の尾根上には写真のような段郭が無数に刻まれている。

これが耕作によるものか城跡によるものかは判断が難しいが、堀状遺構も存在する。


yamabukioosiro90.jpg

yamabukioosiro90 (2)

これも堀切かどうかは判断が難しいが、この尾根上にはこれ以外に堀状遺構は存在せず、ここに堀切が無い方が

不自然であり、大城で紹介した西尾根から分岐した北西尾根にあった堀切の規模に類似していることから

堀切であったものと思われる。(この尾根上の遺構は山城探訪には記載ないのが不安だな~)


yamabukioosiro086.jpg

さらに尾根上を歩いていき、尾根の中ほどにこの広大な削平地が突如現れる。

今までの小規模な削平地と違い屋敷が建つほどの広さであり、切岸も大きい!


yamabukioosiro086 (3)

削平地から大城方面の西尾根を振り返ってみる。 

尾根をざっくり削平して構築されていることがわかる。(切岸の高さは3~4mほどの規模)

yamabukioosiro086 (2)

尾根を削った壁には、写真のような古い石積み跡が見られ。。。。しかも。。。

yamabukioosiro086 (5)

yamabukioosiro086 (6)

削平地の斜面にも帯郭?と古い石積みが施されている。。。。これは?。。どう見ても城郭遺構ではないのか?

まあ、ここも耕作されたであろうことは想像できるし、石積みは耕作によるものであろう。(本郭以外に山吹城で

は石積みは見られないので。)しかし、個人の力でここまで耕作の為に尾根を削るであろうか?

どう見ても屋敷地だよな~。。。金刺氏の要害と云うことは、一族や領民の逃げ込み場所か。。。たぶん (-_-メ)


yamabukisirasagiyama.jpg

さらに尾根を白鷺山へ向かって歩いて行くと、尾根上に石仏が目立ち始める。。。もうすぐ目指す白鷺山だ。

yamabukisirasagiyama (2)

そして。。遂に白鷺山が見えてきた。。。!(^^)!

ここまで、結構迷ったな~。。。。地形図にある鉄塔の場所違うし。。。皆様も惑わされないように注意してね。

yamabukisirasagiyama (12)

山吹大城から伸びる西尾根先端部が、白鷺山(通称石尊山)である。

麓にある説明板によると、「正平年間(1350年代)この山中の岩が爆然と光るので苔を払ったところ、「不動」

の二文字が現れ人々は不動明王の影向として崇めた。宝暦の頃(1750年代)白鷺が巣をかける端兆があったので

白鷺山と呼ぶようになった。。(後略)」・・・・って城跡と全く関係ないな。。。(>_<)


yamabukisirasagiyama (4)

yamabukisirasagiyama (17)

山頂部には、二段の削平地が見られ上段には、石尊大権現(天狗)と白鷺稲荷大明神が祀られている。

この削平地は神社のものか砦によるものかは分からないが、地元では信仰の山であったのであろうし、逆に、

信仰の山に城を築くことも良くあることで。。。。現在は木によって見晴らしが悪いが、木が無ければ真下に

和田峠からの旧中山道が見られることからここには。。。砦(物見)があったのではないだろうか。


yamabukisirasagiyama (19)

尾根の先端を下りると露出した岩を利用した堀切状の遺構も見られるが。。。。上には不気味な石仏が立つ(恐)

yamabukisirasagiyama (30)

白鷺山の登り口と右側に山吹沢を見る。

山の斜面が超急なことが分かるであろうか。。。。沢と合わせてかなりの要害性をもつ。


yamabukisirasagiyama (32)

白鷺山と和田峠からの道を見る。

本当にすぐ真下を通っているのがわかり、ここを突破されればすぐ金刺氏の本拠下諏訪となってしまう重要な

場所であったことが分かる。


さあ、いかがだったでしょうか。。。。白鷺山は砦か?

素人の考えとしては。。。尾根先端は物見の砦・尾根上の広大な削平地は一族・領民の逃げ込み場所であった。。

っていうのはいかがでしょうか?あなたならどう見ますか???

長々とお送りしてきました金刺氏の要害「山吹城」。。。お付き合いいただきありがとうございました。。

次回は。。。。。。何がいいかな???   お楽しみに!


~参考文献~

山城探訪 諏訪資料編    (宮坂 武男)



大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
  1. 2013/02/16(土) 14:22:09|
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下諏訪町  山吹大城②

諏訪下社大祝金刺氏の要害。。。パート2!!

近頃。。。記事を書くのが後回しになってしまっている。。。ど~しても訪城を優先してしまい、

帰ると疲れ果て、ビールを飲んで寝てしまう。。。。ど~にかしなくては。。。。イカン!

まあ、間は開いてしまったが、山吹大城の後半戦を久しぶりに書くことにしよう。


yamabukioosiro4 (2)

後半戦は、郭③(本郭)の北側にある堀①からお送りします。

~ 堀① ~

yamabukioosiro11.jpg

郭③(本郭)から堀①を見下ろす。(写真右側に写る石は、本郭切岸にある石積み)

yamabukioosiro11 (4)

この堀①は、郭③(本郭)の4mの切岸と約50~60cmの郭④側の段差で構成されているが、どう見ても往時の

深さではないことは、一目瞭然で過去に耕作された時に埋められたものと思われる。


~ 郭④ ~


yamabukioosiro12 (6)

郭④は、実質的なニの郭で49m×28mの広さがあり城内で最大の郭である。

郭内の削平がしっかりなされており、ここに居住区があったものと思われる。


yamabukioosiro12 (4)

郭④(ニの郭)から堀①を挟んで、郭③(本郭)の切岸を見る。 

~ 堀② ~

yamabukioosiro13 (7)

yamabukioosiro13 (4)

堀②は、二重堀切のようになっており、これは一本目の堀切で堀切の両側が竪掘ではなく、郭になっていて

珍しい構築方法になっている。


yamabukioosiro15.jpg

堀②の二重堀切の間の堀残しの土塁。

右側の堀より左側の搦め手側の堀切の方が、深いことが分かる。


yamabukioosiro15 (2)

搦め手最後の防御施設の堀切。 

yamabukioosiro15 (5)

こちらの堀切は、竪掘として東側斜面のみ落とされている。 

yamabukioosiro17.jpg

用途不明な窪み。

二本目の堀切の延長上にこの窪みが見られるが、二本目の堀切の西側は竪掘ではなく郭状の平地となっている。

郭状の平地が耕作により二本目の堀切の間が埋められ残ったのがこの窪みともとれるが、不明である。


~ 郭⑤(西尾根) ~

yamabukioosiro23 (4)

郭⑤は、郭④(二の郭)から西側に発生した尾根の付け根にあたる場所で、土塁と郭を二つに分ける段差によって

構成されていて尾根上にあるために細長い郭となっている。

削平は丁寧な感じを受けるが、耕作によるものの可能性もある。ただ重要な場所な為それなりに手をいれていた

であろう、部分的に土塁が残る。


yamabukioosiro23 (7)

西尾根の両斜面には、写真のような段郭が見られる。

和田峠側は、二段程度しか見られずこれは(写真)は城跡に伴うものと思われる。


~ 堀④ ~

yamabukioosiro759 (2)

郭⑤から見た堀④

yamabukioosiro759 (3)

堀④を横から見る

この堀は、西尾根で最大の防御遺構であると思われるが、深さは城内側で3m程あるが堀の切岸が緩やかで

頼りないものとなっていて、この城の古さを感じさせる。(耕作により改変の可能性もあるが。)


~ 西尾根のその他の遺構 ~

yamabukioosiro21 (2)

yamabukioosiro21 (5)

西尾根は、先端部からさらに和田峠方面の北西尾根と白鷺山方面の西尾根へ分かれて下っていく。

この尾根の分岐と各尾根には写真のような段郭が見られる。

上記の堀④は、この二つの尾根の合流点の防御として構築されたものと思われる。


yamabukioosiro50.jpg

西尾根からの尾根の分岐部分には、写真のような堀⑤の竪掘が一本落とされている。

yamabukioosiro40 (4)

yamabukioosiro40 (3)

西尾根分岐から北西尾根を50mほど下っていくと(間に段郭あり)この堀④が尾根を掘り割っているが、

城内の堀としては一番小規模なものとなっている。

これは、北西尾根の先端部が和田峠方面に急斜面となって下りていて敵に攻められる恐れが少無かった為であろう


西尾根から続く西尾根については、宮坂氏の山城探訪でも和田峠を見下ろす位置にあり物見の砦があったのでは

ないかとしていることから次回「白鷺砦」としてご報告したいと思います。

ニ回にわたって長々と紹介してきた山吹大城はいかがだったでしょうか?

城域が広大なために写真が多くなってしまったが最後までお付き合いいただきありがとうございました。


回もよろしくお付き合いください!!
  1. 2013/02/11(月) 17:41:41|
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山吹大城①

諏訪下社大祝・金刺氏の要害

yamabukikozyou2.jpg
国土地理院 2万5千分の1地図使用

前回紹介した山吹小城から、搦め手尾根伝いにたどり山吹沢を越えると金刺氏の詰の城である大城南西尾根に
行くことが出来る。
今回はこの南西尾根から大城を紹介していきたいと思いますのでお付き合いください。

なお、城跡の歴史については山吹小城を参照下さい。


yamabukioosiro4.jpg

今回の詳細なルートは、こんな感じ。。。 

yamabukioosiro3 (2)

小城の搦め手から細い鉄塔巡視路を歩いて行くと、この小城と大城の間を隔てる山吹沢を渡る。
(沢には一応、橋がかかっているので安心して渡ることが出来ます。)
この山吹沢は、かつて沢上部まで耕作されていたという。今は荒れ荒れですが。。。
 


yamabukioosiro3 (5)

巡視路は、おおむね歩きやすいが道が細い場所や、写真のような崩落地があるので注意を要する。
(沢はかつて人の手が入っていたとはいえ、かなり深いので地形図があったほうが無難。) 


              ~ 城跡の現状 ~

yamabukioosiro4 (2)

この図に沿って紹介していきますが、この大城は郭③(本郭)以外はかつて全山耕作されていたらしく、
どこまでが城に関わるものか分からなくなっているが、城跡の現状を紹介していきます。
 


~ 南西尾根郭①段郭 ~

yamabukioosiro6 (3)

yamabukioosiro6 (5)

鉄塔巡視路から南西尾根を直登すると、すぐに段郭群が現れる。しかし、この尾根もかつて耕作されたようで、
どこまでが城跡のものか判断がつかない。
段郭の切岸は、写真上の高さ1m程度の緩やかなものから、写真下のような高さ3~4mもあるようなメリハリの
きいたようなものがあるが、全部城跡のものだったら。。。。すばらしいのに。
 


~ 郭① ~

yamabukioosiro7 (4)

南西尾根上の郭①を見る。
この南西尾根は、山吹沢を詰めた敵が最初に取り着く尾根で、ここが落ちればすぐ郭③(本郭)となってしまう
重要な郭であったと思われる。


yamabukioosiro7 (6)

郭①と奥に郭③(本郭)の切岸を見る。 
郭①にはわずかな段差がみられ、かつては二段に分かれていたようである。

~ 郭②(実質的な三の郭) ~

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郭②の南尾根先端部を見る。(きれいに削平されていることが分かる)

yamabukioosiro8 (3)

郭②と奥に郭③(本郭)の切岸を見る。
郭②は、郭③(本郭)の南側に存在し、郭の規模・削平の丁寧さから実質的な三の郭であったとみられている。
この南尾根は、小城が落城した場合に敵が尾根伝いに攻めてくるとこの尾根に取り着くと思われるので、
南尾根・南西尾根間の斜面には帯郭が巡らされており厳重な構えてなっている。(耕作されていると思われるが)


~ 郭③(本郭) ~

yamabukioosiro9 (3)

本郭に建つ大日如来の碑と後方に虎口とされる土塁の切れ目
この大日如来の碑は、天保9年4月に河西氏によって建立されたもののようで、他にも本郭内には神仏不明の碑が
建つ、この郭③は宝光院の所有で大城の中でもこの場所だけ耕作されなかったことと碑が建っていることから
特別な場所として地元でも意識されていた場所であったのだろう。


yamabukioosiro9 (6)

郭③(本郭)を東側から見る。 

yamabukioosiro9 (7)

郭③(本郭)を西側から見る。 

yamabukioosiro9 (5)

土塁内側に見られる石積み
(城跡に伴うものかは分からないが、郭の切岸にもわずかに痕跡が見られるので城跡のものと思いたい)

郭③(本郭)は、東西23m・南北16mの広さで、四周を高さ1~1.5mの土塁が取り巻いており、土塁の内側に
石積みが見られる。
郭の北側に、土塁の切れ目が見られここが虎口であると考えられていて全体的に良く残っている。




。。。。また長くなっちゃた。。(-_-メ)

今日はここまでにしよ。。。。次回は、堀①から細か~くお送りしますのでお付き合いください。V
  1. 2013/02/07(木) 03:08:00|
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下諏訪町  山吹小城

下社金刺氏の要害

この訪城は、山吹小城を見て小城の搦め手から現在の鉄塔保守道を使って大城に行き、大城から白鷺砦?と
山城探訪がする尾根の先端までの隅々まで見て約3時間の訪城をしてきました。

ですので、下社金刺氏の要害として約3~4回に分けてお送りしたいと思います。


yamabukikozyou2.jpg
国土地理院 2万5千分の1地図使用

所在地・・・・下諏訪町下ノ原                            訪城時間・・・・10分

危険度・・・・★☆☆☆☆(狩猟期間は、注意が必要)             別 名・・・・山吹沢城

訪城目印・・・・水月公園                              訪城日・・・平成12年3月4日


              ~ 山吹城の歴史 ~

山吹城に直接関係した文献は少ないため、築城と廃城時期が明確ではないが、下社金刺氏の詰城とされてきた。

諏訪上社と下社は、鎌倉時代以来しばし抗争してきたが、長享3年の「雪村大和尚行道記」に「諏訪郡地令ニ上下一

ノ大祝分守、其間神湖出為」とあり、室町初期に至ってもしばし戦いが行われたことがうかがえ、文明12年には

下社の金刺興春が上社前宮付近の大町に放火した。

文明15年(1483)には更に高島・上桑原・武津をも焼き払い上社に差し掛かって放火合戦を行った結果、下社方は

敗北し、大祝金刺興春は大熊城(諏訪市)に首をさらされ、下社は上社方の為にやき払われてしまった。

これを「文明の内訌」といわれ興春の跡には金刺昌春が大祝となった。

永正15年(1518)、上社方に居城の桜城を攻め落とされた昌春は、「萩倉の要害」に逃げ込み、戦わず逃散した。

この様子が、「コノ年下宮遠江守金刺昌春、萩倉ノ要害ニ自落シテ一類面々家風悉ク断絶シ畢(おわ)ンヌ

(中略)十二月十八日夜大城没落ノ処ニ・・・(後略)」と「當神社幸記」に見られる。

この記事に見られる「萩倉の要害」については、山吹城とする説と当時の萩倉の位置から、対岸の上の城をあてる

説(下諏訪町誌)とがあり、現在明確な結論は出ていない。


               ~ 山吹小城の現状 ~

yamabukisiro 101

この図面に沿って説明していきますので。。。お付き合いください。

~ 堀① ~

yamabukikozyou3.jpg

この堀①は、尾根の先端にある水月公園から登ってくると最初に出会う城郭遺構で、敵の直進を遮る効果を狙った
ものと思われるが、写真のように土塁を伴っているものの堀の傾斜が緩く古い時代の感じを受ける。

この堀の感じは、対岸の上の城・萩倉砦の横掘に似ていて同一の築城主体を思わせる。
 


~ 郭①(三の郭) ~

yamabukikozyou10 (3)

郭①は、尾根の最初のピークに存在している。
郭の中心部は、きれいな削平がされていて、西側(ニの郭側)に土塁が構築され、この郭から螺旋状に北側
(山吹沢側)へ帯郭のように郭中心部を取り巻くように下っていく。


yamabukikozyou10 (6)

ニの郭側に構築された土塁(高さ約40~50cm程度)を見る 

yamabukikozyou10 (5)

三の郭中心部か螺旋状に下ってきた郭は、中心部を取り巻くようになっているが笹藪が酷く細かい所は確認できな
いが、削平は甘いように感じた。(山吹沢側に存在)
 


yamabukikozyou10 (9)

三の郭南側の塁壁を見る。
この城の南側に駒ヶ原と呼ばれる湿地(現在、清掃処理場や墓地)が存在しているが、こちら側には
写真のように甘い塁壁となっており現在の通路状の平場以外の備えがなされていなくこの城が、山吹沢側に
防御重点を置いていたことがうかがえる。(駒ヶ原が湿地帯であったことが防御が甘くなったとも考えられるが
・・・・どうであろう。)


~ 堀② ~


yamabukikozyou5 (5)

堀②は、三の郭とニの郭間を区切る堀切で、上幅約15m・深さは郭①側で約4mほどの切岸となっている。
現在は、笹藪となっており山吹沢側は詳細を見ることは難しいが、駒ヶ原側には竪掘は見られない。


~ 郭②(ニの郭) ~

yamabukikozyou8 (3)

郭②を見る。
郭②は、郭①・③と違い加工度が低くほぼ自然地形である、唯一の城郭遺構としては郭①側に小規模な土塁が見られる。


~ 堀③ ~

yamabukikozyou7 (3)

堀③を見る。
堀③は、郭②と郭③の間に構築された堀切で、上幅約10m、深さ約3mで山吹沢側に竪掘として落としているが、
駒ヶ原側には竪掘は見られない。


~ 郭③(本郭) ~

yamabuki kozyou92

郭③の西側(堀③側)に構築された高さ約2mの土塁を見る。
郭③は他の郭に見られない郭の三方に土塁が構築されており、防御が一番厳重になっている。


yamabukikozyou4 (3)

山吹沢側に構築された土塁で他の土塁は、堀を掘った土を盛り上げて構築したと思われるが、この土塁は幅が
広く土塁の立ち上がりも緩やかなことから、郭を削平する際に削り残して構築したものと思われる。


yamabukikozyou4 (9)

郭③の東側(尾根続きに大城が存在)に構築された土塁を見る。
この土塁の奥に堀④が構築されており、この堀を掘った土を盛って構築されたものと思われるが、奥に大城が
存在することから、土塁も規模が小さいものとなっている。高さは約1m。



yamabukikozyou4 (2)

郭③内部全景を見る。(奥に堀③に伴う土塁が見える) 

~ 堀④ ~

yamabukikozyou78.jpg

郭③(本郭)から見下ろした堀④

yamabukikozyou6 (3)

堀④は、小城の城域最後の堀切で、本郭裏の堀切でもある。
基本的な城では、本郭をその他の郭で挟むなどの構築方法が取られることが多いが、小城は尾根続きに大城が存在
するのでこのような構築方法となったものと思われる。
堀切に関しては、上幅14m・本郭側での深さは約7mで、小城の搦め手を守るというよりは、大城の支城として大城
へ行かせない為の遮断線としての堀切であったのではないだろうか。


yamabukikozyou1 (5)

小城の搦め手の尾根伝いを行くと写真のような鉄塔の保守道があり矢印の方向へ向かう。
ここを辿って行くと山吹沢を越えて大城の西尾根へたどり着き、更に辿ると白鷺山への尾根へ辿り着く。
現在は鉄塔保守道であるが、往古はここが大手ではなかったかと思うがいかがであろうか。。。。。

*なお、駒ヶ原の車道を行けば車で大城近くまで行けるようで、こっちの方が楽ではあるがすべてを見るには
この保守道がお勧めですが、少々荒れているので注意が必要です。
(山吹城の記事を書いている方はほとんどこの車道で訪城しているようである。)


yamabukikozyou1 (4)

搦め手尾根から見る山吹大城。
山吹小城の標高は947m(山吹沢から比高120m)。山吹大城の標高1015m(山吹沢から比高200m)あり両城の比高
差は約80mある。


yamabukikozyou1 (8)

駒ヶ原から見た山吹小城。
駒ヶ原からの比高が低いことが分かるが、駒ヶ原方面に防御遺構がほぼ見られないことから往古は湿地帯で自然の
堀のような役目を果たしていたのであろう。



金刺氏の要害である山吹小城を紹介してきましたがいかがだったでしょうか?
郭②に見られるようにほとんど自然地形のままの郭・甘い切岸など古い築城を感じますが、堀切の規模・郭③の
高さのある土塁など新しい感じもありと二つの時代の遺構が混ざっているようにも感じました。

大城が後の改修があったとしている資料もあるので、大城の大手を守る小城も改修されたのであろうか。。。。
素人にはわからないが。。。。。苦労しないで見れる魅了ある城であった。

次回は。。。。。もちろん山吹大城をお送りしますのでお楽しみに!  (#^.^#)


~ 参考文献 ~

山城探訪 諏訪資料編  (宮坂 武男)

長野県史蹟名勝天然記念物調査報告  (長野県文化財保護協会  昭和50年)

高島城と諏訪の城    (郷土出版社)
  1. 2013/02/03(日) 08:45:51|
  2. 下諏訪町
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