長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

南箕輪村  倉田城

巨大な勢力に翻弄された在地土豪の城館

所在地・・・・南箕輪村北殿                 

訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆ (*耕作地や民家となっている為に、観察には最大の配慮が必要です)

別 名・・・・倉田の城

訪城日・・・・2009年2月22日・2010年3月21日


kuratasiro5.jpg
倉田城遺構配置図(時間が無かった為に手抜きしました。。。。。スミマセン)     ゼンリンいつでもNAVI使用

倉田城の立地は、北殿のほぼ中央の東の段丘のつきる所にあり、本郭は東西40m・南北55mの平地で今は水田となって

いる。東は高さ20mの急な崖となっていて下を飯田線が走っている。


kuratasiro7.jpg
城館跡は段丘の崖を利用した構築となっている。

倉田城の歴史については、『南信伊那史料』に「倉田氏ノ館跡 又日 同氏其先築後守ハ鎌倉ヨリ来リ本郡伊奈町横山耕

地ノ鳩吹城ニ居住シ天文中木曽義康ト興地ヶ原ニ戦ヒ敗北シテ此地ニ移リ其子将箕輪氏ニ属ス云々村誌ニ見ヘタリ、将

又箕輪氏附属ノ地士ニハ清水・日戸・高木氏等此地ニ点在シ居ルト雖モ主家ト共ニ滅亡シテ民間ニ降リ子孫今ニ継承ス」

とある。


kuratasiro7 (4)
郭①を見る。

現在は耕作地や民家となり遺構は見る事は出来ない。しかし、北側に中井沢と堀①とに挟まれており厳重な構えとなって

いる。また、中井沢沿いの墓地には倉田氏が居館を構える前に居住していたとされる北條丹後の墓があり、この場所が

倉田氏来住以前の中心的な郭であった可能性が考えられる。


kuratasiro7 (2)
中井沢に面した部分に残る小規模な郭

上記の文を分かりやすく書くと。。。。。

『鎌倉から来た倉田筑後守は、はじめ横山の鳩吹城に居住したが、木曽義康と与地で戦って敗れ、この土地に来て館を

構えた。その子孫将監安光は豪勇の士で、仁科の日岐(丸山)将監、筑摩の神田将監とともに三将監と呼ばれ、小笠原

長時の旗下藤沢頼親に属して活躍し、天文7年(1538)7月19日、甲州韮崎の合戦で武田方と戦い討死した。


kuratasiro1 (2)
道路となった堀①

その子淡路守、石見守を経て子孫がこの地に居住しその後、民間に降ったようである。

また、この地に倉田氏の前に住んでいたと『伊那温知集』に記されている北條丹後については詳しいことは分かっていな

いが、『伊那志略』の箕輪の墳墓の項には「北條丹後の墓、北殿ニ在リ。碑面ニ題シテ曰ク。本考超覚信士、辰四月廿日

温知集似為天正中之人・・・・・(後略)」とある。現在も郭①に北條丹後の墓とされる物が存在する。


kuratasiro1 (4)
郭①から堀①越しに郭②を見る。

kuratasiro8 (2)
郭②を見る。

倉田城は伊那方面によくある広大な城域を堀切で区切った築城方法で、郭内部はだだっ広い空間となっている。

kurtsiro2 (3)
堀②を見る。

kurtsiro2 (5)

堀②はV字型に構築されていて「ヤセオ」と呼ばれている。名前の由来は分からないが、このV字状の間の空間には、

墓地があり、この中に倉田氏の子孫が建てた「倉田将監友綱」と書いた墓碑が存在する。


kuratasiro3.jpg
堀③(道清堀)を見る。

kuratasiro3 (7)

堀③はY字に構築されていて、周囲には「本城」、「西城」、「北城」などの城館の中心部分を表す地名が残っている。

堀の規模や複雑な形からこの周辺部分の郭が、倉田氏時代の中心部を構成していた事が窺えるが、周辺は宅地開発に

より往時の形状を見る事が出来ない。


kutratasiro4 (3)
堀④を見る。

堀④は堀切であるが、段丘斜面には横掘のような形状の堀と合流し、段丘下まで続いている。

kutratasiro4 (7)
堀④の段丘斜面を横掘状に掘られた堀を見る。

倉田城は戦国期まで使用されたと考えられる城館ではあるが、規模が余りのも巨大すぎて在地土豪程度の戦力で守るこ

とは出来なかったであろう。

城館の西側の防備がどのようになっていたのかは宅地開発などで窺うことは出来ないが、複雑な堀の形状や城域からし

大きな勢力に一時的にでも使用された可能性もあるのではないだろうか。

感じ的には、倉田氏が属していた藤沢氏の福与城ににている感じを受ける。

久しぶりの更新が。。。。。。。。堀以外あまり書く事が無い城館でしたが、箕輪村周辺の城は中々記事にしている方が

少ないので、ちょっとずつ紹介していきたいと思っています。。。。。。。。本当に書くことが無かったんです(汗)



~ 参考文献 ~

南箕輪村誌            (南箕輪村誌編纂委員会   昭和60年)

南箕輪の史跡          (南箕輪村誌刊行委員会   昭和54年)

信濃の山城と館         (宮坂武男)



大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
スポンサーサイト
  1. 2014/12/26(金) 21:54:55|
  2. 南箕輪村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。