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長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

池田町  花岡山城③

3回にわたってお送りしてきた花岡山城も終盤となりました。
今回は本郭周辺をお送りしますが。。。また、写真が多いですがお許しを!
 


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今回はこの図で④~⑦をお送りします。

 ~ ④の郭 ~ 

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 ④の郭まで来ると本郭の全貌が見えるようになってきました。 

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 ④の郭は二段の郭からなっていて、この郭から堀④を間に入れて本郭まで段郭が続く。 

~ 堀④ ~

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この堀④の特徴は尾根の半分までしか堀切が無く、西側斜面のみに竪掘を落としていることである。

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上の写真が尾根東側・下が尾根西側である。
尾根の西側では堀跡が明確に確認できる、しかし、東側になると少しずつ浅くなり端の方では確認できなく
なってしまう。一番の謎は東側斜面には竪掘跡が確認出来ないことである。
本来、堀の上部が何らかの原因で埋められたとしても斜面の堀跡までは埋まることはほとんどないはずである。
そうなると、元から東側斜面には竪掘は無かったという結論になるが。。。。?
堀切の埋まり方も不思議である。何故、故意に埋めたとすれば東側だけであったのであろう。
この疑問を解明するには発掘しかないのであろうか。。。。しかし、池田町の城跡は藪がすごい!
 


~ 郭⑤ ~

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郭⑤から本郭を見る。。。なんか。。。手前の木に。。。爪跡のようなものが・・・(-_-;)
池田町にも熊が出没するようなので。。。お気を付けて!


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郭⑤は、堀④から本郭の間の段郭によって構成されている。
ただ切岸がはっきりしている段ではなく、登っている感覚としては緩やかな斜面を登っているような感じで
見た目で段郭とわかる程度である。
 


~ 郭⑥ (本郭) ~

hanaokasiro100.jpg

花岡山城最大の郭・・・本郭の全景である。
なんか~斜めってない?。。。そう!自然地形なのである。
ほとんど遺構らしいものは見られず、あるとすれば・・・・


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この本郭東側の郭⑦との間のわずかな高まり土塁である。(写真じゃわかりずらいけど・・・)
写真下の平場は郭⑦である。


hanaokasiro106.jpg

何故こんな大きな城跡なのに一番重要な本郭の削平がなされていないのであろうか?
こういう場合に一番に考えるのが、陣城などの一時しのぎの場所で長く居る必要が無かったなどであるが。。。?堀之内氏の居城という伝承もあるしな~ (?_?) 


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本郭北側にある土塁として利用した自然地形の高まりを見る。
何故自然地形と見るかというと、高さ・幅・形が東側と西側ではバラバラで成形した痕跡がうかがえない為である。


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本郭北西隅に建つ鉄塔部分を見る。
この斜面は緩やかであるが、鉄塔周辺には遺構が見られないので鉄塔による破壊は無かったものと思われる。


~ 堀⑤ ~

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本郭背後を守る唯一の防御施設である。
堀幅・深さは城内一番の規模ではあるが、今までの本郭までの堀の本数の厳重さを考えると・・・・
堀一本っていうのはなんか不安じゃなかったのかな~と考えてしまう自分がいる。


hanaokasiro2010.jpg

惚れ惚れするきれいさだったので。。思わず座り込んで眺めていました。  城跡最高 !(^^)! 

~ 郭⑦ ~

hanaokasiro3466.jpg

まあ、おまけの本郭東尾根にある郭⑦である。
なんで他の尾根には堀切を入れているのにこの尾根には段郭なんでしょ?
一本くらい増やしても変わらなさそうですがね~。


hanaokasiro4.jpg

本郭からの眺め
ガスってなければアルプスがきれいなんですが・・・・残念 (-。-)y-゜゜゜ 


hanaokasiroennbou.jpg

花岡山城全景
登城口は、赤い屋根の建物の裏にある水路に沿って登っていきます。(山道あり)
  


三回にわたってお送りしてきた花岡山城はいかがだったでしょうか?

地元の土豪堀之内氏の居城もしくは要害城との伝承がありますが、城の規模は土豪程度では維持できる

物ではなくもっと大きな力によって築かれたのではないかと感じました。

ただ、写真でみてもらったように、郭はほぼ自然地形のままで削平がされていない場所が多いのも気になる所である。

誰によって、何の目的で築かれたのであろうか?  本当に堀之内氏なのかな疑問だな~


なお、城主とされる堀之内氏は、旧四賀村の一期の城で戦死した堀内氏と同族と言われていて、

堀之内氏とは地名により堀之内としているだけで資料では堀内となっており本当はどちらかわかっていないようである。

堀之内氏は仁科氏の支族で何代目かに分かれたかは不明としている。

~参考文献~

池田町誌        (池田町誌編纂委員会   平成4年)

山城探訪 安曇資料編  (宮坂 武男       平成11年)
 
  


 
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  1. 2012/09/01(土) 04:12:36|
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池田町 花岡山城②

さあ~お待たせしました!!!
花岡山城の第2回でございます。今回からは城内の御案内です。
  


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まあまあ。。いつもながらの微妙な図にて案内していきましょう。 (>_<) 

~ ②の郭 ~ 

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前回書い鉄塔が建つ平坦地から少し登るとこの②の郭の上の段にたどり着く。
ここは明確に削平されていて人工であることがうかがえる。


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この上の段の平場には、礎石を思わせるような平たい石が埋まっていたり、転がっている。
これから説明して行く堀などを見ると戦国期後半の改修も考えられるとも思うがいかがでしょう。


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 ②の郭の上の段と下の段を分ける段差を見る。
二段に分けたとは言っても最初にあった地形の一番高い部分を削って郭にした為に二段のようになってしまった
っというのが本当であろう。
 


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下の段から上の段を見る。美しい・・惚れ惚れ・・・城跡のこの角度・・好き! !(^^)!
奥には無理やり付き合わせられた同伴者が・・・いますね・・・すねて、ず~と座ってました!!


 ~ 南東尾根・堀① ~ 

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 ②の郭から伸びる南東の尾根を下って行くと堀①が現れる。
この尾根は緩やかな為に防御が必要だったものと思われる。
(城までがきつかったので。。。。ここも意外にきつかったけどね。。) 


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堀①を見る。
かなり埋まってしまっていると思われるが、明確に確認出来る。
堀の両側に高低差がある為、下からの敵にはかなり有効に働いたと思われる。
この堀①の下にも堀かな?と思わせる段差のような遺構が確認できた。 


 ~ 郭②と③の間の堀② ~ 

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 郭②から郭③へ行く間にはこの堀②が防御をしている。
この堀②は城内で一番きれいに土塁を伴う堀となっていて、写真にあるように土塁の左側が
通路として空けてあり城内道であった可能性がある。
 


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この堀も規模は小さいものの土塁を伴い、両側は竪掘として落としてあり改修の可能性をうかがわせる。

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斜面の下の方は急になっているので、竪掘としては短いものとなっている。 

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郭③から堀・土塁を見る。(奥は郭②の上の段の高まり) 

 ~ 郭③ ~ 

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この花岡山城の特徴として堀・土塁・段郭は明確な防御意識をもって構築されているのに、
何故か郭に至ってはほぼすべて(郭②のぞく)自然地形のままで削平がされていないか甘いままである。
この郭③も自然のままで人工的な構築は見られない。 


 ~ 堀③ ~ 

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この堀③は、花岡城がある幅広な尾根を分断するかのように長大に掘り切っている。
ただ、開墾の為か、長年の風雨による埋没かは分からないがかなり埋まってしまっている。
 


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尾根の端の方はきれいに残っており、堀切であったことが確認出来る。 

今回はここまで。。。
いや~。
広いので写真いっぱい載せちゃいますね。見るの疲れるって怒らないでくださいね。
出来るだけこの城跡の魅力を皆様にお伝えしたいので。。!(^^)!
次回も気合を入れて書くぞ~。
お楽しみにね。
  1. 2012/08/31(金) 05:17:49|
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池田町  花岡山城①

所在地・・・・池田町池田堀之内                        訪城時間・・・・30分

別 名・・・・堀之内城・堀之内花岡城                    危険度・・・・★★☆☆☆



                ~花岡山城の歴史~

「池田町の遺跡」の堀之内花岡山城跡の項には、

堀之内氏の拠った山城であろう。(蜷川親元日記)とあり、遺構の形状として、不整な円形の主郭と、

南方にのびる尾根先に副郭があり、その間と主郭の背後に空濠を切り、主郭の周囲に複数の段郭や帯郭を

構える。連郭式山城。とある。

「池田村誌」の花岡山城址の項には、

堀之内城山より丑の方八町の距離に方り(あたり)、花岡山の内城平と唱ふる二段の地あり。

上平東西二十間・南北二十八間、下平東西十六間・南北二十間なり。

是又古昔の城址にして今に尚、其周辺に溝形を存す。とある。

近くの居館と共に堀之内氏のものと考えられている。



                ~城跡の現状~

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この池田町の中では最大の城域を誇る花岡山城をこの図に沿って紹介します。

 ~登山口(大手?)~ 

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登山口からはるか上にある城跡を見上げる。(鉄塔部分)

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斜面の登山道(鉄塔巡視路)を登り尾根上に出る部分は堀切状に窪んでおりここに門があれば
かなりの防御効果があったと思われる。
 


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山上に出るとこの鉄塔(犀川線61番鉄塔)が建つ広大な平坦地に出る。
この部分には城郭遺構は見られないがもう少し登れば城内なのでここにも何かしらの施設はあったものと思われる。(兵の駐屯地か民衆の避難所か?)


hanaokasiro8.jpg

しかし。。。
この広大な平坦地からは写真のようにほんの少し登れば城内となってしまうのでここに遺構が無いと
さっきの門跡(推定)が破られるとその後の防御施設が無く簡単に城内に入られてしまう。
後世の耕作などにより破壊されたのであろうか?(山上の部分は郭②) 


花岡山城第1回目は今回ここまで~。

次回は郭②から詳しく紹介していきたいと思います。

お楽しみに!!!! 
  1. 2012/08/28(火) 04:16:49|
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池田町 田ノ入城②

池田町の遺跡に記載の城跡部分 

今回は、池田町教育委員会発行の池田町の遺跡(分布調査報告書)記載の田ノ入城を②としてお送りしたいと思います。

この場所は、田ノ入城①から南へ尾根を300m程度遊歩道を歩くとあるピーク上にある。

tanoiri899900.jpg




こちらも余り人工的なものは少ないが紹介しておく。

池田町の遺跡には、主郭 東西9m 南北16m 楕円形 北東に7段の段郭を設ける。

とあるが今回は、2段程度しか確認出来ていない。
 



           ~田ノ入城②の現状~ 

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田ノ入城②は、田ノ入峠頂上部から南側に尾根道(遊歩道)をたどる。

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尾根上は現在、東山尾根歩きコースとして整備されておりきれいな道となっている

①2つ目のピーク

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池田町の遺跡では、峠から2つ目のピークと3つ目のピークを城域としている。
このピークは峠から2つ目のピークです。


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遊歩道はピークの側面を通過していて、ピークの側面には人工的な加工の跡は見られない

tanoiri21112.jpg

ピーク上は、細長く横幅は1m程度の幅しかなく狭い。
さらに自然地形でここも人工的な加工の跡は見られず何故ここが城域とされたのか疑問である。
 


 ②3つ目のピーク(中心部か?) 

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2つ目のピークから尾根を南へたどると3つ目のピークが鞍部を挟んで現れる。
(鞍部は一部に土橋状に細くなる部分も見られる)


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田ノ入城②の中心部と思われる3つ目のピークを見る。 

tanoiri2122.jpg

3つ目のピークが池田町の遺跡にある本郭東西9m・南北16mの場所と思われる場所であるが、
9×16の広さは無いのだがどこを測ったのだろうか。
このピークは上が明らかに人工的に削平されたとわかる平地となっている。


tanoiri2121.jpg

この本郭と思われる場所の東側(遊歩道側)には土塁の残欠かと思われる高まりがある

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本郭全景
この郭は狭く小屋掛けは無理であり、砦・城というよりは狼煙台といった感じであろう。
 


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本郭と手前に段郭を見る。
この段郭は東側(遊歩道側)にあり明確なものは一段のみである。、
これが郭であるならば土塁と共に尾根道(現遊歩道)に備えていたということになるのか。


tanoiri22226.jpg

東斜面のみ切岸状に急斜面になっている。
このピークの東側にある防御施設を思わせる段郭・土塁状遺構を考えるとこれも人工的な切岸とも思える。


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本郭から見る明科方面

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本郭の東斜面を通過する尾根道。
この尾根道が通過している部分は段郭のようにも見えるが…。


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東側の遊歩道より下は、人工的な遺構は見られない。

tanoiri2225.jpg

田ノ入城②いかがだったでしょうか。

3つ目のピークは明らかに人工的な削平や土盛がされていて何かに使用されていたことは確認できた。

しかし、池田町の遺跡にあるようにここが城跡とするには疑問が残る。

ここにはどうみても小屋掛けや複数の郭を造ることは不可能で人が籠ることは出来ない。

あえて考えるなら、峠にあった田ノ入城①が本城で、本城が見えない明科方面をカバーする為に、

田ノ入城②の場所に出丸を置いた。というのはどうだろうか?

田ノ入城①がほぼ消滅した今、確認は難しいと思われる。
 



~参考文献~

池田町の遺跡     (池田町教育委員会   1994年)



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  1. 2012/08/20(月) 01:03:32|
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池田町  田の入山城①

長野県中世城館跡・山城探訪記載場所

所在地・・・・池田町陸郷田の入                       訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★★☆☆☆                           訪城目印・・・・田の入峠・ままこ落とし

別 名・・・・寺村山古城・茶臼山城(推定)



              ~田の入山城の歴史~

「信府統記」の寺村山古城地の項には、

古城跡 寺村ヨリ酉ノ方七町 本城の平東西九間 南北十間 城主知レズ

此所ハ大穴 泉福寺ト言フ 真言宗ノ寺アリ 御朱印地ナリ とあり、

「明科村誌」の茶臼山ノ城跡の項には、

古城跡 村より未申方 十六丁程 泉福寺御朱印地の内 茶臼山ノ城ト言 山上平十ニ間 四面程

堀切ト言べき歟(か)五段程あり、尤(もっとも)城主不知。

(寺村古城地・茶臼山ノ城址は古老の言う田ノ入城と思える。城址の位置については、今後の研究に残した。)

とある。

また、「信濃池田町史話」には田ノ入城址として、

城主は安陪五郎丸で別名を、安陪貞高といい鎌倉時代初期の人で田ノ入城もこの頃の物だとしている。

城の施設として厩の跡とされる平地、空掘の跡、城主が鮒を釣ったという伝承のあるふなくぼというものが

残っていたという。また本城の平は十町歩あり少し下った位置には雷電社があったとされる。

(すべて崩落してしまったという)

*田ノ入城の位置としては(今回①として記載)いままで言われてきた茶臼山ノ山頂の殿城と呼ばれる崩落地

と池田町の遺跡に記載される殿城から尾根のピークを3つ越えた位置の(次回②として記載)2つが伝わっている

ようであり①の方はおおむね崩落してしまいどちらが城跡なのかは断定が難しくなってしまっている。

今回は①と②として2か所を一応、記載して紹介しておく。



              ~田ノ入城①の現状~

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滝沢マレットゴルフ場から林道を登りまま子落としの下を通過してさらに林道を登ると田ノ入峠へ至り、
さらに林道を行くと田ノ入集落へ行く。
 


P4045570.jpg

田ノ入峠を見る。
現在は峠に標柱がありわかりやすくなっていて、峠の上、左側斜面上が田ノ入城①で、右側にある遊歩道を
行くと田ノ入城②へ行くことが出来る。 


P4045606.jpg

林道を行くと田ノ入集落へ。(左側上が城跡①。) 

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峠にある田ノ入城の入り口を示す標柱
(斜面を登っていくと・・・)
 


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田ノ入集落の方達によって建てられた城址碑。(立派です! (#^.^#) ) 

 平場② 

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頂上部を見る。
頂上部は以前は十町歩あったと言われているが現状は崩落しまっていてわずかながら平地が残っているのみである
しかし、平地は自然地形であり人工が加わった跡は確認出来ない。
 


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また、田ノ入峠側の斜面にも段郭などの人工的な遺構は見られない。 

 平場③ 

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tanoiri31.jpg

平場②の下で原型をとどめないもう一つのピークの間にあり、平場といっても人工的な跡は無い。 

tanoiri27.jpg

平場③から平場②を見上げる。 

堀切① 

tanoiri26.jpg

tanoiri29.jpg

断定的なものではなく、これが堀切だったのではないだろうか?という推定的なものである。
上部は崩落してしまい田ノ入峠側の斜面に竪掘状に窪みが残っている程度である。
 


tanoiri33.jpg

林道から見上げる堀切状遺構。
もしこれが堀切であったとしてもこの深さでどこまで防御力があったのかは疑問である。
 


山頂崩落地 

tanoiri12.jpg

山頂で本郭がかつてあったとされる部分を見る。
大規模な崩落で原型はつかめない。
現在も崩落が進んでおり時折崩れる音が響いていて、そのうち現在残っている部分も消滅するものと思われる。
この城跡だけは残念ながら保存は不可能であり詳細な記録の保存が必要である。
 


tanoiri11.jpg

崩落地を覗き込むと底から噴く風で足がすくむ絶壁であるが、まま子落としの伝承があるのでかつては
まま子落としがある所まで台地がつながっていたのであろう。
 


hikisiro104.jpg

日岐城南番所から見た田ノ入城① 

tanoiri6.jpg

田ノ入峠から見た田ノ入城① 

以上、田ノ入城①をお送りしてきましたが、城跡伝承地は崩落してしまい確認のしようがありませんでした。

もしこの場が城跡であるとすれば、池田町滝沢から生坂村へ抜けるこの田ノ峠を抑える役目と生坂方面の

監視の役目を帯びていたものと思われるが、明科方面が(現状では)見えないのが気にかかるところである。

次回紹介する、城跡②とされる所はこの①では見えない明科方面が眼下に見えるところにあり、①の見えない

部分をカバーできる位置にある所も気になる所である。



~参考文献~

池田町誌     (池田町誌編纂委員会   平成4年)

信濃池田町史話  (仁科 宗一郎      1964年)

山城探訪     (宮坂 武男       平成10年)



田ノ入城①の位置
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  1. 2012/08/18(土) 17:14:13|
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