FC2ブログ

長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

生坂村  高津屋城

所在地・・・・生坂村東広津                             訪城時間・・・・駐車場から5~7分

別 名・・・・高津屋物見                               危険度・・・・★☆☆☆☆

訪城目印・・・・高津屋森林公園内



                  ~高津屋城の歴史~

『生坂村誌』には、大久保と大日向の境の標高776mの山頂に在り、約50m×30mの平地があるだけで人の手を加えた跡は見られない。
*『山城探訪』には本郭裏に堀切があるとしている、・・・(藪で確認できず。)
寛政元年『池田組明細帳』に「高津屋城、十四、五間四方程、山ノ峯ニ松木立ノ当時、秋葉大権現社アリ」とのる、明治40年代大日向神社に合祀された。
山頂からの眺望がよく、北山方面と犀川べりを見張る物見台であろう。
高津屋城は日岐大城の目の前にあるので大城の支城で大城がらは山が邪魔で死角となる池田町北山方面を見張っていた物見の砦であろうか?しかし、説明板では大日向氏の城で日岐の殿さまと戦ったと記されている。
大日向氏と丸山氏が戦うには時間的にずれがあり(大日向氏が去ってから丸山氏が入ってきたとされる)この二氏が戦うことはありえないので、大城に誰が居て、高津屋には誰が居たのであろうか・・・??
信じられない伝承である。
なお、高津屋へは確かに大日向氏の内城の近くから道があるものの、高津屋から大日向氏の本拠は直接見ることは出来ない。
大日向氏の城とするなら、どこを経由して緊急を伝えていたのであろうか・・・課題ですね。


ikusakatakatuya8.jpg

高津屋城は現在、高津屋森林公園として整備され、一年中きれいな状態で見て回ることが出来る。
山の上にありながら車で訪れ駐車場も完備されている、最高ですな!
なお、写真にある狭い車道(大きい車は無理)を尾根通しに進むと中山城のある中山神社へ車で行ける。


ikusakatakatuya7.jpg

森林公園内に展望台として道が整備されているので安心です。
ニホンシカがいたのはビックリしましたが・・・ (゜-゜)


ikusakatakatuya6.jpg

山頂の本郭とされる平場を見る。
手前が二段になっているように見えるけど公園化による改変であろうか?


ikusakatakatuya2.jpg

本郭の平場である?・・・これは・・・土俵です・・・誰が相撲をこんな山の上でするのであろうか。
ここまでいじられると・・・どこまでが遺構かわからん!


ikusakatakatuya4.jpg

本郭の裏側(北側尾根続き)には土塁ともとれるような高まりがみられる、
『山城探訪』では、この奥に堀切があると書かれている(藪で確認出来ず)のでもしかしたら土塁かも。


ikusakatakatuya3.jpg

ikusakatakatuya3 (2)

神社跡・城跡の説明板を見る。

ikusakatakatuya1.jpg

だらだらとなっている山頂付近・・・・目立ったものは無し!

ikusakatakatuya5.jpg

説明板にあった日岐の殿さまと高津屋城での戦い・・・ありえないだろ。
戦いができる遺構は無く、ただの物見の砦である。絶対攻められたら・・逃げるね!


ikusakatakatuya9.jpg

本郭からの眺め・・・本当に目の前に大城があります。 
伝承が本当だった場合、こんな近くで敵にいつも見下ろされてたら怖いよね~ (-.-) 


皆さんは、誰に属した物見だと思われますか?


それとも~・・・ん~・・天正10年頃の日岐大城を落とした小笠原貞慶軍と丸山氏の残党の戦いとか?あったのかな~?
素人にはわかりませんな~  (-_-;)
 




~参考文献~

生坂村誌   (生坂村誌刊行会   平成9年) 
 
スポンサーサイト



  1. 2012/06/07(木) 04:21:58|
  2. 生坂村
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:2

生坂村  城が原・こやしき

所在地・・・・生坂村下生坂雲根                             訪城時間・・・・5~10分

別 名・・・・なし                                       危険度・・・・★☆☆☆☆

訪城目印・・・・雲根バス停



              ~城が原・こやしきの歴史~

下生坂雲根の北部、犀川の第二段丘の平地で畑(120m×60m)で、南側に自然の堀がある。

関係地名として東上に馬セバあり馬場としては適地で、南隣のカマ田は南方の構えであろう。

東の山の上には猿が城と雲根峠があって込地方面へ行く要地である。

段丘上の平地で犀川べりの監視もでき、猿が城や、眠峠方面を守る武士が居たところであろう。

その他の説として、上にある猿が城の根小屋であったとするものもある。

なお、標柱では丸山氏の家臣の屋敷地であろうとしている。


             ~城が原・こやしきの現状~

ikusakakoyasiki10.jpg

城が原・こやしきの遠望。
国道19号線の南側少し高くなった台地上にある。


ikusakakoyasiki5.jpg

台地上は狭い道と畑・住宅になっていて、藪の中に忘れられたように標柱が建っている。

ikusakakoyasiki1.jpg

消えそうな標柱を見る。
現在生坂村では遺跡などの説明板を立て直しているのでもしかしたら新しいものになっているかも?


ikusakakoyasiki9.jpg

台地上に上がる道沿いに見えるこの窪みのことを自然の沢を使用した堀としているのであろうか。

ikusakakoyasiki8.jpg

こやしきの平地と後ろに猿が城のある山をみる。
後ろの猿が城の根小屋との見方があるが、確かにこのこやしきは自然の沢を使用した堀状のものはあるものの、
要害の地ではないので、猿が城が雲根峠を抑える為の城で、こやしきが城主の根小屋であったのであろう。


ikusakakoyasiki6.jpg

畑になっている城が原を見る。
ここが馬場跡であろうか?広い平地が広がっている。


ikusakakoyasiki2.jpg

犀川がある北側には一段低い田んぼがある。
ここも防御の為の郭であろうか。奥に矢竹が茂っている。


このこやしきは、西側にある日岐大城の本城にかかわる丸山氏の家臣の屋敷地であり、猿が城の根小屋であったものと思われる。


追記・・・・12,7,22 日岐大城再訪

oosiro000.jpg

日岐大城を再訪した時に大城への林道から城ヶ原を見下ろすことが出来ました。 

oosiro0000.jpg

城跡が上から見えるってわかりやすくていいですね。。
訪城する時はご参考にしてください。


~参考文献~

生坂村誌   (生坂村誌刊行会    平成9年)
  1. 2012/06/07(木) 03:28:03|
  2. 生坂村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR