長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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行ってきました!!

今回、11月29・30日と有休を取得して城跡浸けの日々を過ごしてきました。
これからは、訪城したものを報告していきたいと思います。。。。

ただ、記事はいつになるかは不明ですが・・(-。-)y-゜゜゜
 


~ 11月29日 ~

散々だった訪城・・・鳩吹城(伊那市)

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今回の最大の目的地であった伊那市最奥にある義信の城(比高220m)を目指した。しか~し!
何故か尾根を間違え急斜面・ものすごい籔・あいつの痕跡がある山を登ってしまった。
間違えに気付いた時には比高300mを越えていた。。。。。既に山頂は彼方だが見えている。
2時間20分の格闘の末、見たものは・・・・林道があるので後にとっておいた鳩吹城(比高350m)だった。
・・・・・この続きは辛すぎたので次回書きたいと思います。。。(-_-
;) 



お手頃で良く残る・・・城平の城(伊那市) 

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鳩吹城で力尽きたので比高の低い城を探し訪れた。
遺構の残りは素晴らしく一気にテンションup!!走りまわったのは言うまでもない。
 


伝説の犬房丸の墓・・・・(伊那市) 

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犬房丸は、この小出の地を治めていた工藤氏(後の小井弖氏)の嫡男のことで、「犬房丸伝説」というものが
存在する。
 


小井弖氏の本城・・・・小出本城(伊那市)  再訪

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小出本城は、小井弖氏の本拠地とされ周囲にたくさんの支城を配している。
この城は広大で、本郭には見事な二重堀切を構築している。
 


耕地整理により消滅・・・・小出荒城(伊那市)  再訪

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この小出荒城は、小出本城に比べて新しいことから荒城(新城)と呼ばれたようである。
しかし、この城はすでに耕地整理によりほぼ(腰郭は残る)消滅してしまった。
発掘時、内堀・外堀・門跡などが確認されている。
 


発掘により発見された城・・・・フブキ垣外城(伊那市)  再訪

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この城も耕地整理時の発掘により発見された城で、内堀などが確認されていて、現在も外堀などが残る。 

~ 11月30日 ~

絶品の遺構・・・・船山城(中川村) 

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この城はよく違うサイトでも紹介されていて有名な城である。
今回はこの城を隅々まで堪能してきました・・・・それにしても広大でしたね。


耕地となりながらも良く残ってくれた・・・・・葛島城(中川村) 

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船山城の片桐氏の子久信がここに居館を営んだとされている。
この城には、カーブしている堀や二本の堀が一本にまとまるものがあったりと戦国後期の遺構を残す。
すばらしかった!!! 


最悪な城址公園・・・・大草城(中川村) 

ookusasiro246.jpg

城址公園とは名ばかりで、城跡のことは一切考えられていない公園であり、これが村の史跡指定とは笑止千万!
二度と行かないであろう城跡№1。。。いいのは眺めだけ。
 


笹藪に飲み込まれていく城・・・・トヤゴ城(飯島町)     再訪 

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トヤゴ城は無名ながら堀の規模や虎口が残るなど、見るべきものは多いが残念ながら笹藪に飲み込まれようと
している。なんとか整備は出来ないものだろうか。
 大好きな城なのだが。。。2年ぶりに訪城したら籔が進んでいて近寄るのも一苦労だった。
 


指定史跡が聞いてあきれる・・・・本城(豊丘村)   再訪

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この本城は1年前にも訪れたことがあり、前回は倒木が酷かった記憶があった。
少しはましになっているかな?と思い再訪した・・・が・・・さらに酷くなっていた。
看板と入り口の標柱(道は無し)がきれいだったがあんな荒れた城に誰が行くのであろうか? 


推定地・・・・沼ノ城(松川町)   再訪

numanosiro926.jpg

前回に訪れた時の写真が無くなってしまったので、訪れてみた。
ここは大島城の支城とされているが遺構は見られない。消滅したという話はないので推定地である。
しかし、松川町の資料館の館長は、沼ノ城はここではなく、国道153を挟んだ西側にある城ではないか
と教えてくれた。 


最高芸術・・・・・大島城(松川町)  再訪

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いつ訪れても感動する城跡であり、今回は堀の中などが間伐されてさらにきれいになっていて、ここの隅々まで
堪能してきた・・・・が・・井戸の中をのぞくと!!!タヌキがうずくまっていた。
わずかに反応する、きっと数日前から落ちてしまったんだろう。
あわてて町役場に電話すると、「助けるかはわかりませんが、相談してみます。」との冷たい対応。
あのタヌキはどうなっただろうか。。。。。人間のせいなのに。
 



っと、2日間で再訪も含めて12城を訪れてきました。。。。ハードだったな~。

これらの城の記事はいつのことやら。。。。。期待しないでお待ち下さい。

12月1日は、飯田市の神之峯城の発掘現地説明会ですよ。。。興味ある方は行ってみてください。


次回は・・・・鳩吹城(伊那市)です。  お楽しみに!
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  1. 2012/11/30(金) 20:44:40|
  2. 本日の訪城
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塩尻市  慈光院館

西條城砦群 飯縄城主居館跡

                ~ 慈光院館の歴史 ~

 「塩尻市誌」の飯縄城の項の慈光院の居館について、

この城(飯縄城)の山麓部が展開していたと思われる。

この部分には、飯縄城の城主が日常生活を営む居館や、その家臣達の屋敷が置かれていたと推定することが出来る

また、その外側には城下集落や、城主の直営田などが配置していたものと思われる。

まとめとして、(前略)飯縄・嵐・西條の三城は、構築された時期には多少のずれがあるにせよ、一体となって

機能して、16世紀末期まで使用されたものと思われる。その用途は、小笠原氏の在地支配の拠点であったと推測

される。とある。



               ~ 慈光院館の現状 ~

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この図面に沿って紹介していきます。 

ziklouinn4.jpg

館跡に建つ慈光院を見る。 

 この慈光院の碑には・・・
「當院は今を去る四百年前大手の城址に在りしが、享和年間中興照山廓明尼首座が此の地に開山す」と刻まれている。 


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慈光院内部を見る。
この寺院が存在する平場もかつては居館の一部であったと思われ、図を見ると堀②が斜面を登っているのがわかり、
もしかしたら北側の堀③ともつながっていた可能際も感じられる。
 


~ 堀① ~

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zikouinn2.jpg

現状、堀①は砦跡の北側下に存在し居館へ北側から進入するのを阻止するように掘られているが、一部しか残存
していない。(一部に居館内側に土塁が付属している)
塩尻市誌の見解では、この堀は居館を囲むように掘られて総構えのようになっていたのではないかとしている。
 


~ 居館内部 ~

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中央部に祀居館のられる祠を見る。
居館の守り神だったのであろうか、鳥居が新しくきれいな道も付いていることから大切にされていることが窺える


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居館の内部は緩やかな傾斜を段郭のように削平地を造って居住区を確保していて広大な平地というものは存在せず
現在の遺構を見る限りでは居住には不便ではなかったかと思われる。
 


zikouinn5.jpg

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高さ2m~3mの高さの切岸で削平地を確保しているが狭い為、ここに建物があったかは疑問である。 

~ 堀② ~

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この堀②は居館中心部とされる部分を二分するように掘られていて、上幅6m程、上幅約3~4mの大規模なもので
見事である。(未整備なのが惜しいが・・・)
 


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堀②には堀の東側(下側)には高さ2m程の土塁が付属し、居館の下側と上側を完全に遮断し上側が重要部分
であったことを教えてくれている。
 


zikouinn11.jpg

この堀②の北側(飯縄城東尾根)の斜面上部まで掘られていて東尾根上の城と連携して防御していたことが分かり
居館上部には絶対侵入させないという強い意志を感じる。

現在、線路に遮断されてしまっているが、この堀②から当時の大手道ではなかったかと思われる窪みが掘られていて飯縄城の大手は、東尾根と北西尾根の間の沢沿いであったと想定されている。 


~ 砦跡 ~

zikouinn3.jpg

慈光院から見上げる砦跡。
砦跡は慈光院北側に存在し、居館の北側を守るように築かれていて居館に付属する物見か飯縄城の前衛の砦で
あったと思われる。 


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砦は居館からの比高約40mにあり傾斜は40度の急斜面であるが、写真のような削平地が4か所設けられていて、
防御を施している。


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砦の南側斜面には堀③の竪掘が掘られていて、深さは30cm程に埋まってしまっているが、この堀を辿れば堀②に
接続するのではないかと考える。
 


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砦の上部は削平された二段の郭となり、下の段の北側には写真のように2mの土塁があり砦内部では一番高いこと
からやはりこの砦は北側の館外に備えていたことがうかがえる。
なお、砦の西側は線路により破壊され以前の状況はわからなくなっている。
 


iinawa34.jpg

砦の上段(南側)には虎口状の土塁が築かれている。
この土塁の虎口状遺構は居館側に開いていてこれが虎口ではないかといわれるゆえんとなっている。
 


iinawa 36

虎口の西側土塁(高さ約1m)

iinawa 38

虎口の東側土塁(この東側土塁は2mほどあり西側より高く造られている) 


・・・・・と長々と書いてきましたが、居館跡の状態は伝わったでしょうか????

この居館跡は、小岩嶽城の宿城、塩田城の居館部のように段郭と横掘など共通したような造りとなっているが、
規模的には小さく権力の差を表しているのであろうか?

全体的にいえば残りは悪く全体像はつかめないが宿城として興味ある遺構であり大切にしてほしいものである。


iinawa31.jpg

居館から見る城砦群の一つ上の山城 


~ 参考文献 ~

山城探訪     (宮坂 武男      平成10年)

塩尻市誌     (塩尻市誌編纂委員会  平成7年)
  1. 2012/11/26(月) 21:39:15|
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塩尻市  飯縄城③

長々と書いてきましたが、飯縄城の最終回です。 

iituna4.jpg

今回は、飯縄城の中枢部のC地区をお送りしていきます。 

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拡大図・・・・ちょっとでかすぎかな~  (-。-)y-゜゜゜ 

~ 堀① ~

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前回お送りしたA地区の素晴らしい段郭を抜けると、尾根は急斜面となって本郭のある山頂へと登っていく。
その急斜面に下からは見えないように堀①は構えられている。
 


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堀①は横から見ると写真のようにただの腰郭のように見える。 

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しかし、縁部を見るとわずかながら窪んでおり、斜面をこの窪みが下っているのでかつてはこの場所が堀切であっ
たことがわかる。
この堀は、下から登ってくる敵をいったん立ち止まらせ、上の本郭から敵を攻撃するという考えの元に掘られたの
ではないだろうか。 


~ 郭① ~

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飯縄城内で最高地点にある郭でもちろん本郭である。
この郭は広大な城域に比べ狭いもので広さは26m×17mで、内部は削平をしっかりされ四周に土塁を構築している。 


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本郭の周囲の南西側を除いた三方向には約高さ1mの土塁が取り巻き、

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尾根続きの南西側は城内最大となる高さ3mの土塁が構築されて尾根続き側を守っていて、本郭裏にある大堀切の
堀底からは約8mの高さを誇る。 


~ 堀② ~

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本郭南西にある大土塁から見下ろす堀②
堀底からは8mあり、垂直に近い壁となっている為にどこから下りるか迷ってしまう。
 


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飯縄城で最大の堀切となる堀②は上幅13mの規模である。
良く言われることであるが、本郭の裏に築かれる大堀切は小笠原氏による典型的な築城法だとされている。
 


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堀②から本郭切岸を見る。。。。。どう見ても壁である。。 

~ 堀③ ~

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堀③???は堀②から土塁状の土盛を挟んで存在する。
この堀③はあまりにも浅すぎて堀とは中々気付かないが。。。。。
 


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斜面を下りて横から見てみると、堀のように窪んでいることが分かる。

iituna94.jpg

そして斜面の竪掘を見て堀切と納得する。。。。(-_-;)

その後、この堀から尾根は比高を上げながら緩やかに登って行き、嵐城への急斜面となって行くが、
その間に堀④・⑤・⑥と三本の堀切を入れており、飯縄城の搦め手の尾根には合計五本の堀切か構築されて
厳重なほど飯縄城と嵐城間の尾根を守っている。
よほど尾根筋からの攻撃に脅威を感じていたのであろう。
 


~ 堀④ ~

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こちらも堀③と同様に堀とは思えないほど浅いものである 

~ 堀⑤ ~

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こちらは確実に堀切と確信する。  なぜなら~

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尾根の両斜面に竪掘として落とされており、防御意識を感じる。
この堀④と⑤で二重堀切となっているが。。。。現状を見るとどこまで防御力があったかは疑問ではあるが。  


~ 堀⑥ ~

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堀⑤から30mほど尾根を登っていくと飯縄城最後の堀切となる堀⑥が現れる。
この堀は上幅4m・深さ1.5mほどで飯縄城側に土塁を伴っている。 


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この堀⑥も尾根の両側に竪掘として落としていて、尾根の横移動を制限している。
この堀以降は尾根が急に高度を上げて登って行き嵐城へ延びるが間に遺構が見られないことからこの堀⑥が飯縄城
の城域最後の守りであることがわかる。
 


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飯縄城をくどいほど詳しく紹介してきましたが飯縄城の素晴らしさは伝わったでしょうか?

飯縄城は西條城・嵐城と本城としての機能を移し最後に本城になったと云われており、その内容の通りに
城の造りは三城中もっともすぐれたもので、戦国末期まで改修されたものと考えられる。

興味のある方は是非訪れていただきたい城跡の一つです。


次回は・・・・飯縄城の根小屋である、慈光院館をお送りします。  お楽しみに!! 


~参考文献~

山城探訪   (宮坂 武男      平成10年)

塩尻市誌   (塩城市誌編纂委員会  平成7年)
  1. 2012/11/21(水) 04:47:26|
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塩尻市  飯縄城②

季節がら、訪城に夢中になってしまい記事を書くのを忘れておりました。。。。(-.-)
今回紹介するのは、、西條城砦群の飯縄城北西尾根(A地区)でございます。 


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今回はA地区です。。。。。。間違えて2回もじっくり見てきましたので詳しく書けると思います。(-.-) 

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A地区の図ですが、こちらを参考にご紹介します。 

~ 郭① ~

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北西尾根の先端部は他の斜面に比べて、傾斜が緩く敵に一番攻められやすい場所のため、この部分には
数は少ないものの削平地が設けられている。
 


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斜面にこのような削平地が見られ、他の尾根にも見られる削平地と同じなので数は少ないものの防御施設と
して構築されたものと思われる。
 


~ 堀① ~

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上幅約4m・深さ城内側から約2.5mほどの小規模な堀切が北西斜面を登り詰めると最初に現れる。
この堀切は、小規模ではあるが斜面を登り切ってすぐにある為、斜面を登ってきた敵には見えない為
大きな効果があったと思われ、両斜面にも竪掘として落としており、斜面の移動も制限している。
 


~ 堀② ~

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堀②の全景です。
堀の深さより切岸の高さで勝負って感じですかね。
 


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上幅約3m・深さ中心部側で4mほどでしょうか、この堀切は堀切としての機能より竪掘としての機能が
優れている。 


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この堀②から落とされた竪掘は途中で二股に分かれ、更に先端部分ではまた二股に分かれるという中々
御目に書かれない構造になっていて堀①の竪掘とこれから紹介する堀③の連続竪掘と合わせて北側斜面の
防御を堅固にしている。(写真では難しいので図をご参照ください) 


~ 堀③ ~

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ん~・・・わかりずらいな~・・・(>_<) 


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これも無理か~・・・やっぱ堀の深さが30cm程度では・・・・写らないな・・  

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竪掘の一部のみの写真でお許しください!!
この堀③は、堀①と②の間の北東斜面に連続竪掘として3本構築され堀①②③と合わせて5本の連続竪掘として
北東斜面の横移動を執拗なほど遮断している。
 


~ 郭② ~

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北西尾根の防御中心拠点となる郭②である。
この郭②は北西尾根では唯一のまともな郭で削平も丁寧にされている。
 


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郭②の周りは郭③④とする帯郭が何段にも構築されており重要な郭と考えられていたことが分かる。 

~ 郭③・④ ~

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郭②を取り巻く帯郭群で、西側の斜面においては中腹まで構築されており、あまりの残りの良さに
ちょっと城郭遺構か疑いの目で見てしまった。。。。 (>_<)  しかし・・・うつくしい!! 


~ 堀④ ~

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北西尾根最大の堀切で上幅約7m・深さ4mほどのものでC地区の飯縄城中心部とを完全に遮断しており、
縄張り的に見ればA地区はこの堀切により独立した出城のような造りとなっている。
 


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この堀④も両側に竪掘として落とされています。 

~ 郭⑤ ~ 飯縄城中最大の見どころ段郭群 

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この郭⑤はA地区とC地区間に構築された段郭群で今まで見てきた城跡で一番感動する段郭であった。
一つ一つの段郭が約3~4mの切岸により造られそれが永遠と山頂近くまで続くさまは絶景である。
よくぞ400年も500年も残っていてくれた!!!っと思わず叫んでしまった!!  


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この段郭を越えて登っていく辛さはある意味、攻めての兵士の辛さを味わえる貴重なものかもしれない。
飯縄城を訪れる際は、絶対見て欲しい秀逸の遺構である。 




・・・また、長々と書いてしまいました。。。。

どうしてもこの遺構の素晴らしさを伝えたくて。。。。興味ある方だけ見て下さい。 (-_-;)

C地区をまだ書いていないですが、A地区は他の地区に比べて構築年代が新しい印象を受けた。
A地区だけを見れば小さな城跡に匹敵する豪華な造りとなっていて戦国末期まで修築され続けた
のであろう。

お勧めですので是非、見に行って下さいね!!!


次回は・・・・やっと最終回のC地区です。。。。興味ある方はお付き合いください。。
  1. 2012/11/18(日) 16:21:23|
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塩尻市  飯縄城①

西條城砦群最大の要塞

所在地・・・・塩尻市塩尻町上西条                      訪城時間・・・・慈光院館から30~40分

危険度・・・・★★★☆☆                            訪城目印・・・・慈光院

訪城日・・・・平成10年4月10日・平成12年11月11日



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国土地理院 2万5千分の1 地図使用

              ~ 飯縄城の歴史 ~

「信府統記」に「上西条山古城地、上西条村ヨリ巳午(南南東)ノ方二十五町」、「小笠原簡斎居住アリシト云イ

伝ウ」とあるのがこの城を指すものと思われ、城の名前は堀内千萬蔵氏が「今仮に飯縄城」といったことによる

もので城の尾根上から東に分かれて突出する尾根上部に祀る飯縄権現社にちなんで名づけられたものと思われる。

塩尻市誌にはこの飯縄城の構築年代を、不規則な小削平地を無数に設けるなど縄張りにまとまりが感じられない

ので15世紀末期~16世紀初頭の構築と推定することが可能である。ただし三城とも土塁や空掘等は、戦国末期

ころに改修されたものと思われる。(中略)飯縄・嵐・西條の三城は構築された時期には多少のずれがあるにせよ

一体となって機能して、16世紀末期まで使用されたものと思われる。

その用途は、小笠原氏の在地支配の拠点であったと推定される。とある。



               ~ 飯縄城の現状 ~

IMG_0003 - コピー (2)

飯縄城は他の2城と違い広大な城域と段郭・堀切をもつ地域の中心的な造りの城となっている。 

iituna6.jpg

2回の訪城時の登城路
この城への明確な道はなくとにかく比高190m・斜度40度の急斜面を直登するしかない。
1回目の訪城で納得のいく写真がなかったので、先日写真を撮り直しに登ってきました~ (^v^)


842.jpg

今回は1回目の訪城と違う斜面を直登しましたが、やはりどこを登っても急斜面です。 

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どの斜面を登ってもこの城の特徴である、写真のような腰郭状の削平地が無数にあり、敵に備えている。

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飯縄城は城域が広いので、3つの区画に分けて紹介していきたいと思います。 

~ B地区 ~

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この地区は。。。。。最初の訪城では堀①に登り着いたのでその下の郭・堀が未調査となってしまった。
そして先日の調査では・・・・A地区から登り、、、方位磁石を忘れ。。。なぜか同じA地区の尾根を下ってしま
い下りてから間違ったことを気付くという不手際をしてしまい、B地区の未調査区をまたも調査出来なかった。

準備不足と一回訪れているという油断・・・・反省せねば。


気を取り直して。。。。一部のみですが紹介していきます。 

~ 段郭 ~

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B地区北側斜面(推定大手側)にはおびただしい数の大小の削平地が構築されており、大手を守っていたようであ
り、急斜面と合わせて厳重な防備となっている。

城跡の斜面を登りなれていない方は、絶対登らないように!!! 
バランスを崩したら真っ逆さまに落ちてしまいますよ~。


~ 郭① ~

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郭①の切岸を下の帯郭から見る。(高さ2m程度) 

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郭①内部を見る。
内部は藪が酷く詳細は確認できないが、丁寧に削平がなされている。
 


~ 堀① ~

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堀①上部から堀を見下ろす。 

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堀①を横から見る。
上幅6m程で堀底から本郭側は深さ3m程度あり厳重に尾根を遮断している。
B地区は未調査区の図を見てもわかるように堀切と段郭が多用されている。
これはB地区の尾根筋が麓の居館を回り込むようになっており傾斜が緩い為、敵の侵略を一番受けやすいことから
この厳重な防備を設けているように感じる。


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この堀①を越えると尾根は急な登りとなり城の中心部C地区へ入っていく。 

~ B地区のその他の遺構 ~

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郭①の北側にある帯郭

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B地区とC地区の間の斜面にある「赤嵐」と呼ばれる竪掘状の窪みを見上げる。
このスーパー急な竪掘状遺構を登れば直接城の中心部に入れるのでこれが大手道とも考えられるが、
現状は登ることはほぼ不可能なほど急であるが、城が存在していた頃はどうであたろうか、A,B地区の尾根に
守られたこの場所は登城路としては最適のようにも感じられるが・・・


iituna191.jpg

居館跡の慈光院の裏から線路を越えて沢筋に入るとB地区の尾根の真下の沢に水が湧き出ている。
これが飯縄城の水の手と考えられ、ここから城内に汲み上げていたものと考えられる。
 


iituna345.jpg

B地区の尾根を貫通している線路。。。。
居館からはこの線路を越えて行きますが、キノコ山管理用の道が尾根筋にあるようですのでこちらの方が楽に訪城出来るようです、大手道を行きたい方は線路を越えて下さい。



さあ。。。。尾根を間違えてしまい詳しく調査出来なかったためにうすーい記事になってしまいましたが。。。

次回は、


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B地区から見たC地区の尾根

そう、C地区をお送りします!!
こちらは隅々まで調査してきましたのでお楽しみに!!!! 
  1. 2012/11/12(月) 16:13:30|
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塩尻市   嵐城

西條城砦群中核の砦

nisizyou50.jpg
国土地理院 2万5千分の1 地図使用


所在地・・・・塩尻市塩尻町上西条赤嵐               訪城時間・・・・飯縄城から30~40分

危険度・・・・★★★☆☆                       訪城目印・・・・飯縄城の本郭裏尾根を辿る

訪城日・・・・2010年4月10日                      別 名・・・・中西條山古城



               ~ 嵐城の歴史 ~

「塩尻町誌」の嵐城の項に、

西は下西條字洞、北は中西條字平林、東は中西條字黒嵐、南は上西条字赤嵐以上四谷の中山高の山嶺に位し

西南西條城と尾上続きに成って居る。其距離は九町、本城の平(東西九間五尺・南北十四間)周囲土塀、前後

二重堀、現今小祠稲荷石龕あり、今仮に嵐城と命名す。信府統記に中西條山古城とあり。

また、嵐城について

(前略)最初築城の際は西條城を主とせしは勿論なれども降って天文年間に至りては嵐を本城とし、(後略)

とあり時代が降った天文時代には嵐城が本城となっていたことが記載されている。

城主の記載として「ある古文書に」と前書きがあり、嵐城に中島玄蕃これに籠るとある。とし、口碑に

中村左近正これに居ると云ふ。(私見としてこの人たちは小笠原家の家臣で城代だったのではないか)

としている。



                ~ 嵐城の現状 ~

arasi14.jpg

まあね、いつもながらの図面でございますが、参考までに。 

~ 堀① ~

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西條城側から尾根を降ってくるとこの堀①が現れる。
この堀①は、上幅3mではあるが深さがあまりなく最初は通りすぎてしまったくらいわかりずらいです。

これは堀としての機能はあまり望めず、城内と城外との境界、もしくはここを降って行くと居館とされる
洞館へ行けるようなので道の跡(大手?)ともとれる。
 


~ 堀② ~

arasi26.jpg

堀①を越えて30mほど進むとこの堀②が現れる。 

arasi21.jpg

arasi25.jpg

堀②は上幅12m、深さ2.5~3mあり城内最大の堀切である。
といっても堀切らしい堀切はここくらいですけど・・・・(-。-)y-゜゜゜ 


arasi22.jpg

堀②は尾根の両脇に竪掘といて落としていて尾根の横移動を困難にしている。 

~ 郭① ~

arasi8.jpg

郭①を見る。
嵐城は基本的に単郭で本当に本城になったことがあるのと疑いたくなる削平の甘さで、北側に緩く傾斜している。 


arasi11.jpg

堀②に面した郭①南側にある高さ2~2.5mの土塁を見る。
この堀②・土塁によって嵐城の防御の重点が西條城側に置かれていたことがわかる。
 


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郭①の北側は郭半分から緩やかに上がって行き土塁状となるが、土を盛って造ったものではなく地山をそのまま
使用したような造りとなっている。
 


arasi13.jpg

 「塩尻町誌」に記載があった郭中心部にある稲荷社の祠と郭①

~ 腰郭 ~

arasi31.jpg

本郭の切岸を見る。
緩さは感じるが明確に切岸として処理していることが分かる。


arasi38.jpg

郭①から発生する北・東尾根には写真のような腰郭が構築しており防御を強めている。 


~ 嵐城東堡塁 ~

arasi6.jpg

嵐城から飯縄城へ続く東尾根の間に小高いピークが存在する。
ここが東堡塁とされている。


arasi4.jpg

この堡塁は二段からなっていて、頂上の削平地とその下の帯郭からなっており切岸も見られ砦として整っている。

arasi5.jpg

堡塁頂上の削平地見る。
ここに砦があり、飯縄城を落とした敵を威嚇する目的であったと思われる。



nisizyou12038.jpg


ちょっと長くなってしまいましたが嵐城はいかがだったでしょうか?

小笠原簡斎が居たとの伝承もありますが、どうみても西條城と飯縄城簡の繋ぎの砦程度にしか感じられず、
削平も甘く防備も頼りないこのような城が本城となった時代があったとは考えられないものである。

西條城・嵐城・飯縄城それぞれに居館の伝承があるので古い時代には土豪(西條氏?)が要害として
築いたものを城砦群として取り込んだというのは考えすぎだろうか。。


次回は・・・・飯縄城をお送りしますのでお楽しみに!!!! 

 (●^o^●) 



~参考文献~

山城探訪 松塩筑資料編    (宮坂 武男   平成10年)

塩尻町誌           (大森 球冶 ・ 三澤 勝衛 共著  昭和49年) 




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  1. 2012/11/07(水) 22:03:12|
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塩尻市  西條城③

西條城の第3回目は、南尾根の遺構を紹介しています。

nisizyou1145.jpg

~ 堀③ ~

nisizyou10.jpg

本郭から見る堀③

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nisizyu13.jpg

堀③を西側(下の写真)からと東側(上からの写真)から見る。

堀③は本郭南側に存在し上幅20mの城内最大の堀切で、尾根両側に竪掘として落としている。


nisizyou15.jpg

堀④から見た堀③と本郭。

~ 堀④ ~

nisiszyou31.jpg

堀④を見る。

堀④は、堀③から堀残しの高まりを挟んで存在するが、現在はここを山道がクランクするように通っている。


nisizyou33.jpg

堀④は上幅5m・深さ70~80センチ程度であり、どう見ても遮断線として効果があったとは思えない。

山道の状態とこの堀④の遺構から考えると、郭②から来た山道をわざとクランクさせまっすぐ進ませないように
させる為の遺構だったと考えるのはいかがでしょうか?


~ 郭② ~

nisizyou17.jpg

郭②は写真に見える細長い部分と、奥に見える鉄塔がある少し広がる部分とで構成されている。

この細い部分の郭②は、山道によるものか城によるものかきれいな削平がなされている。


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郭②の南端(城内最南端の郭)で鉄塔と土塁がある。

ここは鉄塔建設によりかなりの改変が行われているので往時、どのような削平状態だったかは不明。


nisizyo21.jpg

城内最南端で堀⑤に面して1m程の土塁が構築されている。(一部、登山道により破壊)

この土塁は堀⑤の高さを稼ぐために造られたものと思われる。
 


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郭②から見る塩尻峠方面

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アルプスも見えるんです!!

これらの景色を見てもこの城が烽火台の伝承がある理由がわかると思います。



~ 堀⑤ ~

nisizyou61.jpg

郭②~見る堀⑤  南尾根最初の防御拠点としての機能を持ち、規模も大きい。 

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堀切は、両側に竪掘として12m程、落とされている。 

nisizyou68.jpg

堀⑤の上幅12mあり郭②側は切岸が鋭く登ることは不可能に近い。 

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堀⑤から見る郭②の切岸。
まさに壁ですね~。。。。


~ 遠景 ~

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支城 上の山城の麓から見た、城砦群。

写真で見るように山頂付近には雲がかかってしまうほど高所にある城であり、どこまで烽火台として
機能出来たかはわからない。 


さあ、細かすぎるほど良く見てきた西條城はいかがだったでしょうか?

烽火台の伝承があり、もちろん眺めの良さからその機能も持っていたのは理解できる、

しかし、この城の遺構はただの烽火台ではなく郭数は少ないもののかなりの高レベルの遺構で、

堀切などを見ても戦国末期まで機能しこの城がかなり重要視されたことがうかがえる。

この城の役割の推論として「塩尻市誌」では、この山上を通過する山道の抑えとしての機能を

考えている。木曽や伊那方面に抜けるであろう山道があるのでうなずけることである。



次回は・・・・・もちろん嵐城です。。。お楽しみに!  (●^o^●) 



~参考文献~

山城探訪     (宮阪 武男       平成10年)

塩尻市誌     (塩尻市誌編纂委員会   平成7年)   



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  1. 2012/11/02(金) 04:24:14|
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塩尻市  西條城②

西條城砦群最高峰の城・・・・・・遺構編 (-。-)y-゜゜゜

さて前回は長々と書いてしまいましたので、今回はやっと遺構を紹介していきます。 


nisizyou1145.jpg

この図に沿って紹介していきます。
(西條城は、中段にある嵐城からの比高150m直線距離550mに存在する)


~ 郭① ~

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嵐城から山道を登ってくると本郭が見えてきます。
この嵐城側の尾根には支城(のちの本城?)があるせいか堀切等の遺構が存在していない。


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嵐城側の尾根には堀切等は無いが、この切岸を思わせる急斜面が防御施設だったのかもしれない。 

niizyou73.jpg

本郭内部を見る。(中央には洞峰「西條城址」の看板が建つ。) 

nisizyou78.jpg

nisizyou75.jpg

本郭全景 

郭の周囲には約50cm程度の低い土塁が取り巻いているが、あまりの低さに写真ではわかりづらいですね~。
郭内はきれいな削平がされており30×12mの広さがあって烽火台の伝承がある。


~ 堀② ~

nisizyou8.jpg

本郭から堀②①の尾根を見る。(写真中央の高まりは堀①と②の間の堀残しの土塁)

この堀②と堀①がある尾根は大芝山との尾根続きの為に二重の堀切で防御している。
 


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堀②は上幅14mの大きなもので、本郭との比高差が大きい為、かなりの防御機能があったものと思われる。

~ 堀① ~

nisizyou5.jpg


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堀①は上幅12mあり堀②よりは幅は小さいが、深さはこちらの方が深く堀①と②の間に土塁がある為に
高さが増されている。


nisizyou3.jpg

堀①内部から本郭を見る。

堀①から見ると、すぐに本郭へ行けてしまう錯覚を受けてしまうが、この斜面を越えてもさらに堀②が
存在する厳重な防御線となっている。
(これを見ると西條城がただの烽火台として存在していたのではないことが感じられる)



nisizyou48.jpg

本郭からは登った者にしか見られない絶景が・・・・・待っていますよ!!

山城の支城上の山城が眼下に見えてしまうほどの標高です!!

是非訪れてみて下さい感動ものですから。

今回はここまで(流れ的に短いですが・・・(-_-;)  )
  1. 2012/11/01(木) 03:22:06|
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現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
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