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長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

塩尻市  慈光院館

西條城砦群 飯縄城主居館跡

                ~ 慈光院館の歴史 ~

 「塩尻市誌」の飯縄城の項の慈光院の居館について、

この城(飯縄城)の山麓部が展開していたと思われる。

この部分には、飯縄城の城主が日常生活を営む居館や、その家臣達の屋敷が置かれていたと推定することが出来る

また、その外側には城下集落や、城主の直営田などが配置していたものと思われる。

まとめとして、(前略)飯縄・嵐・西條の三城は、構築された時期には多少のずれがあるにせよ、一体となって

機能して、16世紀末期まで使用されたものと思われる。その用途は、小笠原氏の在地支配の拠点であったと推測

される。とある。



               ~ 慈光院館の現状 ~

zikouinn.jpg

この図面に沿って紹介していきます。 

ziklouinn4.jpg

館跡に建つ慈光院を見る。 

 この慈光院の碑には・・・
「當院は今を去る四百年前大手の城址に在りしが、享和年間中興照山廓明尼首座が此の地に開山す」と刻まれている。 


zikouinn20.jpg

慈光院内部を見る。
この寺院が存在する平場もかつては居館の一部であったと思われ、図を見ると堀②が斜面を登っているのがわかり、
もしかしたら北側の堀③ともつながっていた可能際も感じられる。
 


~ 堀① ~

zzikouinn1.jpg

zikouinn2.jpg

現状、堀①は砦跡の北側下に存在し居館へ北側から進入するのを阻止するように掘られているが、一部しか残存
していない。(一部に居館内側に土塁が付属している)
塩尻市誌の見解では、この堀は居館を囲むように掘られて総構えのようになっていたのではないかとしている。
 


~ 居館内部 ~

zikouinn6.jpg

中央部に祀居館のられる祠を見る。
居館の守り神だったのであろうか、鳥居が新しくきれいな道も付いていることから大切にされていることが窺える


zikouinn18.jpg

居館の内部は緩やかな傾斜を段郭のように削平地を造って居住区を確保していて広大な平地というものは存在せず
現在の遺構を見る限りでは居住には不便ではなかったかと思われる。
 


zikouinn5.jpg

zikouinn17.jpg

高さ2m~3mの高さの切岸で削平地を確保しているが狭い為、ここに建物があったかは疑問である。 

~ 堀② ~

zikouinn7.jpg

この堀②は居館中心部とされる部分を二分するように掘られていて、上幅6m程、上幅約3~4mの大規模なもので
見事である。(未整備なのが惜しいが・・・)
 


zikouinn10.jpg

堀②には堀の東側(下側)には高さ2m程の土塁が付属し、居館の下側と上側を完全に遮断し上側が重要部分
であったことを教えてくれている。
 


zikouinn11.jpg

この堀②の北側(飯縄城東尾根)の斜面上部まで掘られていて東尾根上の城と連携して防御していたことが分かり
居館上部には絶対侵入させないという強い意志を感じる。

現在、線路に遮断されてしまっているが、この堀②から当時の大手道ではなかったかと思われる窪みが掘られていて飯縄城の大手は、東尾根と北西尾根の間の沢沿いであったと想定されている。 


~ 砦跡 ~

zikouinn3.jpg

慈光院から見上げる砦跡。
砦跡は慈光院北側に存在し、居館の北側を守るように築かれていて居館に付属する物見か飯縄城の前衛の砦で
あったと思われる。 


iinawa61.jpg

砦は居館からの比高約40mにあり傾斜は40度の急斜面であるが、写真のような削平地が4か所設けられていて、
防御を施している。


iinawa53.jpg

砦の南側斜面には堀③の竪掘が掘られていて、深さは30cm程に埋まってしまっているが、この堀を辿れば堀②に
接続するのではないかと考える。
 


iinawa33.jpg

砦の上部は削平された二段の郭となり、下の段の北側には写真のように2mの土塁があり砦内部では一番高いこと
からやはりこの砦は北側の館外に備えていたことがうかがえる。
なお、砦の西側は線路により破壊され以前の状況はわからなくなっている。
 


iinawa34.jpg

砦の上段(南側)には虎口状の土塁が築かれている。
この土塁の虎口状遺構は居館側に開いていてこれが虎口ではないかといわれるゆえんとなっている。
 


iinawa 36

虎口の西側土塁(高さ約1m)

iinawa 38

虎口の東側土塁(この東側土塁は2mほどあり西側より高く造られている) 


・・・・・と長々と書いてきましたが、居館跡の状態は伝わったでしょうか????

この居館跡は、小岩嶽城の宿城、塩田城の居館部のように段郭と横掘など共通したような造りとなっているが、
規模的には小さく権力の差を表しているのであろうか?

全体的にいえば残りは悪く全体像はつかめないが宿城として興味ある遺構であり大切にしてほしいものである。


iinawa31.jpg

居館から見る城砦群の一つ上の山城 


~ 参考文献 ~

山城探訪     (宮坂 武男      平成10年)

塩尻市誌     (塩尻市誌編纂委員会  平成7年)
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  1. 2012/11/26(月) 21:39:15|
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