長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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下諏訪町  高木城

4回目にしてやっときれいな写真がとれたぞ~。。。。

所在地・・・・下諏訪町高木石投場                    訪城時間・・・・10分

危険度・・・★☆☆☆☆                          訪城目印・・・・27番鉄塔巡視路入り口

訪城日・・・・2012年10月14日・2013年2月9日・3月25日



           ~ 高木城の歴史 ~

 『長野県町村誌』の「高木城墟」によると、

「村の東の方、十五町程の小高き山にあり。土人高木の城と言伝う。因に云、天文年間(1532~54)武田信玄、

諏訪処有の頃、応援の為め、砦を所々に築きし墟なりと云、然れども某氏之に居る等の年歴不詳。」とある。

また、『諏訪史蹟要項二 上諏訪編』の「高木城」では、

「築城年代は詳かでない。高木刑部左衛門尉、高木喜兵衛がこれに居たたと云う。諏訪神社下社の神役人中には

此等の人名が見える。高木氏も金刺氏の支流だと云ひ伝えられる。」

武田氏による諏訪侵攻時に高木氏は、武田氏に降ったようで武田氏配下が提出した永禄10年生島足島神社起請文

の中に見える「諏訪五十騎衆」に高木氏の名が見える。「高木正兵衛・高木清七郎」

ただ、『下諏訪の史話』に、『高木城と大和城は、大和氏の一族が居た。』という記載があるようであり、

金刺氏から分かれた大和氏、さらに大和氏から高木氏が出たという考えもあるかもしれないが不明。

その後の高木氏は不明である。



               ~ 高木城の現状 ~

takagisior91.jpg

この高木城の図面に沿って紹介していきます。

~ 登り口 ~

takagisiro71.jpg

高木地区の最上段まで行き、しだれ桜(何かに指定されている)のある道路の行き止まりにこの鉄塔NO.27の

巡視路への入り口を登っていく。


takagisiro71 (6)

尾根上近くになるとこの鉄塔が現れ、さらに上の鉄塔まで道が伸びている。

この次の鉄塔が城跡で、本郭に鉄塔が建っている。(一本道なので迷う心配はない)


takagi.jpg

尾根上に着けば奥に、高木城本郭切岸が見えている。

~ 堀① ~

takagisiro758 (2)

尾根と城内の間にあるべき堀切が見られず、切岸だけで守っているように見える。

この低い部分にわずかな段差が見られるが、現状ではここに堀切があったのか判断が出来ない。


takagisiro758.jpg

ただ、諏訪湖側には、竪掘が落とされていて、通常では堀切から竪掘が落とされているのが普通であるはずで。。

反対側の斜面は自然の沢。。。。ん~。。。。判断に苦しむ遺構である。


~ 郭①(本郭) ~

takagisiro01 (3)

通称、西城山の山頂に構築されている本郭は、27×19mで削平が丁寧にされている。

郭の北側隅部には、写真のように鉄塔が建てられており郭の一部は破壊されたと見るべきであろう。


takagisiro01 (2)

郭の東側から南側にかけて高さ30cm程度の土塁が確認でき、往古は本郭を全周していたようである。

4回訪れたが、12月~4月以外は本郭も籔となっている。


takagisiro01 (5)

本郭の中央付近には、切株の上に祠の屋根部分が置かれていてその他の部分は無くなっている。

屋根の摩耗状態からかなり古い祠のようであるが、いつのものか何の神様なのかも分からなくもの悲しい感じ。


takagisiro01.jpg

本郭からの眺めは、鉄塔があることから期待していたが、木が伸びていて下社方面しか視界が利かないが、

本当は・・・・・・・


takagisiro71 (2)

このように諏訪湖が一望出来たものと思われ重要な烽火台であったであろう。(写真は、登り口からの眺め)

~ 南側帯郭 ~

takagisito6.jpg

本郭の南側は、切岸が甘く帯郭の削平も甘い。しかも、一段しか存在せず斜面は緩く降っており防御に不安を

感じる。(ちなみに、山城探訪に記載の竪掘は自分は確認できなかった。)


~ 北側腰郭 ~

takagisiro9 (9)

本郭北側の帯郭を下から見上げる。

takagisiro9 (10)

本郭の北側には、2段の郭が構築されていて、写真は本郭下の1段目で本郭切岸の高さは約4mあり厳重である。

takagisiro9 (5)

本郭下から2段目の腰郭で、切岸の高さは約2mで削平は1段目より甘くなっている。

基本的には、ここまでが城跡の遺構と見られていて、斜面の防備の郭数からいえば北側(下社側)に備えていた

ことになり、金刺氏の支族としての高木氏という位置づけは???

このあたりは武田氏に降ってからの改修ということか?


takagisiro9 (3)

西側斜面に存在するとされる竪掘は、どうみても。。。。自然の窪みにしか。。。。まだまだ修行が足りないのか。


takagisiro9 (7)

本郭の北東斜面に入り込んでいる沢沿いには、写真のような段郭状の段々が確認出来るが、これは麓まで見られる

ことから山城探訪では、畑の跡であろうとしている。ということは。。。ここまで畑があることから、城跡も耕作

されたと見るべきであろう。。。。。。。堀切埋めたのかな~。


~ 城跡からの眺め ~

takagisiro71 (5)

takagisiro71 (4)

高木城の登り口からは、諏訪湖東岸にある烽火台伝承地がよく見え、これらと連携して甲府へ烽火を伝えていた

のであろう。(本郭は木が高く見通しが悪いので、登り口からの眺めでご勘弁を)


~ 居館跡 ~

takagitonomura3.jpg

高木氏に居館跡は、高木城の南東山麓に位置する殿村遺跡とされているが、現在は宅地化が進み遺構は残されて

いない。また、出土遺物も縄文期のものが出ていてここには建穴式住居?が復元されていて中世居館色はゼロ。


takagitonomura3 (2)

居館の北側隣接地には、東照寺という寺がかつて存在していたというので高木氏との関連も考えられる。

奥に見えるのは、老人保養施設グレイスフル下諏訪の建物で、居館・城跡の探訪の目印にどうぞ。




と長々とお送りしてきましたが、小規模な砦の域をでず、土豪の詰の城を武田時代に使用されたかは不明であるが

西側(下社側)に腰郭が多く構築されているところが気にかかる。

烽火台くらいには使われたかな。



~参考文献~  

山城探訪 諏訪資料編      (宮坂 武男)

高嶋城と諏訪の城        (郷土出版社)

豊田村誌            (豊田地区公民館   平成23年)

諏訪史蹟要項 上諏訪編     (諏訪史談会     1996年)
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  1. 2013/03/31(日) 10:16:35|
  2. 下諏訪町
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3月23・24・25日の訪城結果

有休休暇を取って3月23日・24日・25日の3日間の電撃訪城を敢行してきました。

やっぱ無茶はいけませんね~・・・・・今、死にかけてます  (-_-;)

一応、ご報告いたします。。


~ 3月23日の訪城 ~

 ◎やっぱ何回訪城してもため息がでます・・・・岩原城(安曇野市)    再訪

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本郭裏の巨大堀切

前回の訪城では、積雪ので満足な写真が撮れなかったので再訪してきました。

やっぱり広大な城域・巨大な堀切・畝状竪掘・・・・・何回見てもため息が・・・・・ウットリ。

第一級のお勧めの城跡ですね。


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麓にある岩原城の前衛の砦として機能していたとされる廃寺安楽寺跡の壮大な石垣。


 広大すぎてすべて見るのに3時間を要した無名の城跡・・・・木舟城(大町市)

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木舟城南城の前衛の堀切

木舟城は、仁科氏初期の居館である館の内館の背後にある城跡で、山城の中では県内屈指の城域を誇る。


kifume2.jpg

南城域にあるおてんじょうと呼ばれる広大な段郭の広場

こんな険しい山の上にこんな広大な平地が・・・!

たくさんある支尾根すべてに堀切が・・・・どんだけ~  (゜-゜)  見るのもつかれた・・・



こんな山奥に必要だったの????・・・・青木城(大町市)

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大町市と旧八坂村を結ぶ尾根上の街道跡

木舟城の搦め手尾根を400m程たどるとこの青木城に着く。


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本郭背後の堀切

木舟城の本郭でもかなり山奥なのに。。。さらに400m・・・きついわ!!!

この城跡の南側下斜面を旧街道が通っていて旧八坂村とつながっていたようで、この街道の抑えとして築かれたも

ので、掘切はこの1本のみ旧八坂村側に設けられている。

ただ、本郭に虎口が見られ長く使用されたようでもある。


~ 3月24日の訪城 ~

西城の支城?子檀岳城の前衛???・・・・東城(青木村)

higasi1.jpg

青木村の子檀岳の麓には城跡が密集している。

ここの中に東城があり、城砦群の中核を担っていたものと思われる。

遺構としては石積み・堀切・土塁が残存しており期待しないで行ったので結構満足できた。

ただ、尾根上は岩が露出しており険しく、下山時に同行者が竪掘を下りたいと言い出し、下りたところ

ものすごい急斜面で冷汗ものの大冒険!! こわ!


こんな砦に石積みが!!・・・・霊泉寺砦(上田市・旧丸子町)

reisennzi.jpg

国道254線沿いの霊泉寺温泉に存在し、現在は城山公園として遊歩道??が通じている。

しかし、この遊歩道もどきは結構きつく、絶対!!誰もこないだろお!!というくらい危なくもある。

遺構は、本郭(ちょ~狭い)と縁部に巡る石積みのみ途中に小屋掛け出来そうな平場を持つ。

眺めは最高で、丸子氏(かな)が三才山方面からの敵に対して備えた物見ではないだろうか。


本日3つめの山城としての訪城は選択ミス・・・・女神山城(上田市)

megami2.jpg

3つ目の山城として軽い気持ちで訪城したのが運の尽き。。。。。強烈な直登。。。これはヤバかった!

しかし、遺構は一級品で、写真のような険しい山に似合わない立派な堀切が見られる。


megami.jpg

石積みで固めた厳重な虎口

城域は狭いものの、立派な石積み・虎口・3~4重の連続堀切。。。。。。。感動モノですね !(^^)!

登りも、下りもキツイ山でしたが大満足でした。


ダマサレタ・・・・・西条城(筑北村)

nisizyou.jpg

城跡の登り口は前から確認済みであったが、めんどくさかったので放置していた。(汗)

しか~し、女神山城の帰り道。。。。遂に落としてきたぞ~ (・へ・)

城跡は。。。。。。道が整備されていたのに。。。籔また籔

平成23年設置の新しい標柱を建てるなら笹を刈れ!!!

しかも、尾根続きにある案内板の『至水の手』・・・・いつになったら至るんだ!!

沢底を行けども行けども標柱無いけど!!!どこにあるんじゃい!!(怒)

遺構は。。。。。もう行かなくてもいいかな。



~ 3月25日の訪城 ~

ここまできれいなのは今しかないですよ~・・・・大和城(諏訪市)

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諏訪地域のコンプリートも目前に迫ってきた。

今回訪城した大和城は、今までの諏訪地方の城跡では遺構・美しさではNO.1である。

現在の大和城は、去年の年末に間伐されたようで全山余計な木は伐採されていてどの遺構をみても美しい!

本郭は、桜の木を残してすべて伐採されていて土塁もよく見え、周囲には石積みも見られ諏訪ではめずらしい。


oowa1.jpg

この城の最大の見どころは、本郭裏にある4重堀切とさらに尾根続きにある2本の堀切であろうか。

諏訪地方では珍しく手の込んだ造りで、尾根続き600mには詰の城の大城があるというが今回はいかなかった。

こんな綺麗に伐採してくれたが、日当たりがいいだけに今後が心配であり行くならいまでしょ。。。(-。-)y-゜゜゜


4度目の正直・・・・・高木城(諏訪市)  再訪

takagi.jpg

高木城は、今回で4回目で最初は籔。2回目・3回目は積雪が酷くよい写真が撮れなかった。

そして今回、満を持して訪れやっと満足いく写真を撮ることができた。

遺構は、単郭で堀切1本・帯郭の小規模な砦ではあるが念願かない満足し本郭で弁当を食したのであった。

満足・満足!!!!


とまあ、電撃的に山城ばかり8城(2城は再訪なのでカウントしません)を攻めてまいりました。

これで訪城数は757城になりました。。。。これからもがんばるぞ!!!
  1. 2013/03/25(月) 22:13:41|
  2. 本日の訪城
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松本市(旧四賀村) 虚空蔵山城水の手発掘②

イカン!イカン!・・・・・シーズンOFFが近くなって訪城に夢中になって記事を書くのを忘れていた!!!  (-_-メ)

今回は、虚空蔵山城水の手の発掘の2回目をお送りしていきます。

 《今回の発掘の概念図》 

kouuzouyamasiro011.jpg

今回は、トレンチ2の下段からお送りします。
(トレンチ2の切岸石積みから下にトレンチを伸ばし3段目の郭と4段目の切岸石積みの発掘)


~ トレンチ2下段 ~

kokkuu864.jpg

横から見たトレンチ2の発掘区

kokkuu864 (4)

トレンチ2区を正面から見る

kokkuu864 (11)

トレンチ2の3段目郭の発掘

この郭の発掘では、通常郭の造成なので平坦にするはずが、計画的に傾斜を付けて造成していることが分かったが

使用目的が何であったかは不明のままである。


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郭のトレンチの先には、4段目の郭の切岸の石積みが顔を出していた。

(現地説明会では、この石積みは公開されていなかったので後日に見せていただきました。)


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発掘により露出した4段目の郭切岸の石積み

この石積みは、発掘前には一部が露出していただけであったが、土の下には良好に残っていたが、高さは約30~

40cm程度で防御というより土止め目的であったと思われる。


~ 水の手の段郭最下段の石積み ~

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水の手の段郭最下段にある石積みの清掃前の状況

この部分は、発掘ではなく石積みの残存状況の確認の為に、周囲を清掃して顔を出した石積みの報告です。

清掃前は、写真のように荒れ放題で崩落が激しく残りが悪いように見えた。


kokkuu654 (6)

清掃後の石積み全景

kokkuu654 (3)

石積みの南側を見る

南側は、高さが1m程度で大小の石を使用して構築していることが分かり、残存が悪く崩落が酷かった。


kokkuu654 (4)

北側の部分は、底部に大きい石を使用し上部に小さい石をしようしている。

一部は崩落しているが、残存状況は良好で見た目的には小笠原氏系の城郭(埴原城・桐原城など)の石積みに

似ているように見えるが一応、水の手の石積みは教育委員会の話では16世紀頃とのことなので間違ってはいない

と思われる。

この部分を見たい方は、若葉が出る前までには訪城しましょう。


~ 出土品(発掘報告会展示品より) ~

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建物に使用したと思われる釘が出土し柱穴と共に建物があったことが証明された。

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平場からは、輸入品の白磁・青磁の陶器片が出土しており位の高い人が居たものと想像される。

mizunote63823.jpg

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白磁・青磁と共に茶壷片が出土しまた、内耳鍋片も出土したことにより茶をたしなみ高級な器を所有することが

出来る貴人が内耳鍋を使いここに居住していたことが分かった。




2回にわたってお送りしてきた虚空蔵山城水の手の発掘調査の報告はいかがだったでしょうか。

この虚空蔵山は、古くは信仰の山であったことからここは寺院関係があったのではないかとの説もある。

確かに、麓の殿村遺跡(現在では寺院跡であることが濃厚)でも高級な陶器などが出土しており水の手が城郭遺構

とは断定できないが、すぐ近くの秋吉砦や中の陣にも同様な石積みが見られる。

これからも水の手周辺では発掘が続くようなので今後の成果により解明されることを期待したい。

最後に掲載・現場の見学を快く許可して下さった松本市教育委員会にお礼を申し上げる。
  1. 2013/03/25(月) 18:43:51|
  2. 松本市
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松本市(旧四賀村)  虚空蔵山城水の手1次発掘調査①

松本市教育委員会は、旧四賀村にある殿村遺跡との関連を調べる為に、虚空蔵山城の水の手とされる部分の

段郭を2012年に発掘調査を行った。

トレンチ調査であったので部分的なものとなったが、石積みや郭の造成跡が確認出来た。

2013年3月16日に殿村遺跡とその時代と題したシンポと23年度の殿村遺跡・虚空蔵山城の発掘成果の報告会が

行われ参加してきた。ここで虚空蔵山城の発掘時の写真をブログへの掲載の許可が教育委員会から得られたので

今回は虚空蔵山城の発掘時の状況を紹介したいと思います。

*写真は、現地説明会時とその後の個人的に見学させていただいた時のものを掲載します。

*発掘調査報告書がまだ刊行されていないので記事は報告会で聞いたことを書いていきます。


見学日・・・。2012年9月9日・9月27日・10月2日

      ~ 会田虚空蔵山城水の手発掘調査の現場写真 ~

~トレンチ1~

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発掘前のトレンチ1の平場

トレンチ1の平場は、水の手とされる湧水地(遊歩道)から一段下がった一番上の郭で行われた。

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トレンチ1の発掘現場

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平場からは、約2~3棟の建物跡のピットが見つかったが、建物の柱の大きさから掘立小屋程度のもので

建て替えの痕跡は見つからず、一回限りの使用だったようである。


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壁面からは、土止めが目的と思われる石積みが出土している。


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トレンチ2・3・4の調査区を見る。

~トレンチ2~

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トレンチ2の発掘前の写真を見る。(石積みが一部、顔を出していた)

kokkuu87 (3)

発掘調査後の写真を見る。

この石積みでの特徴は、石積み下部に『顎止め石』と言われる石積みの崩落を防ぐため一部、せり出して構築する

方法を用いていることがわかった。この構築方法は、小笠原系の埴原城や桐原城などに見られるものである。


~トレンチ4~

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このトレンチ4の部分にも顎止め石が見られ、石積みが切岸の上段部分に見られることから鉢巻石垣のような

感じで積まれていることが分かる。(それとも崩れたのか?)


~トレンチ3~

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トレンチ3の発掘前の写真(この部分は、トレンチ1の平場の角部を構成する部分の石積みです)

kokuu90 (6)

この角部を構成する部分の石積みにも顎止め石が見られ、他のトレンチの石積みと違い大き目の石が交じっている

のが見られる。

郭を造成する際、隅ということで厳重に積んだことが分かる部分である。


kokuu90 (7)

トレンチ3を横から見る。

今回の石積みの発掘では、表面に見えている石の裏にもう一列積まれていることが分かり、教育委員会では、

16世紀の構築ではないかと考えているようである。(上はトレンチ1の平場)



とまあ、ちょっと長くなってしまうので続きは次回!!!

新たな発見をお楽しみに。
  1. 2013/03/16(土) 21:30:18|
  2. 松本市
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箕輪町  でゑら

上ノ平城砦群

所在地・・・・箕輪町東箕輪南小河内字大久保              訪城時間・・・・・中ノ小屋から30分

危険度・・・・★★★★☆(尾根間違えなどの危険あり、地形図が必須です。)        

訪城日・・・・2012年12月2日                       訪城目印・・・・ヨキトギ沢


bakanokoya

城跡配置図   (高度地理院 2万5千分の1地図使用)


               ~ でゑらの歴史 ~

『箕輪町誌』には、『でゑらは俗称で、台帳の字は大久保である。この城砦は同じく五郎山の一支嶺が一の沢川に

望む所(標高860m)の高所にあり、東に大久保沢が流れ、西方にはヨキトギ沢の渓谷の彼方は岩ヶ城である。

中の小屋・岩ヶ城・でゑらの三城は、およそ同一標高地点に鼎のように並んでいる山城で、藤沢及び諏訪に通ずる

一の沢谷を押さえるために築かれたものと思われる。


deera3 (3)

ヨキトギ沢を見る。

この城は山背の西側を削って東西に細長い曲輪を一つずつ造ってあり、また堀切らしいものが見出されないのは

他の山城に見られない特異の構造である。(中略)、その南端部には200㎡の広場がある。ここは岩ヶ城との連絡

を保つ為の設備であった所と推定する。(後略)。とあり、一の沢沿いの街道を見張る為の砦で、岩ヶ城と連絡を

とりながら守っていたものとしている。


deera2 (3)

一の沢沿いの道から見たでゑら(ここが昔の諏訪・藤沢を結ぶ街道であったものと思われる。)  

しかし、『山城探訪』では、『(前略)、この城(?)はほとんど自然地形で、他の二城とは少し趣を異にしてい

る。この三城(中の小屋・岩ヶ城・でゑら)が同じ時代に機能していたか、あるいは同一主体であったか問題であ

るが、これはどうも逃げ込み城と見た方がよいように思われ、百姓が利用したことも視野に入れて考えたい。』

とあり、宮坂氏は逃げ込み城の可能性もあるとしている。


deera3.jpg

ヨキトギ沢の最奥部には、写真のような広大な平坦地があり日当たりも良好で水もある。

沢の入り口を、でゑら・岩ヶ城が守るように配置されており、ここも民衆・豪族の一族などの逃げ込み場所として

利用されていたのではないだろうか。



               ~  でゑらの現状 ~

deera4.jpg

この図面に沿って紹介していきます。 

~ 窪み ~

deera10.jpg

城跡がある尾根の先端部は、しゃもじのような形をしていて凸凹が目立つ。

その尾根の付け根には、大きな窪みがある、『箕輪町誌』にはこの窪みについて、『(前略)この凹地は

デイダラボッチの足跡であるという彼の巨人伝説のある所で、でゑらの地名もそれから起ったものと云う。

(後略)』とありこの窪地が城名の由来であるとしている。


~ 高まり①・② ~

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城跡の中央部に高まり①が存在する。高さは約3mあり、頂上部は一応、削平されているような感じを受ける。

deera9 (5)

高まり①の頂上部を見る。

deera7.jpg

高まり②は、城跡の南側にあり高さ約2.5mほどでこちらは自然地形で削平などの人による加工は見られない。

ただ、高まり②の南側は一の沢側となっていることから街道を見張る物見台であったかもしれない。


~ 土塁状の高まり ~

deera5.jpg

城跡の北側から西側にかけての縁部には、写真のような土塁状の細長い高まりが巡っている。

この高まりの真下はは、ヨキトギ沢となっているので自然の高まりを土塁として活用したのであろうか。


~ 平地 ~

deera5 (3)

この平地は、土塁状高まりと高まり①・②の間に存在し、町史などはこれを西郭であるとしている。

deera1 (5)

deera1 (3)

この平地を町誌では、西郭としており「岩ヶ城を目の前に望まれる西郭は、への字形に屈曲した細長い平地で、

その延長は約80m・幅は4~14mほどある大規模なもので、その南端部に約200㎡に広場がある。ここは、岩ヶ城

との連絡を保つ為の設備があった所と推定される。」とあり何らかの設備があったのではないかと推定している。


その他、一の沢側などに削平地らしき平地が見られるが、これが人工なのか自然によるものなのか判断に苦しむ。

一応、上ノ平城砦群として紹介してきましたでゑらはどうでしたでしょうか?

城跡とはされているものの、ほぼ自然地形で防御施設も見られずどう判断してよいか迷う珍しい城跡である。

ただ、沢を挟んだ岩ヶ城からは一の沢の街道が見えないことからここに何らかの物見の施設があったとしても

よい場所ではある。また、住民の隠れ城との意見も説明にある平地に隠れてしまえば周りの高まりなどにより

下からは見えないという造りともまっている。

素人では判断できないので一応、城跡として紹介しておきます。



~参考文献~

山城探訪  上伊那資料編     (宮坂 武男)

箕輪町誌             (箕輪町誌編纂刊行委員会 昭和61年) 
  1. 2013/03/15(金) 10:03:34|
  2. 箕輪町
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箕輪町  岩ヶ城

続・上ノ平城砦群の中核をなす城

所在地・・・箕輪町東箕輪南小河内                 訪城時間・・・・ヨキトギ沢から10分・麓から30分

危険度・・・★★★☆☆                        訪城目印・・・・東山山麓歴史コースを辿る

訪城日・・・2012年12月2日


bakanokoya

岩ヶ城の位置  (国土地理院 2万5千分の1)


                 ~ 岩ヶ城の歴史 ~

岩ヶ城は、五郎山の峰が南にのびて一の沢川に望む突端部にあり、川に面する一角は直立100mの岩壁となっていて

中の小屋とは谷を隔てた東方にある。

明治12年刊行の『東箕輪村誌』には、『岩ヶ城知久左衛門隠栖ノ地と云、南は岩石険峻ニシテ下ニ市ノ沢渓水ヲ

帯ビ西北ニ堀ヲ構ヘ堅固要害ノ地タリ。方方喬松繁茂シテ景色ヨロシ。」とある。


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郭①にある城址を示す看板

また、『箕輪町誌』には、『中の小屋・岩ヶ城・でゑらの三城は、およそ同一標高地点に鼎のように並んでいる

山城で、藤沢及び諏訪に通ずる一の谷を押さえるために築かれたものと思われる。』

とあり、二つの資料を見る限りでは、藤沢や諏訪からの街道を押さえる為に一族の知久左衛門を配していたという

感じであったのであろう。ただ、三つの城の中ででゑらは、地域住民の逃げ込み城との伝承もあるようである。


iwagazyou20 (3)

この図に沿って紹介していきます。

                    ~ 岩ヶ城の現状 ~

iwagazyou20.jpg

ヨキトギ沢から見上げた岩ヶ城

今回の訪城は、中の小屋➔でゑら➔岩ヶ城の順で見て行ったが岩ヶ城とでゑらの間にはヨキトギ沢という幅・深さ

ともに大きな沢があり尾根を回り込んでいく必要があるが、今回は時間の節約のため沢を下りて岩ヶ城の乗る尾根

の斜面を直登しての訪城となりました。(道はありませんので注意!)


iwagazyou998.jpg

ヨキトギ沢の底部を見る。

~ 尾根先端部・削平地 ~

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堀①から南側、尾根の先端部へ向かうと尾根上は自然地形ながら、ヨキトギ沢側の尾根の斜面には削平地が見られる。

iwagazyou6.jpg

斜面には、2~3段の削平地が存在している。これはヨキトギ沢側の斜面は緩くこちらから攻められる恐れが高か

った為と思われる。


~ 堀① ~

iwagasiro1 (2)

堀①を横から見る。

iwagasiro1.jpg

堀①から落とされた竪掘を見る。

堀①は、上幅11mあるが深さがなく堀切としての機能はあまり感じられない。ただ、この堀から下ろされている

竪掘は堀切より深さがあり、南尾根唯一の堀切でもあるので往古はもっと深かった可能性もある。


~ 郭② ~

iwagazyou11 (2)

iwagazyou10 (4)

郭②を見る。

堀①を越えると郭②となる、写真上段は郭①で切岸で明確に分けられているように見えるが・・・・・


iwagazyou086.jpg


上段の郭①と共に尾根を東へたどると帯郭状の細長い郭と変化していく。

そしてこの城の造りの特徴となる郭②がスロープ状に郭①と合流するという珍しい造りとなる。


iwagazyou10 (3)

東側から見た郭①・郭②の合流部分


合流部分付近には郭を区切った跡などが見られないが、どのように二つの郭を使用していたのであろうか。

~ 郭①(本郭) ~

iwagazyou10 (2)

郭①(本郭)を見る。

この城の本郭は、尾根が直角に曲がる部分を削平して構築されており、広さは約35×15mで東側は上で書いたよう

に郭②と合流している。

郭内部は雑木や松なので眺めは悪いが現在、南河内区により城跡を示す看板が建てられている。


~ 郭③ ~

iwagazyou17 (2)

郭①と②が合流した部分から東へたどると、緩い登りとなり堀②へ至る。

ただ、この緩い登りの部分には人が手を加えたような写真のような凹凸が見られ、堀②に伴うと思われる土塁も

見られる。


~ 堀②・③ ~

iwagazyou2 (2)

堀②を見る。

堀②は、上幅約14m・深さ約1mで堀③・④と共に搦め手を厳重に守っている。


iwagazyou2 (3)

堀②から落とされている竪掘とその横には竪掘のみの堀③が二重竪掘としてヨキトギ沢側を厳重に守っている。

iwagazyou2.jpg

堀②から落とされた竪掘と堀③の二重竪掘を上から見る。

堀③(竪掘)の上幅は約3mで約30m掘り下げている。

iwagazyou3 (3)

堀③(左側)と堀②から落とされた竪掘を下から見上げる。

~ 堀④ ~

iwagazyou4.jpg

堀④は、城内最後の堀切で堀②と共に二重堀切として搦め手を守っている。

iwagazyou4 (2)

搦め手尾根から見る堀④と奥に堀②の切岸を見る

堀④は、上幅約6m・深さ約50cmと搦め手を守る堀切としては頼りない規模であるが、堀②・③・④と全体を見れば

搦め手を3本の堀で守るという強い意志が感じられる造りである。


iwagazyou20 (2)

岩ヶ城と中の小屋の遠景

さあ、上ノ平城砦群の岩ヶ城をお送りしてきましたが、いかがだったでしょうか。

この城は、諏訪・藤沢からの一の沢沿いの街道を押さえる為に厳重な造りとして構築されたことは間違いないで

あろうが、次回紹介するでゑらは、民衆の避難の為の城とされていることやヨキトギ沢を詰めると広大な平地が

あり住民の避難所ともなりうる場所であることからでゑらと共に住民の避難所となっているヨキトギ沢の入り口を

守るという任務も担っていたのではないだろうか。



~参考文献~

山城探訪 上伊那資料編  (宮坂 武男)

箕輪町誌         (箕輪町誌編纂刊行委員会  昭和61年)



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  1. 2013/03/12(火) 10:44:10|
  2. 箕輪町
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3月10日の訪城結果

土曜日の9日は、休日出勤でストレスがたまっていたため。。。。。。。10日は発散日とばかり、

朝6時に家を出発しいざ南信へ、待ちに待った雪解け!

前に雪で断念した岩間御嶽城周辺を落とすべく大荒れの飯島町をさまよってきました。
 



郭の削平が美しかったが、堀切が???・・・・・吉瀬の城山(駒ケ根市)

kise1.jpg

駒ケ根の訪城も後半戦に突入してきたが(記事は全然書いてないけど)、『山城探訪』の縄張り図で前から気に

なっていた吉瀬の城山を一発目に登ってきた。


kise2.jpg

城跡に鉄塔が立っているので道がついていて楽に登ることが出来る。

写真は、地元の方がくるわ様と呼んでいるという祠だかボロボロ。。。。。。誰もこんなとこ来ないよな~。

山は最近間伐され眺めは抜群!しかし、『山城探訪』に書かれているような大規模な堀切は一つしか確認できず

????埋もれるはずはないのだが?典型的な烽火台ってところです。



土豪の居館はこんなもんかな・・・・・田切城(飯島町) 

tagiri2.jpg

田切城は、公民館や住宅となりほぼ壊滅しており本郭のみ残っている。

い見ることが出来る遺構は、写真の車がある場所の堀切・土塁のみで郭内部は籔である。

ここには田切氏という土豪がいたと推定されているが詳しくは分かっていないようである。


地形は烽火台としては最適だが、何もない!・・・・・月誉平(飯島町)

tukiyotaira.jpg

月誉平は、天竜川西岸に位置し田園風景の中に巨大な台地が存在している。

tukiyotaira2.jpg

ここは烽火台という伝承があるようであるが現在、広大な平地があるだけで遺構らしきものは確認できない。

しかしここからは写真のように同じ烽火台であった吉瀬の城山がよく見えることから繋ぎの烽火台であったことは

納得できるところではある。強風のなかおばちゃん達が果樹の木を一生懸命植えていました。


また行っちゃいました・・・・・岩間烽火台(飯島町)    再訪

iwamanorosi.jpg

前回、雪が積もっていた時の訪城で写真に納得できなかったので再度写真を撮る為に訪城しました。

烽火専用の設備の為、規模は小さいが独立した烽火台というのは中々貴重なものです。


雪解けを待ちに待った訪城・・・・・岩間御嶽城(飯島町)

mitakeyama.jpg

2月頃に岩間城・岩間烽火台を訪城した際にこの城は雪が深く訪城を断念したことが悔しくてしょうがなかった。

そしてついに念願かなって訪城してきた。。。。これが中々、一人で黙々と登る城跡の不気味さと本日二回目の

山城ということで疲れはてていた。(-_-メ)


mitakeyama2.jpg

この城は、岩間氏の烽火台もしくは要害とされており山頂にある御嶽神社からさらに150m尾根をたどった奥まった

場所にある。遺構としては御嶽神社から続く尾根には遺構はないが、他の二本の尾根には堀切が2~3本入れられて

おりただの烽火台の防御としては厳重すぎる、岩間氏の要害というのが正解のような気がする。


これも写真目的の訪城・・・・・北山城(飯島町)   再訪

kitayama_20130311103812.jpg

訪城目印の城山神社の鳥居

ここは前回、夕方の訪城で写真がブレブレで記事に使えそうになかったので再度訪城してきた。


kitayama2.jpg

二重の堀と間の土塁

ここみたいに写真が気に入らず再訪することが多い。再訪回数を減らせば千ヶ所くらい越えていたであろうが。。

気に入らないようで中々進まない。。。。。この性格何とかならないものか?


船山片切氏初期の居館・・・・・片切氏居館(中川村)

katagirisi.jpg

片切氏は、船山城を築く以前はこの蔵人屋敷と呼ばれる場所に居住していたといわれている。

現在、遺構は見ることが出来ないが居館跡とされる『とい口』地籍には写真のような重厚な長屋門をもつ屋敷が

あり往時の屋敷を想像させてくれる。



古い居館の形態がよく残るとされている・・・・御北(中川村)

okita.jpg

大草氏本拠の大草城北側に存在していて、大草休斎の館跡とされている。

現在、民家の敷地となっていて中を見ることは出来ないが、丘陵の先端に位置し眺めがよく防御性にすぐれた立地

であったようだ。先端部には段郭を思わせるような段や石積みが見られる。

いつか中を見せてもらえるように頼んでみようかな。



ってことで今回は8城の訪城で748城の訪城数となりました。。。。パチパチ !(^^)!

でも中々記事書けてないのが悩みの種。。。。。だって城に居る方が好きなんだもん!

ボチボチ書いていきますのでお付き合いお願いします。
  1. 2013/03/11(月) 10:17:36|
  2. 本日の訪城
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3月2日・3日の訪城結果

今年は雪が多いものの、城跡の誘惑は家に籠っていることを許してくれなかった。。。。

ってことで、2日は伊那方面に行ってきました。
 



~ 3月2日の訪城 ~

無名の城館・・・・・中坪 丸山の城(伊那市)

nakatubomaruyama.jpg

今年は、南信の方が積雪があるようで真冬イコール南信に行けばOKなんて甘い考えで出かけたのが運の尽きであった。

この城館は、一切の歴史が分かっていないが北側約200mには、野口城の城館である野口館が存在しており、
近接しているのでこれらに関係があったのではないかと考えられている。


nakatubomaruyama1.jpg

城跡は、民家と籔となっているが二本の堀切が確認できる。

ただ今回の伊那訪城は、中信よりも積雪が酷くこの堀切に突入したところ膝まで埋まる始末でまるで堀切の底を
雪かきするような感じになってしまい靴の中は雪まみれ。。。。(>_<)


謎の城パート2・・・・・中坪の城山(伊那市)・・・・・敗北

nakatubo.jpg

中坪の城山も歴史が一切伝わっていない砦で、中坪の丸山城との関連や烽火台では。。。と考えられている。

ここは中坪丸山城の東側に存在する砦で、館との関連があると考えて館から見える山がそうであろう。。。
という軽い気持ちから登ったもののいつまでたっても『山城探訪』記載の場所につかない。。。。
ヤバい・・・・またやってしまった!

そう。。。。沢を挟んだ隣の山が砦址で今回の山は一切関係なし!!!  シクシク ((+_+))

雪山をせっかく登ったのに。。。。またガンバロ。


うんこ踏んじゃった・・・・・野口城館(伊那市)

nogucizyoukann.jpg

野口城館は、中坪の丸山城から北に200mの近距離にあり、写真は丸山城から見た野口城館です。

城域は、野口公民館となっており主な遺構は消滅してしまったようであるが、


noguchizyoukann2.jpg

公民館の西側には、堀切が残っており南側には道となった堀跡があるが堀を見ている最中。。。。。。グニョ??

ッゲ~。。。。なんでこんなところにう○こが。。。。。。。城跡でシカのものはよく踏むことはあるが、

犬のものは初めて。。。。ちゃんと拾って帰りましょう(怒り)

館跡は。。。。まあまあ。。。見なくてもいいかな。



松本市内での小笠原と武田の戦いってなんだっけ。。。。首塚(松本市) 

kubizuka1.jpg

伊那の帰り道。。。ちょっと暇だったので松本市寿をフラフラ・・・・・!!!

『耳塚古墳』。。。う~ん、何かありそうだ。


kubizuka.jpg

行ってみると神社があり、石碑には耳塚古墳跡と刻まれている。ちっ!古墳だけかよ!(古墳好きのかたスミマセン)

石碑の裏を覗いてみると。。。!  『首塚跡』とある。

碑文には、天文14年・17年に小笠原と武田との戦いがありその時の首塚である旨が書かれている。
天文14年は、武田氏が福与城の藤沢氏を攻めた時、小笠原氏が龍ヶ崎城で敗退した年であるが。、はたして武田氏
がここまで攻めて来たとは考えられないが。。。。。。?  まあ、存在するのである。



~ 3月3日 ~

3日は、『らんまる攻城戦記』のらんまるさんにご案内いただき村上氏の本拠?の葛尾城へ行ってきました。

いつも見上げるだけだった葛尾城(坂城町)

katurao.jpg

今回はらんまるさんの助けを借り、念願であった葛尾城へ行ってきた。

下からの険峻さを考えるといままで登れないでいた。。。。。ビビりなので (-.-)
登ってみると切岸の高さ・堀切の規模。。。。一つ一つが感動でした。


katurao2.jpg

規模の大きな堀切。
この規模の大きな堀切が災いして、雪が氷ついた斜面は緊張の連続。。。足が震えてしまい、
冬の攻城の危険さを改めて実感じました。


堀切の規模・きれいな郭に感動・・・・岩崎城(坂城町) 

iwasaki.jpg

この岩崎城は、葛尾城の北西尾根?に存在する城跡で比丘尼岩から登ると最初に出会う堀切は興奮ものでした。

iwasaki2.jpg

井戸跡や通路状に並んだ石積み。。。。。。珍しい遺構ばかりでした。


辛かったけど念願かなった姫城(坂城町)

himesiro2.jpg

姫城からは、葛尾城から下ってくる道と比丘尼岩からの道があるようであったが、今回は葛尾城から下っての訪城

で比高さ200m近くはかなりつらかった。。。(>_<)


hime.jpg

姫城の大きな堀切。。。。。うつくし~

らんまるさんからの姫城が謎の北条城説など楽しい話を聞きながらいちいち納得!  

さすが勉強家です。。。。


その他に、村上氏居館跡・義清さんの供養塔そして。。。

kunikiyo.jpg

山奥に存在する国清さんの墓所。。。。。ちょ~道が荒れていました・・・

なんであそこなんだろ・・・・・義清さんとの扱いの差に・・・疑問がわく。



っと充実した二日間でした。。。。記事はそ・の・う・ちかな?

最後にらんまるさん、お疲れのところ本当にありがとうございました。

感謝・感謝でございます。


bikuni.jpg

比丘尼岩。。。。きれいだったな~。。。。。お姫様は美人だったのかな (●^o^●)
  1. 2013/03/04(月) 21:38:11|
  2. 本日の訪城
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見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

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