長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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松本市  城の上砦

安曇南部の雄 西牧氏城砦群④

所在地・・・・松本市梓川梓字上角影                      訪城時間・・・0分 

危険度・・・・★☆☆☆☆                             訪城目印・・・・八王子神社

訪城日・・・・2008年7月27日・2013年5月6日


sironoue56.jpg

西牧氏城砦群北部の配置図               国土地理院 2万5千分の1地図使用


             ~ 城の上砦の歴史 ~

「上角部落のお宮八王子社の北、本神沢の谷を隔てた地字「城ノ上」5074の地点であって、段丘上の角に堀を作っ

た南北54m・東西30mの極めて単純な構えである。

いわば「伊藤坂」上の小砦と本神沢端砦との支砦ともみらるべきもので、東方に備えると共に段丘の北方にも備え

た一監視哨的拠点であったと見たい。」と梓川村誌には書かれている。

この城ノ上砦は、中塔城に小笠原長時が籠った時には本神沢端砦と共に西牧氏領北方の境目の砦として機能したも

のと思われ、普段は本神沢沿いを段丘下から上がってくる道を監視する番所のような役目をしていたのであろう。



               ~ 城ノ上砦の現状 ~

zyounoue22.jpg

この図面に沿って紹介していきます。

~ 本神沢 ~

zyounoue2 (4)

「北安曇郡誌」記載の図面を見る限りでは、本神沢に沿って登っている道(写真中央)が城ノ上砦が守っていた

段丘上への道であったと思われ、ここを突破されるとすぐ本拠の於田屋の居館へ攻め込まれてしまう位置にある。

なお沢を挟んで左側が八王子社のある台地で、右側が砦のある台地となっている。


zyounoue2.jpg

本神沢に面した城ノ上砦の切岸(高さは5~6mほど)

~ 堀① ~

zyounoue1 (4)

本神沢に面した部分から始まる堀①を見る。(現在は畑への道となっている)

zyounoue1.jpg

砦内部から見る堀①

本神沢の道と堀①が接続している所を見るとここに砦の大手があったのであろうか。。。。それとも。。。。

あとで紹介する八王子社の斜面にも堀状遺構があるので、沢と堀を合流させ道の部分のみ土橋または橋をかけて

防御していたかも。。。。。しれないな~(-_-;)


zyounoue1 (3)

堀①は城内へ伸びてくると少しカーブして消滅している。(小屋の左側にカーブしているのが分かるでしょうか)

~ 堀② ~

zyounoue6.jpg

堀①から見た堀②(便宜上分けているが同じ堀)の痕跡を見る。

この堀①と堀②(同じ堀ですが便宜上)の間は耕作により消滅しており、この畑の中央部あたりが僅かに窪んでお

りこれが堀跡であろうと考えられている。(ほん~とうに僅かすぎて写真に写らないので線をいれてみました)


zyounoue6 (3)

東側から見た堀②(本当に分かりずらいので線を入れております)

zyounoue6 (8)

堀②は東側の段丘斜面に至ると竪掘として斜面を下っている。(最近笹が刈られて見やすくなりました)

~ 郭① ~

zyounoue8 (3)

この砦は単郭で形も不思議な形である。(図面参照)

現在、郭内部は畑となっており土塁は見られないが、郭縁部に土塁が無いと比高の低い段丘なので下から丸見えと

なってしまうことから、往時は土塁が構築されていたものと思われる。


zyounoue12 (2)

城内からの眺め(一切遮るものがないので物見の砦としては優秀でしょう)

~ 八王子社 ~

zyounoue3.jpg

砦の西側、本神沢を挟んだ段丘上に所在する八王子社

zyounoue3 (2)

八王子社裏の笹藪には、本神沢側の斜面に竪掘状の窪み堀③が存在する。

これが城郭遺構とすれば、沢を挟んだ対岸の堀①と連動して段丘上へ通じる道を遮断していたのであろうが。。。

どうであろうが。。。。。。。気になる遺構であるが妄想かな (゜-゜)


~ 遠望 ~

zyounoue12.jpg

砦から見る本拠の北条城と中塔城(写真中央の畑に堀②の窪みがあるのが分かるかな~。。。)

zyounoue12 (3)

段丘下から見た城ノ上砦(高い木が立っているところ)

ち~さい砦を長々と書いてきましたがどうでしたか。。。。。。

結構細かく観察すると意外に遺構が残っているものだと感動しました!

昔の方々の足跡を是非皆様も現地へ行って観察してみてはいかがでしょうか。  (*^^)v


~ 参考文献 ~

山城探訪  補遺編 中南信編      (宮坂 武男)

梓川村誌                (梓川村誌編纂委員会  平成6年)



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  1. 2013/05/24(金) 04:22:44|
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松本市  伊藤坂上砦

安曇南部の雄 西牧氏城砦群③

nisimakinotoride1.jpg
西牧氏の城砦群の配置図                  国土地理院2万5千分の1地図使用


所在地・・・・松本市梓川梓上角影        訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆           

訪城日・・・・2008年7月27日・2013年5月6日

砦址のニの郭や周辺はリンゴ畑となっているので訪城の際は、地元の方への挨拶と時期を考える必要あり。


              ~ 伊藤坂上砦の歴史 ~

「梓川村誌」によると、

「伊藤坂上の小砦は、上角部落の地字「坂ノ上」の小砦址と共に、「於田屋」の居館の東方に備えたものであって

上角部落の西方、伊藤坂の谷の南方、段丘上の一角を利用して構築したものである。

(伊藤坂の名称はこの付近に、伊藤三太夫という者の屋敷があったことに由来しているといわれている。)

(中略)この砦は「西林」のものをやや大きくした形状をしており、その四周の地形・規模等「桜坂上」のものに

は及ばないが、「西林」「柳坂上」のものよりは優れており、「於田屋」本館の東面に備えた中核であることが

うかがえる。」とある。

東方には、小笠原氏や裏切り者の二木氏がいるのでこれらに備えた砦であったものと思われる。


itousakagami8.jpg

この図面に沿って紹介していきます。(赤線は、南安曇郡誌に記載の消滅した堀跡を書いてみました。)


            ~ 伊藤坂上砦の現状 ~

~ 郭① ~

itousakagami3.jpg

郭①は、段丘の先端部を堀で切り離した形となっており、いびつな三角形をしている。

内部はきれいに削平されているが、周辺が畑として利用されていることからここも耕作された可能性もある。


itousakagami3 (2)

郭①の先端部を見る。

先端部は、崖となっていて安曇野方面はよく見えていたものと思われるが、現在は木が茂っていて見ることは出来ない。


itousakagami8 (7)

砦址の北側にある堀状の沢から見る郭①の外観(堀①・②はこの沢へ合流して終わっている。)

~ 堀① ~

itousakagami1 (3)

本郭から堀①を見る。

itousakagami1 (5)

堀①は、上幅約5~6m・深さ約1mでこの堀は郭①を囲むような感じで竪掘としてカーブしながら落としている。

~ 郭② ~

itousakagami5 (10)

郭②は台形のような形をしており、堀①と②にはさまれていて一番面積が大きくこの郭がこの砦の主郭であったと

思われる。

現在は半分はリンゴ畑もう半分は雑木林となっている。


itousakagami5 (2)

郭②の北側は傾斜と比高が緩く一番の弱点となっているので、堀の代わりに自然の沢跡を利用して防御を固めている。

itousakagami5 (8)

また、南側の段丘崖側の斜面には写真のような段郭状の平場が四段構築されているが、城跡に関係するものか植林

によるものかは分からない。


~ 堀② ~

itousakagami2.jpg

堀②は現状では、城内最大の堀であるが惜しいことにゴミ捨て場化していて保存度が悪い。

itousakagami2 (6)

堀幅は約6~7m・深さ約1.5mで、南側の段丘崖側に竪掘として落としている。

itousakagami5 (3)

堀②の北側は、リンゴ畑への農道により破壊されていてどうなっていたかは分からないが、ニの郭の北側にある

沢跡へつながっていたことは想像できるところである。


また、堀②の西側の現リンゴ畑には図面で書いたように昔は三の郭として堀が巡っていたようであるが現状では、

痕跡すら窺うことも出来ない。


~ 砦跡から ~

itousakagami8 (4)

砦跡から見る西牧氏の北条城と田屋城。

itousakagami8 (5)

元は西牧氏方の詰城であったとされる中塔城。

(二木氏の裏切りにより小笠原氏が籠城してからは、伊藤坂上砦からさらに北側にある本神沢端砦が境目の砦と

して構築されたようである。)


itousakagami8 (6)

砦跡を遠望する。(段丘の突端部)

西牧氏城砦群の第3段の伊藤坂上砦はいかがだったでしょうか。。

この西牧氏の前衛砦の中では、桜坂上砦と共によく残っている部類に入る砦であるが現状は、堀の中にゴミが捨て

られていたりしている。

この地域の歴史を秘めている砦跡をもっと大事に残していって欲しいものである。

また、長野県埋蔵文化財センターが発掘調査した遺跡を後世に伝えるために1年に2~3か所ほどのペースであるが

すべての発掘した遺跡に説明板を設置していくことを決められたようである。

このような活動が長野県内の市町村にも波及していけば素晴らしいのだが。。。。。。。

財政が許さないか。。。。。。。。。文化財センターに期待です。




~ 参考文献 ~

山城探訪 補遺編 中南信版         (宮坂 武男)

南安曇郡誌                 (南安曇郡誌改訂編纂会 昭和43年)

梓川村誌                  (梓川村誌編纂委員会 平成6年)
  1. 2013/05/16(木) 18:25:50|
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松本市  西林砦

安曇南部の雄 西牧氏城砦群③

所在地・・・・松本市梓川林 梓字上立田                    訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆                             訪城目印・・・・秋葉神社

訪城日・・・・2008年7月13日・2010年12月27日


nisimakinotoride1.jpg
西牧氏関連城砦群の配置図                      国土地理院2万5千分の1地図使用


          ~ 西林砦(せいりんとりで)の歴史 ~

桜坂上砦と伊藤坂上砦の中間に位置し、段丘崖が低くなった部分に構築されておりこの弱い部分を補う為に構築

されたものと思われる。また、西牧氏の本拠於田屋居館の前面に位置する為、とても重視された砦であったので

あろう。詳細な歴史は分かっていない。



                ~ 西林砦の現状 ~


seirinntoride11.jpg

この図面に沿って紹介します。(赤線は、北安曇郡誌に記載の構造改善前の図面を参考した堀跡です。)

~ 堀① ~

seirinntoride1 (4)

段丘上(城内)から見下ろした堀①

段丘の緩い斜面を竪掘として落とされていて、斜面の横移動を防いでいる。

seirinntoride1 (3)

堀①(竪掘)を近くから見下ろす。

seirinntoride1.jpg

堀①を段丘下から見上げてみる。

下から見上げるとかなり角度があり、往時はもっと深かったであろうから遮断線として効果は絶大であったであろう。


~ 横掘 ~

seirinntoride4.jpg

堀①と横掘の合流部分を見る

seirinntoride4 (2)

seirinntoride4 (5)

この横掘は段丘崖縁に構築されており、緩い南面の斜面を登ってくるであろう敵に備えていたのであろう。

また、規模は上幅約7m・深さは郭側で約4mあり図面の赤線のように四角く郭を囲っていた堀の一部としても

利用されていたようである。(宮坂氏は立田坂を守る者の屋敷地のように見える。)と書いている。


seirinntoride4 (7)

道路下(郭部)のすぐ下によく残る横掘を見る。

~ 堀② ~

seirinntoride2.jpg

砦を四角く囲っていた西側の堀から落とされた竪掘であるが、現在は水路として改変されており原型は分からなく

なっている。(さらに西側には、堀がもう一本書かれているが現状では形跡は確認できない。)


~ 砦内部の現状 ~

seirinntoride11 (5)

seirinntoride11 (6)

砦跡の内部は構造改善が行われた為に、現状では砦の痕跡は一切確認出来ない。

往時にはここに四角く堀に囲まれた砦があり近距離にある本拠於田屋居館の前衛砦として重要視されていた。

しかし、そのような歴史がこの場所にあったことを知る人が少ないのは残念なことである。


~ その他 ~

seirinntoride11 (3)

段丘下から登ってくる「立田坂」で、西林砦はこの坂を守る為に構築された。(左側上が砦跡)

seirinntoride6.jpg

seirinntoride6 (3)

西林砦の東側70mの場所にある秋葉神社

砦跡と秋葉神社の間には、段丘下から立田坂を横切って堀割状に登ってくる道が存在する。その為に東側にある神

社地にはなにかしらの砦に関する施設があった可能性がある。


seirinntoride11 (9)

段丘下から西林砦を見上げる。


西林砦はいかがだったでしょうか、現状では見ることが出来ないが四角に囲む築城方法で、他の砦達も南安曇郡誌

の図面を見ると実に不可思議な堀の掘り方の砦もある。これらは他では見られないもので西牧氏独自の築城方法

だったのであろうか。。。。。。残っていたら面白かったであろうがもったいないことをしたものである。

なお、横掘が見られることから西牧氏滅亡時まで改修されながら使われたものであろうか。


次回は。。。。。どれにしようかな~  (#^.^#)

~参考文献~

山城探訪 補遺編 中南信版       (宮坂 武男)

南安曇郡誌               (南安曇郡誌改訂編纂会  1968年)

安曇村誌                (安曇村         平成9年)



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  1. 2013/05/07(火) 21:39:06|
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松本市  荒海渡砦

安曇南部の雄 西牧氏城砦群②

所在地・・・・松本市梓川上野田屋                訪城時間・・・・5分

危険度・・・・★☆☆☆☆(竪掘を見学時、沢への転落注意)

別 名・・・・新屋敷                        訪城日・・・・2008年7月13日・2010年12月27日

発掘歴・・・・昭和52年に旧梓川村教育委員会により構造改善事業に先立ちトレンチ調査


nisimakinotoride1.jpg
荒海渡砦と西牧氏関連城跡配置図

              ~ 荒海渡砦の歴史 ~

中丸田部落より、この坂上の部落に通じる上野坂の旧道「あらさか(荒坂)」を上り、段丘面に出たあたり、

尾入沢の深い谷によって突角をなしている箇所に構築されている。

東側に西牧氏が来郷した当初の居館とされる中村館がある。この居館がある段丘上へ至る坂道の防衛の為の砦と

して構築され西牧氏が居館を於田屋へ移したあとも小笠原氏などとの緊張時には改修されて使用されていたのでは

ないだろうか。廃城時期は、天正10年の西牧氏滅亡時かその後の梓川渓谷が小笠原氏の支配が安定した時期では

ないかと思われる。


                ~ 荒海渡砦の現状 ~

arakaitotoride5.jpg

この図面に沿って紹介していきます。


~荒坂(あらさか)~

arakaitotoride1 (7)

この古道「荒坂」は現在、新しく造られた車道により所々破壊されているが、砦の下部では辿ることが出来る。

この荒坂は、段丘上へ登る為には重要な道であったので砦付近になると防御遺構のようなものが残されている。


arakaitotoride1 (13)

この荒坂は、細尾根をジグザグに登ってくるが、カーブ部分は写真のように堀切状に構築されていて、

arakaitotoride1 (9)

砦側は切岸状に削られていて、砦のある段丘上は見えないようになっている。

arakaitotoride1 (11)

arakaitotoride1 (5)

また、荒坂が砦のすぐ下まで登ってくると掘③の竪掘が、尾入沢の急斜面へ落とされて細尾根をさらに狭めて

防御を厳重にしている。


arakaitotoride1

これらの防御を越えると荒坂は、砦の内部へ入っていく。

これを見ると荒海渡砦は、段丘上へ登る重要な道を城内へ取り込んで防御していたことになり、戦時は坂を守る砦

としての意味と普段は番所的な役割を担っていたものと思われる。


~ 本郭 ~

arakaitotoride5 (5)

砦の内部は、現在全面がリンゴ畑となっていて見るべき遺構は残されていない。

昭和52年の構造改善時の発掘調査ではトレンチ調査で部分的な調査であったが、砦跡の平坦部は縄文期の住居址が

大多数を占め、砦に関するピットなどの遺構は確認できなかった。遺物としては礎石らしき石が五個と鉄釉天目

茶碗の破片が出土し、掘切が1本確認されている。


arakaitotoride5 (3)

砦の構築された段丘南側は、急傾斜となりこちらから攻められる恐れは少なかったものと思われるが、現在でも

切岸(?)は鋭い。


arakaitotoride5 (2)

砦から眺めは素晴らしく、下部を通る古道の「冬道」や梓川対岸を通る「夏道」もよく見ることができたであろう。

~ 堀切 ~

この砦の堀切については、発掘調査報告書に記載されている事を書いて見ると「(前略)台地背後を2条の空掘で

切断した河岸段丘端形式の砦でもある。現在砦跡の遺構として残存しているものは6本の空掘のみで、このうち、

発掘調査では4~6の掘の一部を露呈した。


arajaitotoride3 (2)

尾入沢側の斜面に残る堀①の残存遺構

5の堀(堀①の事と思われる)は、幅6.7m・深さ2.5mで断面は朝顔形を呈していた。」とあるが、この報告書にあ

る6本の堀は現在2本の堀の痕跡しか確認できず、残りの4本はどこを指しているのか分からない。それとも荒坂に

ある堀切状遺構を堀跡の数に入れてのことであろうか。


arajaitotoride3 (3)

段丘南側斜面に残る堀②´を見る。

arakaitotoride2 (2)

尾入沢側斜面に残る堀②の残存遺構を見る。

この堀②と堀②´が繋がって堀切となっていたようであるが、台地上では消滅してしまい痕跡は確認できない。


arakaitotoride2.jpg

堀②残存部を砦内部から見下ろす。

堀①・②ともかなり埋まってしまいよく確認しないと見落としてしまいそうである。


arakaitotoride2 (3)

堀②の残存部を尾入沢側へ降りて見上げる。

尾入沢側は、急斜面となっているので転落注意。


arakaitotoride1 (14)

現在の車道から砦址を見上げる。

さあ、荒海渡砦はいかがだったでしょうか。

西牧氏関連の城館跡の中で唯一発掘調査が行われた砦跡ですが、発掘後の砦跡への処置が悪く標柱なども一切なく

唯一残った堀切の痕跡さえも保存されず埋まるに任せている状態である。また、報告書さえも図書館での閲覧も

できない状況であり旧梓川村と現松本市の無名の遺跡への無関心さが窺われる。

(西牧氏の城砦群では、説明板があるのは於田屋居館跡のみであるがほぼ消えかけている)

ぜひ、無名の遺跡でも標柱などのここに遺跡があったという痕跡を残して欲しいものである。



次回は・・・・西牧氏関連城砦群の西林砦をお送りしたいと思いますので。

どうぞお付き合いください。

~参考文献~

山城探訪 補遺編 中南信版         (宮坂 武男)

荒海渡遺跡発掘調査報告書(長野県史記載分)  (梓川村教育委員会 1978年)

梓川村誌                   (梓川村誌編纂委員会  平成6年)

安曇村誌                   (安曇村)



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  1. 2013/05/05(日) 17:52:01|
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松本市  桜坂上砦

安曇郡南部の雄・西牧氏関連城砦群

所在地・・・・松本市梓川梓字大久保              訪城時間・・・・5分

危険度・・・・★★☆☆☆                     訪城日・・・・2008年7月13日・2010年12月27日

郭内部はおおむね民家となっている為、無断侵入は控えて下さい。


              ~ 桜坂上砦の歴史 ~


nisimakinotoride1.jpg

西牧氏関連の城砦群位置図                     国土地理院2万5千分の1地図使用


西牧氏の於田屋居館の防衛のために、段丘崖縁を利用して構築された砦群の一つで、この砦は東方を意識し、

梓川を越えて居館のある北条の台地へ登る坂道の主要を押さえる為に造られたものと思われていて、段丘上に

構えられた砦群の中でも発達した構造をしており、中核的な砦で他の砦と違い西牧氏滅亡後も使用されたのでは

ないだろうか。



               ~ 桜坂上砦の現状 ~

nisimakisizyousai.jpg

この図面に沿って紹介していきます。

~ 堀①? ~

sakurasakagami1 (3)

推定堀①は、現在、歩行者用の道路として掘り割って造られている。

sakurasakagami1.jpg

推定堀①を東側から見ると、ここに堀があれば東側の台地続きを遮断し城域を構築できる位置にあり是非とも欲し

い場所であるが、現在は道となっているので断定が出来ない。


~ 堀② ~

sakurasakagami2.jpg

堀②は、段丘上を郭と郭を隔てる堀切として掘り切ったあと南側斜面を中段まで竪掘として落としている。

(郭内部は民家の為、掲載しませんのであしからず。)


sakurasakagami2 (2)

斜面を中段まで落とした竪掘は、後で紹介するが斜面の中段に構築された横掘と合流する。

~ 郭 (民家以外の畑地となっている部分のみ掲載します。) ~

sakurasakagami9.jpg

堀②と堀③の間の郭を見る。

現在は、畑地と民家となっており城跡としての遺構は見られない。


~ 堀③ ~

sakurasakagami4 (5)

堀③の台地上の堀切部分を見る。

これは郭間を区切る堀切であるが、現在はほぼ埋まっている。


sakurasakagami4 (7)

堀切は、南側段丘斜面へ竪掘として落ちて行く。

sakurasakagami4 (2)

斜面を落ちている竪掘を見る。(この先は横掘へ合流している。)

~ 掘④ ~

sakurasakagami01.jpg

掘④は、一番西側の堀切で城外と城内を区画する堀切で、この砦の堀切の中で一番大きいものである。

写真の黒く消しているのは、この土地の持ち主の方で(もちろん許可をとりました。)あるがこの方と比較しても

この堀切の大きさがわかるであろうか。(上幅10m以上・深さ約4m)


sakurasakagami12 (3)

sakurasakagami12.jpg

掘④の竪掘部分を見る。(ここには出水があるため、砦の水の手としても使用されたものと思われる)

~ この砦一番の特徴。。。。横掘 ~

sakurasakagami6 (2)

掘④の竪掘部分から見た段丘崖中段に構築された横掘を見る。

険しい斜面中段に横掘が構築されていることがわかるであろうか。


sakurasakagami6 (4)

横掘を近くで見る。(掘④側は、笹藪となり詳細はよく確認できない)

sakurasakagami6.jpg

横掘を掘③側(東側)から見る。

東側からは、横掘縁部に高さ1mほどの土塁が構築されていることが確認できる。

この急斜面に造られた横掘により南側の梓川から来るであろう敵に対しての厳重な防御線となっていたであろう。


~ 遠望 ~

sakurasakagami20 (2)

砦を東側から見る。(訪城には、写真中央にあるカーブミラーの横から入る。)

sakurasakagami20 (5)

砦址の全景(窪んで見えるところは堀切)


西牧氏の前衛の砦をお送りしていこうと思いますが、一番最初に一番よく残っているものを紹介してしまった

ので残りの砦達を紹介するのが。。。。。。心が重い。。。。

これからもボチボチ西牧氏関連を紹介していきたいと思いますが。。。。。期待しないで見て下さい。

次回は・・・・・西牧氏関連城砦群の2番手。。。荒海渡砦をご紹介しますのでお楽しみに。



~参考文献~ 

山城探訪 補遺編 中南信版    (宮坂 武男)

梓川村誌             (梓川村誌編纂委員会)
  1. 2013/05/01(水) 04:32:50|
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ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
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