長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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駒ケ根市  高見古城

崩落が続き規模も歴史も不明な謎の城址

所在地・・・・駒ケ根市西原                       訪城時間・・・・1分

危険度・・・・★★★☆☆(城跡は崩落中の為、崖部注意!)

別 名・・・・古城                             目 印・・・・駒ケ根長谷線49号天竜大橋

訪城日・・・・2011年1月22日・2月20日


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高見古城と周辺の城郭                               国土地理院2万5千分の1地図使用

天竜川河口付近の東側に西原の台地が広がる段丘上突端部に、古城あるいは高見古城と称される城跡がある。

城跡は南北約60mあるが、西側断崖面の崩落により東西は現在10~20m程しかない。

城跡付近の字名を古城と呼ばれているが、周辺に城郭の関連施設を示すような字名は現存していない。


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この図面に沿って紹介していきます。

ただ、古城から300mの地点で行われた遺跡(古城南遺跡)では、掘立柱式建物群などが出土し15世紀から17世紀

まで断続的に存続していた市場の跡であったものと推測されている。

この市場跡から東南方200mの位置には菅沼城が存在している。


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西原台地上の道路から見た古城

菅沼城主は、菅沼氏でこの中沢郷の地頭として君臨していた中沢氏の一族であったとされており、諏訪神社の祭事

を行うなど大きな権力をもっていた。この菅沼氏の居城に近く古城の存在する崖面は赤須郷(赤須氏)との大境で

あった(下平松崎文書)ことから菅沼氏または中沢氏(高見氏)によって築かれた境目の城や天竜川の水運を監視

する役割をもった砦であったものと考えられる。

ただし、この古城の名前は中沢氏・高見氏の本城であった高見城に対しての古城なのかただ単に古い城だから古

城と呼ばれているのかははっきりしていない。


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掘②を南側から見る

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掘②を北側から見る。(右側の切岸は郭①)

掘②の上幅は約15~20m・深さは郭①側で約3mあり古城と呼ばれている割には規模が大きい。しかし、掘の内部は緩く水流を利用して掘られたものと考えられている。

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掘②と掘③の接続場所(奥の掘は郭②を囲む堀②)

この城跡は、堀はよく残されているものの崖面に沿って構築されている宿命か郭の崩落が激しく奥に見える郭②は

原型すら分からないほど崩落している。


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郭①と郭②の間にかつて掘られていたと考えられる堀の痕跡。

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消滅が近い郭②を見る。

takamikozyou1 (3)

この郭②はあと何年見られるであろうか。。。。。。。すでに崖面はえぐれてしまっているので消滅するのも時間

の問題である。見たい方は急いで行くべし!


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郭①の内部を見る。

城内最大(二つしかないけど。。。)の郭でここに城を守っていた武士が小屋掛けをしていたものと考えられるが

郭内は削平が甘く天竜川崖面(西側)へ緩く傾斜している。

郭を囲む土塁も郭内は明瞭な削りかたをしておらず郭内の削平地と一体となっているのような様相をしている。

ただ、土塁には開口部が存在するので虎口が存在した可能性もあり後世に削られて低くなったことも考えられる。

郭①も郭②同様に崖の崩落が激しく現状でも郭の半分以上が崩落したものと思われ狭くなっている。


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郭①の土塁を見る。(郭内は高さ約1m・堀①側約3m)

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郭①の南側堀①に面する部分に残る土塁。

この堀①に面する部分の土塁は規模が高さ0.5~1mと小さいものの郭①内部では明瞭なものの一つである。


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郭①と堀①の間に祀られる稲荷社

この稲荷社は「山城探訪」では、城の鎮守であったものであろうとしている。

鳥居は腐って倒壊しているが、御供え物は新しかったのでいまでも大切にされているようである。


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郭①からの眺め

城跡からは眼下を流れる天竜川はもとより、対岸の赤須氏の領地赤須郷も一望のもとに見ることができ、この城が

構築された意味を感じることができる。


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城跡全景

高見古城はいかがだったでしょうか。

崖の崩落が進み堀以外あまり見るべきものは無いが、堀の規模から考えれば規模の大きな砦・館であったものと

推定出来る。

この城を管理していたであろう中沢氏(高見氏)・菅沼氏は天正7年まで武田氏の配下として名前が見えるので、

武田氏滅亡時までは使用されていたものと考えられる。天正10年にも中沢衆は見られるもののどうであろうか?

歴史あるこの城跡が消滅するのは時間の問題であろうが、人為的ではなく自然によるものなのが唯一の救いか。。

早いうちに見ておくことをお勧めします。



~ 参考文献 ~

山城探訪 上伊那資料編          (宮坂 武男)

駒ケ根市誌                (駒ケ根市誌編纂室   平成2年)

古城南遺跡発掘調査報告書         (駒ケ根市教育委員会  昭和63年)



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  1. 2013/10/23(水) 20:20:55|
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駒ケ根市   吉瀬の城山

土豪の詰城か?ただの烽火台か?

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吉瀬の城山と周辺の城郭                         国土地理院2万5千分の1地図使用


所在地・・・・駒ケ根市中沢吉瀬                          訪城時間・・・・10~15分

危険度・・・・★★☆☆☆                              別 名・・・・ノロシ台

訪城日・・・・2013年3月10日      

訪城目印・・・・県道18号線沿い南向ダム・吉瀬橋の南側にある鉄塔の建っている山


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城山の立地と周辺の状況                     国土地理院2万5千分の1地図使用

吉瀬の城山は、天竜川が蛇行した部分に突き出るように存在する城山に構築されており、三方を天竜川に囲まれ

た自然地形を最大限にを利用した要害堅固な城郭である。

大手は、現在の吉瀬集落から城山の南側にある北沢をたどり小さな沢を詰めると城山の鞍部へ登る道であると思わ

れ、現在は城山に突き刺さる鉄塔の巡視路となっている。
   


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吉瀬集落から見上げた城山

この城山の歴史は詳しくは伝わっていないが、「山城探訪」には「烽火台の伝承がある。(中略)、豪族の館跡は

不明であるが、集落(吉瀬集落)が根小屋でそこに番士の居住区があり城山を守り、烽火台の見張りの任務につい

ていたことが想像できる。吉瀬の集落は中沢郷に属していて、連絡するには裏山を越えて永見山へ出るかしないと
いけない不便なところであるが
、対岸の月誉平の砦や唐沢城・赤須城は至近で見通せるのでうまく連絡がつき、

狼煙の伝えをしたのであろう。」と書かれている。


*駒ケ根市誌記載の記事には武田氏統治時代の『高遠之新衆』の中に吉瀬善四郎の名が見える。

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大正年間に建てられた道しるべの碑(後方に吉瀬の城山を見る)

山城探訪にも記載(赤字部分)があるようにかつては北沢沿いに中沢郷に通じる古道が通っていたようで、碑には

「此方 永見山近道」「此方 南向道」と掘られていた。

この事から吉瀬の城山は、烽火台だけではなくこの古道を押さえる砦の役割も担っていたものと考えられる。


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城山麓の古道の分岐と道しるべの碑

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登城路は、吉瀬の集落から北沢沿いの道(現在は鉄塔保守道)を辿ると橋がかかっておりこれを渡り沢沿いを

保守道に沿って登ると城跡へ至る。この道はかつての大手であったものと思われ耕作跡や沢水が見られる。


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この図面に沿って紹介していきます。

~ 東尾根 ~

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尾根上の鞍部

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鞍部の堀状の峠を横から見る。

大手であったと思われる現在の保守道を登ると、堀②とされる尾根上の鞍部へ着く。ここは堀状の峠となっている

が城が存続していた時代にはここに城の入り口として門が構築されていたものと思われる。


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堀②(峠かも)から尾根を西に10mほど登ると、この城跡唯一の明確な堀切に出会う。堀の規模は上幅11mある。

写真では常緑樹により分かりづらくなっているが堀があり一段帯郭を入れてから本郭へ達しているのである。


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また、堀①は尾根の両側に竪掘が落とされておりこの堀切の規模や竪掘の状況から見てもこの城跡がただの烽火台

として構築されただけのものではなく砦として防御を意識して構築されていることが窺える。


~ 本郭 ~

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城山の山頂がこの城跡の本郭となるが、形は扇状で13×11mの小規模なもので

削平はきちんとされているものの土塁等の防御施設は見られない。


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本郭①から西尾根にある②の郭を見下ろす。

②の郭は城内で3番目に大きく16×11mの広さがある。また、削平もしっかりされており城内でみるとここが小屋掛

けに一番適しているように感じる。


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西尾根には大小約4段の郭が構築されているがそれぞれの切岸は緩く、防御を意識したものではなく尾根上に平場を

築いたままの状態で放置されたようになっている。これは西尾根の先端部が急傾斜となり天竜川へ落ち込んでいる

為に防御の必要があまりなかったためと思われる。


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西尾根先端部からの眺め

西尾根からは駒ケ根市街地方面が一望の元に見渡すことができ、このあたりが烽火台として使用されていたものと

考えられる。(現在、西尾根は間伐が行われており眺望がよくなっているので今がお勧めです)


~ 南西尾根 ~

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山頂(主郭)から発生する南西尾根の主郭下には鉄塔が建つ郭がある。

ここは鉄塔が建設された際に改変されたようでかつてはどのようになっていたか分からないが、主郭下ということ

とこの場所の南西尾根続きには、掘切が見られることから郭として削平地があったことは想像出来る。

また、「山城探訪」には主郭と鉄塔の建つ郭の間には堀切が書かれているが、現状では確認できなかった。


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鉄塔のある郭と郭③の間の堀切を見る

この堀切は、鉄塔が建つ郭と郭③の間に存在し、上幅4m・深さ約50cm程度の小規模なものであるが、この城跡で

はこの堀切と東尾根の堀切の2つしか確認できない一応貴重なものであろう。


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郭③を見る。

郭③は南西尾根にある堀切の先にあり、城内で一番広い郭で(40×5mの規模)大手が下を通過する東側に地山を

掘り残した土塁らしきものがある。しかし、土塁を含め造作物のメリハリがなく削平が甘い。

この城を見ると南西尾根に防御の重点が置かれているようである。

これは城の周囲が沢や川により要害性が高く防御の必要性があまりないのに比べ、南西尾根は東側下の沢筋を大手

道が通過していることがら防御の重点がこの尾根に集中しているものと思われる。


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南西尾根先端部の段郭

郭③から尾根先に向かうと約3~4段の段郭が構築されている。段郭の造作は明確であるが郭の切岸は緩やかで少し

防御性に劣るようである。このような城内の段郭はおおむね切岸が甘いのでこのあたりが烽火台になる前の吉瀬の

集落に根小屋をもっていたとされる土豪による築城の跡であろうか。


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おくわ様。

南西尾根の先端部から2番目の郭には地元では「おくわさま」と呼ばれる祠がある。

この祠の造りは見たことのない珍しいものであるが、現在はあまり人がこないようで朽ちてきている。

城の鎮守なのか桑を耕作していた時代に祀られたものなのか詳細は不明。


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城の大手道と脇を流れる水の手

結構長くなってしまいいましたが吉瀬の城山はいかがだったでしょうか。

城主などよくわかっていない小規模なもので見どころは少ないですが、見晴らしがよく烽火台とはどういうものか

感じられるいい城址でした。

是非、皆様も行かれてはいかがでしょうか。登るのは非常に楽ですので。。。。。。


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南西から見た城山全景

kisenozyouyama1 (12)
南側の吉瀬集落から見た城山全景


~参考文献~

山城探訪 改訂上伊那資料編        (宮坂 武男)

駒ケ根市誌                (駒ケ根市誌編纂室  平成2年3月)

改訂版 伊那の古城            (篠田 徳登   2010年9月)




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  1. 2013/10/02(水) 20:22:32|
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