長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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白馬村  三日市場城の破壊

これでいいのか!!レベルの低い長野県の城跡保存行政

4月29日に休みであったので、まだ芽吹きが遅いであろう北信濃を目指した。

今回は、白馬村にある三日市場城周辺の城跡の再訪と新たに飯田秋葉山砦を訪城した。

しかし、三日市場城を再訪して愕然とした。。。。。これが村史跡でかつて武田氏の築城技術が良く残ると絶賛された

城跡か。。。。。と。。。。。


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破壊前の城跡の縄張り(郭名・掘の番号は、説明用に堀に番号をふっただけで決まっていません)

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今回行われた林業作業の重機による破壊部分(赤い部分)

今回は、三日市場城の紹介記事ではないので細かい遺構紹介は行いません。

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郭②から見た郭①

郭①には下の帯郭からの重機の侵入痕か見られる。(白くなっている部分)

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堀①から郭①下の帯郭への重機による破壊痕

帯郭の縁部などを深く削りながら重機の侵入路を構築されており、発掘調査すらもう手遅れになっている。


mikka (4)

堀切①の重機の通過痕で、堀の縁部がキャタピラにより削られてしまっている。

mikka (3)
かつてあった堀切①から郭②への虎口があった部分の破壊痕

堀切①から郭②へはかつて南西隅部に虎口が存在したが、この部分の傾斜が緩く重機が入りやすかったためであろう、

この部分を中心に深く削って侵入路を構築している。

この侵入路構築にあたり、堀切①から斜面に続く竪掘部分も埋められてしまっており大きく破壊を受けている。


mikka.jpg
横掘①を見る。

ここにはかつて状態の良い大きな横掘は残存していたが、重機の通行路として郭の壁面などを大きく削られ拡張されてし

まっている。


mikka (7)
下から見た横掘①

横掘①部分は上下2段の2重の横掘となっていてこの堀間には土塁が構築されていた。

しかし、今回の破壊により一部を残し削平されて消滅してしまっている。


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横掘①と郭②の東側堀切との合流部分を郭②から見下ろす。

mikka (9)
近くで見てみる。

この部分はかつて横掘①と堀切と合流し、北側斜面へ竪掘として落ちていたが、重機により破壊を受け合流部分のかつて

の姿を想像することすら出来ない。



訪城が楽で、遺構も完ぺきに近い状態で残存しており白馬村を代表する城跡であったが、このような無残な姿になって

しまっていた。

教育委員会は林業作業を行う事は知っていたようであるが、計画が城跡の手前までという条件であったようである。

もし少しでも教育委員会が立ち会う事があればこのようなことにはならなかったであろう。

村の史跡として指定された城跡ですらこのようになってしまうのに、村内に残る数多い遺跡をどのようにこれから守って

行くのであろう。。。。。。。。。。それにしても何百年も残されてきた重要な城跡を破棄するとは。。。。。。残念。

これから白馬村がどう城跡をフォローしていくのか、期待したいところです。
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  1. 2014/04/30(水) 19:36:47|
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4月16日・20日・22日の成果

シーズンオフの直前!ラストスパートの成果は。。。。。。。過酷でした。

~ 4月16日の成果 ~

今は廃村。明賀(みょうが)侍が守った物見の砦・・・・・高峰物見(安曇野市)

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高峰物見と川ばさま砦の遠望

生坂村と安曇野市の境の峯に構築された物見で、南側下の沢沿いにかつて存在した明賀集落(廃村)にいた沖氏が

小笠原氏から領地を預かりこの物見を守っていたとされる。


takamine.jpg
高峰物見の郭を見る。

地元の方は聞いたことが無いと言っていたが、「山城探訪」(宮坂武男著)では、かつてここに酒屋があったとしている。

現状は広大な削平地と切岸・石組の井戸が残存しているが登城路は無い。


砦かな?・・・・川ばさま砦(安曇野市・生坂村)

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川ばさま砦の中心部を見る。

高峰物見から市町村境の尾根を約700mほど尾根を辿ると、小高いピークに存在する。

現状は山頂に狭い削平地と腰郭のような狭い郭が残る。砦からは生坂村が一望でき、そのまま尾根を辿ると高松薬師城な

どがある岩洲公園に通じる。


~ 4月20日の成果 ~

信濃先方衆の猛将「らんまるさん」との危険な訪城

険峻な尾根に巨大な堀切・石積みに惚れ惚れ・・・・・大岩城(須坂市)

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今回は大岩城から尾根伝いに雨引城へ登り、その後、尾根伝いに月生城へ下る危険な訪城ルートを辿りました。

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大岩城の本郭を見る。

巨大な天水溜や石積みの多用に疲れを忘れはしゃぐが。。。。。。後の事を忘れていた。。。


大岩城からの登城は地獄!・・・・・雨引城(須坂市)

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雨引城の堀切

比高555mの高所に本当に必要なのか?と思うほど城郭遺構が残り驚愕する。

昔の人たちはすごすぎ!



畝状竪掘に美しい切岸・多用する堀切!これぞ中世の城郭の美学・・・・月生城(高山村)

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月生城の本郭裏の掘切を見る。

雨引城から尾根を下り、月生城を目指すが絶壁が尾根を遮断していて絶対絶命となるが、なんとか斜面をトラバースし

なんとか辿り着く。

命がけの訪城をした甲斐があり中世城郭の先端技術のオンパレード!

目移りするくらい素晴らしい!!  是非訪城することをお勧めします。


福島正則終焉の居館・・・・・堀之内館(須坂市)

fukusima.jpg
居館西側にある堀跡を見る。

土塁が少し残っているだけだが、戦国期に有名であったあの福島正則がここに居たのかって思うだけで満足でした。


普通の人は知らないんだろ~な~ここにあった事・・・・・須田城(須坂市)

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須田城の本郭を見る。

こんなお手軽に訪城出来るのに良く残っていて、巧妙な堀切内虎口・郭など初心者にはいいお勉強になります。


今回ご同行いただいたらんまるさんありがとうございました。


~ 4月22日の結果 ~

興味本位だけで行ってはいけません!訪れて後悔した訪城結果。

どこまで続くんだ~1.8㎞もある名城・・・・・二十端城(小布施町)

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今回は、二十端城⇒滝ノ入城⇒雁田城へ縦走しましたがこれはかなり危険!経験・体力に自信が無い人はヤメマショウ!(全行程約4時間半)

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二十端城は、総延長1.8㎞に及ぶ城域を持ち本郭となるべき主要な郭が4つほど存在する。

この城で珍しいのがこの堀切で、底部に石積みが積まれていて何のために積まれたのか疑問が残る。


tutuhatasiro (2)

主要な郭には石積みが積まれており、二十端城のメインの本郭と見られる郭の切岸にはおびただしい崩れた石積みが見ら

れ破城でもあったのか?と思われるほどの崩れかたをしている。


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滝ノ入城のある山頂手前の高所にまでこのような立派な石積みが見られ、城域が広いながらも良く手が入っている。


こんな高所に石積みの城にはビックリ!・・・・滝ノ入城(小布施町)

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ここまでがとにかく険しい!二十端城からここまでず~っと。。。。どうやって帰ろう!!

って考えてばっかりだったが。。。。。。雁田城から遊歩道?があり唖然!&ホッ (^○^) 生きて帰れてよかった!


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滝ノ入城に残る大きな堀切、この堀切には竪石積みが付属されていて先駆的な技術が見える。

それにしてもあんだけ歩きまわったのに。。。。何故か千僧坊郭の石積みを見忘れちゃった!。。。もういいかな。。。


天然の要害・・・・雁田城(小布施町)

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雁田大城は、多くの堀切と石積みにより守られた良く考えられた城郭でさらに自然の険しさを取り入れた要害堅固を持ち

合わせる。また、搦め手は滝ノ入城へ続くが尾根は岩がむき出しの場所など遊歩道が無ければ辿ることも難しいだろう。


karitakozyou.jpg
小城の本郭と後方に大城のピークを見る。

大城のある尾根の先端部には、小城が築かれている。

小城には石積みで構築された段々や通路・階段が存在するが。。。。あれは城のもの?


名族井上氏の居館・・・・・・井上氏館(須坂市)

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説明板の裏には居館の堀が残っており、発掘調査では11~12mの堀幅であることが確認されている。

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堀は埋まってしまっているが、高まりとして郭の形状が残っており鬼門除けの隅欠なども見られる。


名族井上氏の要害とされ古式の城郭とされるけど。。。。・・・・・井上城(須坂市)

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井上大城の本郭を見る。

井上城は、郭の削平や本郭下の帯郭に土塁を盛って横掘状にしたり良く手が入っているが、堀が小さいことや造りが単純

なことにより古式な造りの城跡とされることが多いが。。。。


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大城の最後の堀切とされる所から尾根伝いに井上山へ登ると写真のような岩をくり抜いたような大きな堀切が、2本

見る事が出来る。これを見ると戦国後期にも手を加えられていたのではないかと思ってしまうが。。。どうであろう。



今回の訪城はかなりハーーードだったけど。。。。まだ北に行けば登れるかな~。。。。。記事も書かなきゃね。


みなさま。。。。。無理だけはしないようにしましょうね。

次回は誰も訪れる事のない。。筑北村の『不寝見屋敷』ですのでお付き合いくださいませませ。。。。(^。^)y-.。o○
  1. 2014/04/24(木) 20:58:39|
  2. 本日の訪城
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4月9日と10日の訪城結果

4月9日と10日は、休みだったのでず~と気になっていた城跡達を訪城してきました。

シーズンオフに近づいてきたので頑張っています!



4月9日の訪城結果

今回は以前、「らんまる攻城戦記」のらんまるさんのご案内で訪城した尼飾城の尾根続きである、奇妙山の山頂にある

清滝城と尼飾城城裏砦・尼飾城へ縦走してきました。

所要時間は、岩沢登山口⇒奇妙山⇒城裏砦⇒尼飾山⇒岩沢登山口(休憩込)の全行程で約4時間でした。



急傾斜の連続と長い行程に達成感満点・・・・・・清滝城 (長野市)

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行程の途中にある「高見岩」から見た景色、眼下には尼飾城が見える。

登山口である岩沢からの行程は、初っ端から急傾斜が続く登山道でバテバテ、しかも山頂までも長い長い。。。。さすが比高630m(-_-;)

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尾根に残る堀切

登山口から1時間20分程で本郭へ到着!

山登りが趣味ではないので早速遺構確認を開始するが、本郭周辺の切岸の美しさと削平地の丁寧さに感嘆。

こんな高山に必要だったのかは別として。。。。さすがに堀切は小さかったものの遺構の残存状況は良好でした。


立地と堀切で尾根を遮断!・・・・尼飾城城裏砦(長野市)

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本城の尼飾城と出城の城裏砦の遠望

城裏砦へは、奇妙山から尾根を戻り岩沢からの分岐点を通過し、次のピークの尼飾山側に位置する。

奇妙山側の尾根続きは比高差があまりない為に防備は厳重となっており、奇妙山側に備えていることが窺える。


zyouri (2)
城裏砦の堀切を見る。

遺構としては、奇妙山からの尾根続き側に三重の堀切と堀切から伸びる竪土塁を伴う長大な竪掘が落とされている。

ただ、城内はというとある程度の削平はされているものの切岸も不明瞭であまり手を加えているようには見えない。

真田氏に攻められた時の急造なのか。。。。その後の造作なのかは分からないが、堀切以外は見るべきものは無い。

本城の尼飾城側の防御は一切見られないが、砦から尼飾城へは岩場混じりの急斜面(比高60m)を下る必要があり、

さらに尼飾城へは急斜面を比高80m登るのでこちら側には防御が必要なかったのであろう。

無理してまで行く必要もないかもしれない。



何回見ても要害堅固さを実感・・・・尼飾城(長野市)   再訪

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尼飾城の本郭からの眺め

以前はらんまるさんにご案内いただき、「武蔵の五遁さん」も交えて訪城したが今回は、奇妙山からの縦走をしてみたが

感想は尼飾山は。。。。どこから登ってもキツイ。。。。(-_-;)。。。。。。。ってことだけでした。


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堀切を見る。

遺構はいつ見ても。。。。いいですね~。

こんな険しい山にこれでもかと堀切を掘り、尼飾城が機能していた時の緊張感を感じますね。

もう行かなくてもいいかな。。。。(汗)



4月10日の訪城結果

青柳氏と日岐氏の境目の物見砦・・・・物見岩(鬼ヶ城) (安曇野市)  

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物見岩からの眺め

物見岩は通称鬼ヶ城と呼ばれており、絶壁に囲まれた細尾根に存在する。

ここまでの登城路は。。。。見上げるような急斜面を直登するので。。。ツライ。。。。かな。

明科から聖峠へと通じる街道沿いに位置し、往古は善光寺街道が山中に張り巡らされていた。


monomiiwa (2)
物見岩に残る削平地

尾根上には、古道が通っていて乗越し(峠)も存在してこの物見の存在意義を感じさせるが。。。。。

行く意味があるかと問われれば。。。。。。。。。。。。。。ない!。。。。。。。。。(>_<)

ただ岩を削平した物見台と小屋掛けと思われる平場があるだけ。



尾根上の街道を監視する日岐氏の物見砦。。。。。。梨子峯物見(安曇野市)

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物見砦に残る高まりと祠

安曇野市から聖峠へ通じる街道は往時、山の尾根上を通過しておりこの街道は明科から伸び岩洲公園で善光寺街道に接続

するこの一連の街道を監視する目的で日岐氏が設置したものと考えられる。

砦は尾根上のピークを削平してある以外はあまり遺構は存在しないが、周辺には梨子など小集落が存在しこれらの住民が

交代で番をさせられていたのであろう。


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明科七貴から遠望した砦

物見が山奥の高い尾根上に存在している事が分かる。


以上2日間で訪城した結果でした。

小さい砦も取りこぼさず各個撃破して信州の城を制覇するべし!

今回の訪城で886城になりました。

もう少しでシーズンオフ。。。。。。ラストスパートで頑張るぞ!
  1. 2014/04/11(金) 19:06:32|
  2. 本日の訪城
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伊那市  一夜の城②

織田氏の陣城は新規築造?それとも再利用?

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伊那市教育委員会「一夜の城現地説明会資料」を参考に作図

一夜の城といえば、堀の無い土塁のみの陣城。。。。と考えられてきた。

また、今回の発掘調査も「堀が存在したのか?」が注目されていた。ではその答えを紹介していきましょうね。


~ トレンチ6 ~

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トレンチ6発掘地点全景

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発掘の結果、東側の土塁の城内側は耕作により大きく削られており元の状態は分からなかったが、写真に見えるように

段差が見えるのでもしかしたら、この段差までが土塁の底部であった可能性が考えられるが削られてしまった現状では、

調べることも難しいのであろう。


~ トレンチ5 ~

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トレンチ5は、地盤が緩く危険があった為に現地説明会以前に埋められてしまっていたが、写真のポールが立つ部分で、

堀の立ち上がりが確認された。

これにより陣城には堀が存在していたことが確認されたのであった。


~ トレンチ2 ~
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城内西側土塁上から、切岸下のトレンチ2を見る。

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真上から見ると堀の立ち上がりが検出された。

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城内側の堀の立ち上がりを近くで見る。

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西側堀の城外側の立ち上がりを見る。

トレンチ2は、堀の中央部の発掘はされていないが、城内側・城外側の堀の立ち上がりを検出されているので、

陣城には西側と南側に堀が巡っていた事が分かった。


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西側の城外のトレンチにおいては、何の遺構も検出されていなく、雑兵達がどこかに野営をしていたはずであるが、

陣城の近くの寝起きは許されていなかったのであろうか。


メイントレンチ4

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トレンチ4の全景

トレンチ4は、陣城の土塁・堀の全貌を解明するために今回唯一土塁の断ち割り調査を行った場所で、期待通りの成果を

上げている。


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土塁の断面を見る。

土塁の断ち割り調査では、土塁の造る際の基礎となる整地層が見つかり土塁の造り方としては版築土塁であったことが

確認された。

土塁には、堀を掘った際に積み上げた赤土と城外から運んできたと見られる黒土が交互に突き固めて構築されていたこと

が分かった。また、以前は土塁が1mほど高かったという証言があり陣城内側は耕作によりかく乱を受けていることも

確認されている。


ichiyahakkutu8 (4)
堀全景を見る。

発掘された堀の規模として深さ2m・幅6mのU字形であった、また、堀の底部にはV字形の深さ30cmの窪みが見られた。

ichiyahakkutu8 (5)

堀の底部に見られる窪みを改修以前の堀の痕跡であったとすると、切岸の角度などから幅3.3~5mのほりであったと推定

出来るようである。


この調査結果から、織田信忠が陣城として改修する以前には土豪の居館があり土塁・堀が存在した。

織田氏の進出により接収されたのか既に廃館となっていたのかは不明であるが、織田氏が陣城として堀の拡張・土塁の

高さを高める改修を行ったと考えられる。

この改修は勿論鉄砲を意識した為の堀の拡張であったと思われる。


*堀は水の溜まった跡や流れた痕跡は確認されなかった事により空堀であったと確認された。

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トレンチ4の全景

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陣城跡から出土した出土物

陣城からは、天目茶碗・古瀬戸四耳壷・内耳土器の破片が出土し未確定ではあるが、形状から15~16世紀に作られたもの

である可能性が考えられている。





皆様は今回の発掘調査についてどう感じたでしょうか。

一夜の城の謎については一歩近づいた感はあるが、道路拡張による遺跡破壊の問題が解決していないので、これからも

一夜の城については目が離せないですね。



~ 参考文献 ~

一夜の城発掘調査現地説明会資料         (伊那市教育員会  平成24年3月)
  1. 2014/04/04(金) 17:04:45|
  2. 伊那市
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プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

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