長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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霜降砦 附海岸寺遺跡

桐原城の東側を固める砦

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古図に見る霜降砦

所在地・・・・・・松本市入山辺桐原

訪城時間・・・・約60分


※案内板はあるが部分的に道が分かりずらくなるので注意が必要。

危険度・・・・・・★★★☆☆

別 名・・・・・下降城・下古城

訪城日・・・・2013年12月9日(少し前なので海岸寺沢内部はどのようになっているのかは分かりませんので気を付けてください)


~ 霜降砦の歴史 ~

『東筑摩郡誌』には、霜降砦について

「壘砦に堀切あれども、間數其の他詳ならず。嘉吉三年桐原眞智の子眞隆之を築けり。眞基の時本城と同時に陥落せりといふ。』

『信府統記』には、桐原城の項に

「(前略)、此城ノ東ニ霜降ノ城トテ取手ノ跡アリ谷崖モ隔テリ中ニ堀切モアリ。」 とある。


嘉吉3年というと1443年でその頃は、結城合戦(嘉吉元年1441年)などがあり府中の小笠原氏の祖とされる小笠原持長などの時代

でこれを信じればかなり古い時代に構築された砦という事になる。


~ 訪城ルート ~

simofuri987.jpg
訪城ルートは、現在新しく開設された桐原城の先端部を通過している幹線農道を海岸寺を目指す。

海岸寺の所から桐原城と霜降砦のある山の間の沢(海岸寺沢)へ入る細い道を歩いて登る。

車は農道脇に駐車スペースがあります。


s-kaigannzi (10)
細い道を道を登っていくと途中に水道施設があり、さらに登っていくと耕作放棄地が左右に広がる。

写真は海岸寺沢に砂防堰堤の建設によって破壊される畑跡(現状はどのようになっているのかは未確認です。


s-kaigannzi (8)
訪城途中から振り返ると山辺谷を挟んだ正面に林大城・水番城が見える。

simofuri5 (1)
舗装されていた道が山道となるが、そのまま沢に沿って登って行くと、案内板が現れる。

simofuri5 (2)
山側へは「霜降城へ」とこんな砦にまで案内板があることに驚く。

これは桐原城の保存会の方が関連の城という事で整備されたものと思われる。。。。。感謝感謝ですね。

この看板は砦までの所々に建てられている。


simofuri5 (3)
霜降砦までの道跡は明確であり石積みも見られる。

これも番所群で説明した武石本道へ通じる枝道で重要視されて整備されていたことが分かる。


simofuri5 (16)
道々に案内板が建ち安心して歩ける。

砦跡までは60分の結構長い道のりを歩くが。。。。。結構寂しい。


simofuri5 (14)
訪城途中の山道からは桐原城が遠望できる。

simofuri5 (13)
写真では望遠に限度があるが、現地で桐原城の石積みまではっきり見ることができ、これだけ近接して構築していることからも

重要な使命を与えられて綿密に連携して稼働していたことがうかがえる


~  砦跡 ~

simofuri21 (2)
霜降砦は二つの郭と堀切(古道を堀切状に通過させている)からなる小規模な砦である。  

simofuri21 (1)
遺構の配置

 ①本郭

simofuri4 (3)



simofuri4 (6)

霜降砦の本郭は、27×17mの楕円形をしている。

郭はきれいに削平されているが、土塁は見られない。


simofuri2 (2)
現在は麓から登って来た道が、本郭裏の堀切を通って入るように案内板が設置されている。このままでは武石本道から来た敵が

そのまま本郭の入れてしまうので、もっと防御を考えられていたと思われるが現状ではうかがうことが出来ない。


~ 堀切と武石枝道 ~

simofuri2 (1)
麓から登って来た道は、本郭裏の尾根をを深くえぐった様な堀切内を通過し、武石本道方面に登って行く。

simofuri2 (5)
堀切内をカーブして登って行く道は、写真の様に溝状になって登って行き、鐘掛番所の所へ行きつく。

simofuri2 (11)
霜降砦の堀切は、山道が通過する部分は深くえぐって郭内からの攻撃・監視を強めているが、山道がカーブして登って行くと

残った反対側の堀切は写真のように幅が広いだけで浅く防御性が乏しい。

この造りは桐原城の西側にあった「冨塚・番所」の遺構にかなり類似している。


simofuri2 (10)
この防御性の乏しい堀切も一応申し訳程度に竪堀として落として斜面を防御している。

~ 郭② ~
simofuri3 (2)
本郭から20m程下ると郭②がある。(郭②から本郭を見上げる)

simofuri3 (5)
郭②は、21×11mでこちらもきれいに削平されており、特徴は郭の縁の全周を土塁が巡っていることである。

simofuri3 (3)
土塁の高さは30~50cm程度であるが、郭②へ登ってくる尾根が斜面がキツイ為これで用が足りたものと思われる。

simofuri3 (19)
斜面下から郭②を見上げる。

急斜面の為、郭内は見えず郭から石を落とされればケガでは済まないであろう。

simofuri3 (10)
郭②を山道から見たところであるが、郭がきれいに削平されているのが分かるでしょうか?

~ 不明の道状遺構? ~

simofuri1 (2)

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山道と砦の間の斜面には、山道とも防御施設とも判断がつかない、横堀状の遺構が見られる。

この山辺周辺の山々には溝状の道が多くみられるので道ではあるかと思うが、深くえぐられた道は戦時には堀として利用するため

に掘られていた可能性もあるのではないだろうか?


simofuri1 (6)
安心してください!ここにも案内板ありますよ!

simofuri1 (7)

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更にここには、東の沢の中から登ってくるよく利用されていたことが一目で分かる深くえぐって堀状になって登ってくる道が、

武石枝道に合流している。(青色の山道)


simofuri1 (10)
武石枝道(青色)の道が登り切った部分の斜面には、写真の様な竪堀状の溝が下っている。

本郭裏の堀切の竪堀と比べると明瞭すぎるので砦の遺構とは即断できないが、霜降砦が他の番所達と同じ武石枝道を監視する

というのが主要な任務であったとすれば、海岸寺沢からとこの山道が合流する部分に構築された意味がよく分かり、山道の場所に

竪堀が構築されたのもうなずけるのではないだろうか。


この霜降砦の形は桐原城番所群の他の番所の縄張りと類似しているところが多く、別段特別な砦ではなく、桐原城を守るための

砦・番所群の一つという位置づけだったのではないだろうか。

ここだけ城主の伝承が伝わったのは、明確な遺構が残されていて麓住民に認識されていたので桐原城主と関連付けて伝えられた

だけであろう。

霜降砦の近くに描かれている上降砦はいまだ場所は確定されていないのは、明確な遺構が存在しなかったから住民に認識され

なかったので忘れ去られてしまったのでしょう。

推定地としては幾つか挙げられているので調査してみても楽しいかもしれませんね。


~ 海岸寺遺跡 ~

s-kaigannzi54 (1)

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現在の海岸寺を見る。

海岸寺は創建時期・開基・開山は明らかではないが、当初は北方の山際にある弘法平あったとされ、近世に現在地に移されたと

考えられている。

旧海岸寺の寺域から少し登った尾根上の平安時代後期~末期の経塚から青銅制経筒・白磁合子・鉄製刀子が出土し、

旧海岸寺経塚出土品として市重要文化財として指定されている。

このことから、海岸寺の創建を平安時代にまで遡るとも考えられる。また、海岸寺には平安時代作とされる千手観音も現存している。


s-kaigannzi54 (2)

今回発掘されたのは、海岸寺と奥の院の間の海岸寺沢内と畑跡で、砂防堰堤構築の為のものであった。

s-kaigannzi (1)
海岸寺沢内部に造られた近世の畑跡(上の山は桐原城)

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近世の畑跡の石積みは、近世城郭を思わせるような造りで櫓台風のものも見られる。。。

これらの畑跡の間を大手道や武石枝道が通過していたことからも、何らかの防御施設も想定できるのではないだろうか?


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海岸寺沢内部のトレンチ調査

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この調査からは、平安~中世の遺構と青磁や内耳鍋などが出土しており、古い時代から人が活発にこの沢を活用していたことが

分かった。

砦があった頃にはこの沢の中や海岸寺はどのようになっていたのであろう。。。。。。砦や桐原城との関係性も気になるな~。

考えるだけで楽しいですね。


simofuri789 (4)

simofuri789 (5)
霜降砦と桐原城・番所群の遠望


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  1. 2015/12/21(月) 15:10:34|
  2. 松本市
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現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
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