長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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池田町  小海戸

中島城主居館跡伝承地

所在地・・・・池田町会染中島                              訪城時間・・・・0分

訪城目印・・・・中島神社



                ~小海戸地籍の歴史~

池田町教育委員会発行の「池田町の遺跡」には、

「(前略)この城の大手はおそらく中島神社方向にして、その下方の小海戸地籍が居館跡ならん。」


この小海戸地籍が居館跡という記事はこの文献のみであるが、ブログの基本として城跡+居館跡(伝わっていれ

ば)を探し伝えるのを基本にしているので少しでも記事があれば徹底的に探し出し皆様に伝えていきます。

それがこのブログの一番重要課題と考えます。

ただの田んぼや畑・荒れ地だけかも知れませんがそこにも歴史があった事を想像していただけたら幸いです。



             ~小海戸の現状~

中島小海戸

国土地理院2万5千分の1地図使用。

この小海戸地籍は、地元の方にはあまり地名としても伝わっていないようで多くの方に聞いて回ったがわからなかった。
ただ、2人の方からは話を聞くことが出来た。
なので多くの方の意見としてここがそうだと確定は出来ないが少数の方の話の伝承地として紹介する。


nakazimakokaito11.jpg

小海戸地籍は、中島城から南西400mほどの所に所在し、現在は圃場整備が行われたようであり遺構は消滅している。
この場所は、たまたまこの田んぼの持ち主の方に話を聞くことが出来特定することが出来た。 


nakazimakokaito4.jpg

nakazimakokaito6.jpg

nakazimakokaito2.jpg

ただの田んぼの写真ですみません。。。。(>_<)
この地は西向きの斜面となっており居住地としては日当たりがよく最適な場所と言える。

この小海戸地籍の話を聞かせていただいたご婦人は、義父から聞いた話として、
「昔、このあたりは海でせんしゅう(漢字不明)松というものがあり、舟をつないだ」という伝承があると
教えていただいた。
この話は、この地区の方は結構知っているようで近年までこの松は残っていたという。(城と関係無いけどね!) 


nakazimakokaito8.jpg

推定小海戸居館跡から中島城跡を見る。

追記・・・・・・

資料をあさっていたら、違うことを書いた資料を見てしまった。。。。それは、「信濃池田町史話」だ。。。

これには、

「中島部落のニ、三丁という辺りの谷間にも、城跡と呼ばれている別な広い地域があって現在は杉や檜の林に包ま

れておりちょうど三社神社(中島神社?)の北に当たる谷間で、何百年かたっていると思われる二本の松が立って

いて、人の手を加えたと思われる段々の複雑な地形がある。この松の根元には二基の碑石があり、一基が半から

折れていて文字の全体は分からないが、「・・・禅男位」は読め、もう一基には「皈元理勝禅定尼位」と書かれ、

元文五年十一月四日と書かれており禅宗門夫婦の墓石と思われる。ここが中島城主の居館跡と思われる。」

とある。


この推定地として調べてみたところは・・・・

nakazimakokaito44.jpg

中島神社の北側下にある段郭状になっている所である。

nakazimakokaito33.jpg

nakazimakokaito556.jpg

前記の資料はここに居館があったと推定しているようであるが、現状は広大な平地や段差があるが、写真のように

古い墓石があり、かつてここに寺院があったのではないかと推定される。(遺跡地図には記載なし)

しかもこの場所は尾根に南側と北側が挟まれていて視界が利かないし、日当たりも悪く居館には適さないような

場よである。

これらを考えるとやはり小海戸地籍の方が居館に向いている場所であると言えると思われる。


この「信濃池田町史話」には中島氏のことも詳しく書かれている。参考までに略しながら記載する。

中島城は池田殿(池田次郎盛国のことと思われる)の家臣中島龍弥国任という人が池田殿の命により築いたと

言われています。(中略)また北安曇郡誌には中島内膳これに拠るとも記されている。

日本歴史大辞典に尾張蟹江の城主小笠原貞興の曾孫四郎左衛門尉は父豊後守宗近が信濃中島を領したので中島氏を

称した。四郎左衛門尉は、深志城主小笠原長時の家中であったが、大永年中病気の為に京都に出て風流を友とした

云々とあり、(後略)」とある。

この信濃池田町史話には中島氏の名前について、四代目内膳宗忠・五代太郎左衛門宗徳とあり中島氏は代々内膳を

称したようである。

内容が長かったので省略した部分が多いので詳しく知りたい方は「信濃池田町史話」をご覧下さい。



~参考文献~

池田町誌      (池田町誌編纂委員会   平成4年)

信濃池田町史話   (仁科 宗一郎      1964年)
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  1. 2012/09/10(月) 19:52:39|
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コメント

城館探しは難儀ですなあー

お疲れ様でございます。
最近アップが途絶えてますね・・中塔城の呪いかしら・・(笑)

紆余曲折を経て、中塔城四部作が校了しました。城攻めより記事投降のが疲れますわー(汗)
やはり一城一記事でないと雑になります。

村誌に記載されている城館の場所って難解な表現ですよね。
「此処より酉の方二町に南北十間、東西十五間の屋敷跡アリ・・・」
いったい測量の起点は何処なの??って感じ(笑)
  1. 2012/09/14(金) 22:55:46 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 城館探しは難儀ですなあー

> お疲れ様でございます。
> 最近アップが途絶えてますね・・中塔城の呪いかしら・・(笑)
>
> 紆余曲折を経て、中塔城四部作が校了しました。城攻めより記事投降のが疲れますわー(汗)
> やはり一城一記事でないと雑になります。
>
> 村誌に記載されている城館の場所って難解な表現ですよね。
> 「此処より酉の方二町に南北十間、東西十五間の屋敷跡アリ・・・」
> いったい測量の起点は何処なの??って感じ(笑)


らんまるさん いつも叱咤激励ありがとうございます。
そうなんですよね。。。平地の居館って探すのが難しくて。
池田町の鵜沼氏の居館跡右衛門屋敷を探しまわっております。
田舎すぎていつも誰もいなんですもの。
このごろ残業続きで、元気が無く滞っておりました。
頑張って書いていくのでこれからもご教授お願いします。
  1. 2012/09/15(土) 15:26:46 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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