長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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箕輪町  日輪寺畑

上ノ平城砦群の中核・・・知久氏の居館?

kosikigasiro.jpg
国土地理院 2万5千分の1地図使用


所在地・・・・箕輪町南小河内                             訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆                                訪城日・・・・2012年3月20日

訪城目印・・・・日輪寺                                別 名・・・洞田



              ~日輪寺畑の歴史~

「箕輪村誌」には、

洞田は上ノ平城の北約100m、知久沢と梨久保とに挟まれた小丘上にあって、土地の人は日輪寺畑と呼んでいる。

地形は低く、城砦というより居館跡としたほうが適当である。その距離から推してあるいは城主隠棲の所かと思わ

れる。(後略)とある。

「伊那の古城」には、

日輪寺の北、知久沢を隔てた台地に洞田という居館の址がある。洞田の北は梨久保川という深い川と二つの川に

挟まれた台地で、南の平場三百坪、北の広場四百四十坪、一ノ堀切、ニノ堀切、各々四間巾のものが残されていた

という。源為公らが、伊那に最初に赴任してきた時はこの辺にいたのではなかろうか。

としている。

*源為公は、伊那源氏の祖とされ為公の嫡男が知久氏を名乗り祖となったとされる説と諏訪氏から知久氏が
出たとする説があるようである。



                     ~館跡の現状~

nichirinnzibata54.jpg

この図を参考に説明していきます。 

~ ①の郭 ~


nichirinnzibata9.jpg

 ②の郭から見た①の郭
①の郭は民家となっている為に近くからの写真は遠慮するが、先端部に土塁状の土盛があり、高さが約50~60cm程度である。現在、この土盛の上に芝桜などが植えられている為、これが土塁であるとは断定が出来ない。
 


~ 堀① ~

nichirinnzibata1.jpg

堀①とされる窪みである。
この堀①とされる部分は、梨久保川方面のみに残存し知久沢側には痕跡は確認できない。
この周辺が畑であった頃は、梨久保川に下りる為の道として利用されていたようである。


nichirinnzibata3.jpg

 ②の郭から堀①を見る。
この部分は道として利用されていたであろうが、この窪み・幅はどうみても堀として構築されたものである。
幅約5~6m程で深さは一番深い所で2mくらいであり往時はもっと深かったことは想像できる。
 

文字色
nichirinnzibata2.jpg

梨久保川から堀①を見上げる。   

~ ②の郭 ~

nichirinnzibata11.jpg

 ②の郭には南小河内区による洞田の看板がある。 
城跡に看板があることはとても感謝しなければいけないだろう。なぜなら、ほとんどの城跡には無いのだから!! 


nichirinnzibata12.jpg

 ②の郭を見る。(奥には③の郭の切岸が見えている)
この郭がこの館跡の内部で一番削平されており(畑によるものかもしれないが)広大である。
堀①・堀②に挟まれているここが館の中心的建物があったと思われる。
 


nichirinnzibata13.jpg

 ③の郭から郭①②を見る。 

~ 堀② ~

nichirinnzibata23.jpg

堀②は図にあるように郭②と③の間に梨久保川斜面と知久沢斜面に遺構を残す。
中間部は耕作により埋め立てられたようで、わずかながら郭③の切岸下部に窪みが見られる。
 


nichirinnzibata24.jpg

梨久保川側に見られる堀跡の残存遺構


nichirinnzibata37.jpg

知久沢側に見られる堀②の残存遺構。
堀②が大規模な堀であったことがうかがえる遺構である。
 


~ ③の郭 ~

nichirinnzibata81.jpg

nichirinnzibata71.jpg

 ③の郭は、②の郭側の切岸がはっきりしているものの尾根続き側がどこまでが城域か判断出来ない程、ダラダラと
豊久保砦への尾根へと緩やかに上昇していく。
切岸に近い部分はかつて耕作されていたので平坦地となっているがその他は緩やかな傾斜となる。
耕作による破壊なのであろうか?あったであろう堀切はどこへ??? 


~ 周辺状況 ~

nichirinnzibata41.jpg

知久沢と居館跡の切岸を見る。
知久沢の居館跡側は写真に見るように垂直の壁となっていて高さ4m程ある絶壁である。
なお、知久沢の対岸には知久氏開基とされる日輪寺がある。
 


nichirinnzibata47.jpg

知久氏がこの地に居館を構え、次に築城したとされる上ノ平城は知久沢を挟んだ南側に存在し良く遺構を残す。 


 さあ、長々と?見てきた日輪寺畑はいかがだったでしょうか。。。。 (-。-)y-゜゜゜
知久氏が最初に居館を構えたとされるが、一般に言われる方形館ではなく連郭式のような造りとなっている。
想像するなら。。。
最初に居館を造ったのは郭②で上ノ平城に知久氏が移った後も一族か重臣がここに居て、戦国期に増築をした。。
っていうのは素人考えでしょうか。。

次回は・・・・本城の上ノ平城をお届けしたいと思いますのでお楽しみに!!!
 



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~ 参考文献 ~

山城探訪 上伊那資料編    (宮坂 武男   平成14年)

箕輪町誌           (箕輪町誌編纂刊行委員会  昭和61年)

伊那の古城 改訂       (篠田 徳登   平成22年) 
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  1. 2012/10/12(金) 03:08:20|
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  1. 2012/10/17(水) 20:20:37 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

Re: ご面倒おかけしました

> お疲れ様です。
>
> 先日、丸山氏の子孫と名乗る方からコメントがあったと思いますが、実は小生のブログを訪問されたので仔細については貴殿のブログを見るようにご案内してしまいましたあー(汗)
> 申し訳ありませんでした。
> 最近やたらと祖先調べで小生のブログに投降が多いものですから、丸山さんの事なら貴殿がふさわしいと思いまして誘導しちゃいました。(笑)
>
> さて、問題の白馬にある佐野城攻めですが、中塔城以上に苦戦を強いられそうです。なんせ、この城を攻めたのは城郭研究の権威である三島氏、宮坂氏ともう一人の登山家の方しかおりません。
> 11月初旬がチャンスですが、遭難しないだけの装備で望みましょうネ。

らんまるさんへ・・・
了解しまいた~佐野城楽しみです。
シーズンインで体力・気力共にあふれております。
  1. 2012/10/17(水) 21:18:58 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
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