長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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塩尻市   嵐城

西條城砦群中核の砦

nisizyou50.jpg
国土地理院 2万5千分の1 地図使用


所在地・・・・塩尻市塩尻町上西条赤嵐               訪城時間・・・・飯縄城から30~40分

危険度・・・・★★★☆☆                       訪城目印・・・・飯縄城の本郭裏尾根を辿る

訪城日・・・・2010年4月10日                      別 名・・・・中西條山古城



               ~ 嵐城の歴史 ~

「塩尻町誌」の嵐城の項に、

西は下西條字洞、北は中西條字平林、東は中西條字黒嵐、南は上西条字赤嵐以上四谷の中山高の山嶺に位し

西南西條城と尾上続きに成って居る。其距離は九町、本城の平(東西九間五尺・南北十四間)周囲土塀、前後

二重堀、現今小祠稲荷石龕あり、今仮に嵐城と命名す。信府統記に中西條山古城とあり。

また、嵐城について

(前略)最初築城の際は西條城を主とせしは勿論なれども降って天文年間に至りては嵐を本城とし、(後略)

とあり時代が降った天文時代には嵐城が本城となっていたことが記載されている。

城主の記載として「ある古文書に」と前書きがあり、嵐城に中島玄蕃これに籠るとある。とし、口碑に

中村左近正これに居ると云ふ。(私見としてこの人たちは小笠原家の家臣で城代だったのではないか)

としている。



                ~ 嵐城の現状 ~

arasi14.jpg

まあね、いつもながらの図面でございますが、参考までに。 

~ 堀① ~

arasi17.jpg

arasi19.jpg

西條城側から尾根を降ってくるとこの堀①が現れる。
この堀①は、上幅3mではあるが深さがあまりなく最初は通りすぎてしまったくらいわかりずらいです。

これは堀としての機能はあまり望めず、城内と城外との境界、もしくはここを降って行くと居館とされる
洞館へ行けるようなので道の跡(大手?)ともとれる。
 


~ 堀② ~

arasi26.jpg

堀①を越えて30mほど進むとこの堀②が現れる。 

arasi21.jpg

arasi25.jpg

堀②は上幅12m、深さ2.5~3mあり城内最大の堀切である。
といっても堀切らしい堀切はここくらいですけど・・・・(-。-)y-゜゜゜ 


arasi22.jpg

堀②は尾根の両脇に竪掘といて落としていて尾根の横移動を困難にしている。 

~ 郭① ~

arasi8.jpg

郭①を見る。
嵐城は基本的に単郭で本当に本城になったことがあるのと疑いたくなる削平の甘さで、北側に緩く傾斜している。 


arasi11.jpg

堀②に面した郭①南側にある高さ2~2.5mの土塁を見る。
この堀②・土塁によって嵐城の防御の重点が西條城側に置かれていたことがわかる。
 


arasi9.jpg

郭①の北側は郭半分から緩やかに上がって行き土塁状となるが、土を盛って造ったものではなく地山をそのまま
使用したような造りとなっている。
 


arasi13.jpg

 「塩尻町誌」に記載があった郭中心部にある稲荷社の祠と郭①

~ 腰郭 ~

arasi31.jpg

本郭の切岸を見る。
緩さは感じるが明確に切岸として処理していることが分かる。


arasi38.jpg

郭①から発生する北・東尾根には写真のような腰郭が構築しており防御を強めている。 


~ 嵐城東堡塁 ~

arasi6.jpg

嵐城から飯縄城へ続く東尾根の間に小高いピークが存在する。
ここが東堡塁とされている。


arasi4.jpg

この堡塁は二段からなっていて、頂上の削平地とその下の帯郭からなっており切岸も見られ砦として整っている。

arasi5.jpg

堡塁頂上の削平地見る。
ここに砦があり、飯縄城を落とした敵を威嚇する目的であったと思われる。



nisizyou12038.jpg


ちょっと長くなってしまいましたが嵐城はいかがだったでしょうか?

小笠原簡斎が居たとの伝承もありますが、どうみても西條城と飯縄城簡の繋ぎの砦程度にしか感じられず、
削平も甘く防備も頼りないこのような城が本城となった時代があったとは考えられないものである。

西條城・嵐城・飯縄城それぞれに居館の伝承があるので古い時代には土豪(西條氏?)が要害として
築いたものを城砦群として取り込んだというのは考えすぎだろうか。。


次回は・・・・飯縄城をお送りしますのでお楽しみに!!!! 

 (●^o^●) 



~参考文献~

山城探訪 松塩筑資料編    (宮坂 武男   平成10年)

塩尻町誌           (大森 球冶 ・ 三澤 勝衛 共著  昭和49年) 




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  1. 2012/11/07(水) 22:03:12|
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

金熊城はいい城なん?
  1. 2012/11/08(木) 12:54:27 |
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  3. #-
  4. [ 編集 ]

往時の古道とは・・

先日、取引先のお客様に教えて頂いたんですが、中世~戦国時代の古道を知るにはまず「鉄道を取り払う事」なんだそうです。そうすると並行して走る主要道も消えるので、移動するための道は山伝いになるのだと・・・。
馬念さんの言うとおり、往時の城館の位置がカギになる訳で、貴殿の得意とする館跡を点で繋ぐと往時の古道が何処なのか知る手掛かりになるのでしょう。八坂村も美麻村も、その異常な城の数には麓の城館があったと思われるので、当時の道を知る手掛かりはまだまだ未知数なのだと思います。
  1. 2012/11/08(木) 20:28:03 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 往時の古道とは・・

> 先日、取引先のお客様に教えて頂いたんですが、中世~戦国時代の古道を知るにはまず「鉄道を取り払う事」なんだそうです。そうすると並行して走る主要道も消えるので、移動するための道は山伝いになるのだと・・・。
> 馬念さんの言うとおり、往時の城館の位置がカギになる訳で、貴殿の得意とする館跡を点で繋ぐと往時の古道が何処なのか知る手掛かりになるのでしょう。八坂村も美麻村も、その異常な城の数には麓の城館があったと思われるので、当時の道を知る手掛かりはまだまだ未知数なのだと思います。


らんまるさんいつもお世話になっています。
やっといままでの苦労が役に立つ時が来ましたかね~。
意外に城跡より居館跡を探す方が難しく、地元の方にも忘れられている割合が多いんですよね。
居館跡が好きというよりは、地元の方に忘れられてしまった館跡を探し出して残していきたい
という気持ちだけで・・・でもやっぱり城跡の大きな堀切・土塁・切岸の方が血が騒ぎます!!

でもこれからも地名だけになってしまった居館跡も探し出します。
  1. 2012/11/08(木) 23:15:19 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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