長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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塩尻市  北熊井城①

巨大城郭は誰のもの???

所在地・・・・塩尻市片丘北熊井町村                         訪城時間・・・・5分

危険度・・・・★☆☆☆☆                                別 名・・・熊野井城

訪城日・・・・多数(通いまくり !(^^)! )


この北熊井城は、大好きな城跡であり、毎年何回も訪城しています。しかし、地元の方の努力による
整備も広大な城域に中々追いつかず、草刈り場所が移るたびに前回整備した場所が籔になっていくという
イタチごっこになっている。

地元の方の努力とご苦労に感謝すると共に行政による関与や史跡指定を望むものである。

今回は(毎回であるが・・・)何回も通って撮りためた写真を多用し、北熊井城の魅力を皆様に伝えて少しでも
訪城してくれる方を増やせるようにしたいと思います。が・・・・結構長いかもしれません。
できればお付き合いください。。。。(-_-;)


                ~ 北熊井城の歴史 ~


kitakumai91 (3)

夕焼けに浮ぶ北熊井城の本郭。 

「信濃史学会」編の「信濃中世の館跡」を中心に書いていきます。

「熊井郷」は文治二年(1186)「乃貢末済之庄々注文」(吾妻鏡六)に初めて名前が出てくるが、鎌倉期には信濃

国府の支配下の国衙領として推移したもののようである。

南北朝動乱期に小笠原貞宗が守護に任ぜられると、熊井郷を塩尻西条と共に府中小笠原氏が南部の防衛拠点として

城を築き一族を配して、対立する諏訪上社の諏訪氏に備えたものと考えられる。

小笠原氏は諏訪上社諏訪氏と諏訪下社金刺氏の対立に着目し諏訪下社に社領の寄進状を出して友好関係を維持しよ

うとしている。


kitakumai91 (20)

夕日と北熊井城

南朝元中四年・北朝嘉慶元年(1387)九月二十六日、諏訪頼継と小笠原長基が熊井原で戦った。

「府中熊井合戦、諏訪打負大死、小笠原打勝候」(守矢文書)

この戦いは北熊井城の南にある支城とされる南熊井城の東側の犬原で行われ、小笠原氏が大勝を諏訪上社神長官

守矢氏が記録したものであり、合戦の場所から見て、北熊井城が大きな役割を果たしたと見られる合戦である。

天文十四年(1545)六月十三日、武田晴信が上伊那をほぼ平定した余勢を駆って、筑摩郡に侵入し桔梗ヶ原に陣

を据えて北方の小笠原氏の本拠地林城近くに放火し、次の深夜に林の館に放火するなど荒らして周り、十六日、

勝鬨を上げて引き上げた。その際、北熊井城は自落している。そのことを「高白斎記」には、

「十四日林近所迄放火、桔梗ヶ原御陣所(比叡の砦のことか?)熊野井城自落、子刻十五打立、小笠原ノ館放火」

と記されている。

天文十七年(1584)七月十日、塩尻峠の合戦の小笠原氏に勝った武田氏は、天文十九年(1550)七月になると

小笠原氏の本拠地府中の攻略に乗り出した。小笠原長時は「イヌイの城」が攻め落とされると、十五日深夜、

本拠林城を始め周辺の諸城は城を放棄して逃亡してしまった。

これらの流れの中で北熊井城は、武田氏のものとなっていったと思われるが詳細を示す文献は見つかっていない。


kitakumai91 (19)

北熊井城を東側から遠望する

その後、北熊井城が文献に登場するのは、武田氏のものとなってから七年経った天文二十二年(1552)六月八日

「八日(巳末)節、熊野井、城鍬立」とあり北熊井城は武田氏により改修されている。

武田氏滅亡後、小笠原貞慶が筑摩郡を回復すると溝口美作守に北熊井村において二百貫、塩尻郷において千貫を

宛行っている。貞慶は溝口美作守をして北熊井城の経営に当てたものと思われる。

*「信濃の山城」では、北熊井城の築城者を、対岸の高出に居住した下社領時代諏訪派遣の大和織部が、小笠原氏

の命を受けてこの城を大永・天文の頃に築城したのではないかと推測している。

なお、天正十七年三月七日小笠原貞慶から高出居住大和兵部衛門・織部丞・小兵衛宛吉田雅楽進分二十五貫文の

所を宛行われている。

また、よく出てくる城主ではないかとされる、熊井軍兵衛は北熊井城の支城である立小路城の城主であると

している。


             ~ 北熊井城の現状 ~

kitakumai01.jpg

北熊井城の立地は、鉢伏山の西麓にあって東街道・三州街道・西街道を望む位置にあり、城は東から西に傾斜した

舌状台地上にあって標高740m、東街道から比高50mである。

西側に城下町・砦・出構が構築されている。
 


kitakumai02.jpg

北熊井城は広大な城域を持つ為、説明はA地区とB地区に分けて紹介していきたいと思います。

ktakumai2.jpg

大手とされる場所に建つ保存会による説明板。(近年建ったものだが地元の方には感謝ですね。) 

っといいつつ長くなってしまったので遺構の説明は次回ってことで!!!

お楽しみに!!  !(^^)!



~参考文献~  

山城探訪       (宮坂 武男     平成10年)

信濃の山城      (信濃史学会      1988年)

信濃中世の館跡    (信濃史学会      2000年)
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  1. 2012/12/19(水) 21:01:30|
  2. 塩尻市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

大好きです

一段と寒くなってきましたね。
北熊井城は私も大好きです。
特に、(南側からの攻め手からの)隠し通路
みたいな堀切と(所々にある出撃路みたいな)
土塁の切目が面白いなあと思っています。
  1. 2012/12/20(木) 06:58:46 |
  2. URL |
  3. 丸馬出 #-
  4. [ 編集 ]

Re: 大好きです

丸馬出様  コメントありがとうございます。

本当に寒いですね~。。。しか~し、この時期こそ城跡のシーズンです。
毎週末に山中を走り回ってます。

この北熊井城は人気がありどこのページを見ても掲載されていますが、
毎年通っているからこそ掲載出来る写真をupしたいと思っています。
お楽しみに。

南側の土塁の切れ目ですが、最近保存会の方により西門・東門の標柱が建てられました。
この部分には少し疑問を持っていますが、たぶん参考にしたのは片丘村誌に載る縄張り図かと
思われますが。。。。。。どうなんでしょう。

今年も通うぞ!!!(この間行ってきましたが・・・・)
  1. 2012/12/20(木) 22:07:32 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

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