長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

塩尻市  北熊井城③

A地区の続きですな。

長くなってしまいますが、お付き合いください。


kitakumai03.jpg

~堀②(城跡南側横掘)~

kitakumai11356 (6)

堀①はA地区の南側の守りと共に、巨大な土塁は大手とされる部分の

食い違い虎口を構成する一部となっている。

堀①の範囲は大手部分から郭②(東一の曲輪)の南面までの長大なものとなっている) 


kitakumai11356 (13)

堀①の大手付近を見る。

大手付近は、巨大な土塁・深い堀・本城の中段に帯郭・本城の土塁切岸と四重の守りとなっている。
 


kitakumai11356 (9)

kitakumai11356 (10)

堀①の土塁には開口部が存在する。

通常土塁に開口部があると敵に侵入される可能性が増えるので出来るだけ少なくしたいと言うのが普通であろう。

しかし、北熊井城はA.B地区合わせれば土塁には6ヶ所ほどの開口部が存在する。

一部には東門(上の写真)・西門などの名称がつけられているがその他の用途は不明のままとなっている。

何に使用したんでしょうね。 


kitakumai11356 (4)

本城から見た郭②(東一の曲輪)側面を通る堀① 

kitakumai11356 (11)

kitakumai11356 (19)

堀①は郭②に来ると小規模となり(道路により埋められた可能性もあるが)やがて郭②の東堀切部分で無くなる。
(地元の方の整備には感謝しているが、素人の整備では写真のように重機を入れてしまうなど部分的な破壊が見ら
れるので、やはり教育委員会など行政がかかわって整備をすすめるのが望ましいが・・)
 


~堀③(本城東側の三重堀切)~

kitakumai400 (2)

kitakumai400 (3)

三重堀切の一番目(本城側)の堀切で上幅11m・深さ本城側で4mほどの規模となっており三重の中では一番小規模

で、南側末端は本城南側帯郭に接続している。(形的には帯郭に土塁を盛った様な形状をしている。)
 


kitakumai600 (2)

2本目と3本目の堀切間の土塁状から見た堀②(奥に本城の土塁が見える) 

kitakumai600 (4)

三重堀切の中間の堀で一番の規模を持ち、上幅20m・深さ約10mほどとなっている。
(この堀にも整備の際に重機が入った痕跡がある)


kitakumai600.jpg

この堀は、本城南側の横掘の堀①に接続していて堀が付き合たった部分の土塁が開口部となっている。   

kitakumai700 (7)

堀間の土塁上から見た三番目の堀切、右側は郭③(東一の曲輪)

kitakumai700 (2)

三番目の堀切の内部を見る。
規模は上幅10m・深さは約5mほどある。
 


kitakumai900 (4)

三重堀切を北側から見る。

郭③(東一の曲輪)の北西隅部が堀切を囲むように伸びてきていることがわかるだろうか。

用途は不明だが。。。。。敵に登られたらどうするんでしょうね。。。(?_?) 


kitakumai900 (2)

三重堀切全景。。。。。!(^^)!  美しい!!!(現在は藪に戻っているけど)

~郭②(東一の曲輪)~

kitakumai211 (3)

東一の曲輪内部を見る。(奥に本城の土塁が見える)

東一の曲輪内部は現在、畑となっていて土塁等の遺構は確認できない。
 


kitakumai211 (2)

東一の曲輪の切岸。

左側は、浅くなった堀①、東一の曲輪の東側にも堀切④が見られることからやはり堀①は道路により破壊された

ものと見られる。 


~堀④(東一の曲輪と二の曲輪間の堀切)~

kitakumai100 (4)

kitakumai100 (3)

堀④は現在、畑への入り口の通路として使用されており、かなり埋められたようであるが縁部は原型がのこされ

ているようで、上幅約10m・深さ(一番深いところで)約5~6mとなっている。
 


kitakumai100.jpg

郭②(東一の曲輪)と堀切④を北側から見る。 

~堀⑤(東二の曲輪と竹ノ花間の堀切)~

kitakumai105.jpg

東二の曲輪と竹ノ花は現在、畑となっていて見るべき遺構はなく、堀⑤もわずかな段差があるだけで、道路として

改変されていて堀のようには見えないが横から写真のように見ると堀であったことが分かる。


~過去の発掘調査(土地改良事業)~

1988年に塩尻市教育委員会によって「竹ノ花遺跡」として堀⑤の西側「東Ⅱの曲輪」北側斜面の発掘調査が行われ

北熊井城にかかわる遺構が確認された。

発掘調査前には、東二の曲輪から1.5m下がった部分に巾2m前後の帯状平坦地が一段存在することが確認されていた

発掘はトレンチ調査であった為に全容は確認できていないが、

この平坦部分は、斜面への削平・盛り土によるものではなく、斜面を横に深く掘りこんだ溝状の遺構内にその後の

土が堆積した結果、帯状になったことがわかった。

形状としては、東二の曲輪から65~75°の傾斜で切岸を落とし、溝状の底部巾25~35cmを経た後、再び65~75°

の傾度で70cm立ち上り、幅30~40cmの平坦地を経た後に、26°の傾斜で下っていく形状となっていたことが分かっ

た。また、溝底部は緩やかに(傾斜郭5°)東側に立ち上っていくことが確認された。


kitakumai63528.jpg

報告書の記述と写真を参考に作成

この遺構について報告書の使用用途の推考として、

本址の時代属性については、遺物の伴出はみなかったものの、北熊井城に関連するものと考えられる。

検出範囲が狭く、その性格については限定は難しいが、空掘・土塁・馬出等が考えられる。

空掘としては、北熊井城に見られる他の施設に比して小規模すぎることと、郭上部までわずかの距離しかないこと

から可能性は薄いと思われる。

土塁については、結果的にその形態を呈していることから、土塁的役割は当然付されているとは思われる。

しかしながら、土塁が持つべき防御線としての役割を果たす為には、その内側、つまり溝部分の空間が行動空間

としてあまりに不十分であり、また主郭に見られるように、斜面中に築く以前に郭周辺部にまず構築されている

べきかと考えられる。


kitakumai41 (13)

夕日のなかの主郭土塁と昭和50年に約百本近く植えられた中で唯一残った桜の木

しかがって、土塁そのものを目的としてなされた施設とは考え難い。

最後に、いわゆる「馬出」については、溝底部の狭隘な点からやや疑問視されるものの、馬ばかりでなく、兵の

出入りを主な目的とした施設としては、充分その目的にかなうものと考えられる。

緩やかに西斜する底部がこれを裏付けていると考えたい。(後略)

としている。



今回も長々と書いてしまいましたが、なんとかA地区が終わらせることができました。

写真を多く使用して、説明してきましたが北熊井城の良さは伝わったでしょうか?

次回はB地区をお送りしたいと思いますので、お付き合いください。



~参考文献~

竹ノ花遺跡発掘調査報告書     (塩尻市教育委員会  1988年)

今泉・竹ノ花遺跡発掘調査報告書  (塩尻市教育委員会  1987年)
スポンサーサイト
  1. 2012/12/22(土) 11:17:33|
  2. 塩尻市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<12月21日の訪城結果 | ホーム | 塩尻市   北熊井城②>>

コメント

こんなに綺麗な時もあったのねえ

小生、夏に攻めたので至る所藪茫々。本郭は腰まである雑草の中を彷徨いようやく桜の木に辿り着くという有様でございました(笑)

こんなに整備されていた時期があったんですねえ、地元の皆さんの労力は毎年報われずにイタチごっこの繰り返しとは悲惨です。自治体の救いの手が必要だと痛切に思います。

しかしこんなデカイ城歩き回るだけでも大変なのに四回も通ったとはビョーキですなあー(笑)
でもそのおかげで立派で迫力ある写真って訳です。素晴らしい・・。
この城とよく似ているのが佐久の白鷺城。さすがにひと回り小さいのですが、武田の手になる城という点では共通の造りのようです。宿城の見本みたいな城ですね。
  1. 2012/12/22(土) 15:47:31 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: こんなに綺麗な時もあったのねえ

らんまるさん  お疲れ様でございます。

北熊井城は本当に大好きな城跡で、城部分・城下・城下を守る砦・総構えのような横矢掛など
全部見るだけで、3時間ほど必要なほど巨大で良く残っていて魅力ある城跡だと思っています。

しかし現在は、地元にまかせっきりで手を出さない行政には憤りを感じています。

何故、塩尻市は立派な城跡が良く残っているのに手を出さないのでしょうか?
塩尻市より小さい生坂村があんなに頑張っているのに。
ブログにより少しでも手助けになったら幸いだと思っております。
  1. 2012/12/22(土) 20:03:04 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://osirozuki.blog.fc2.com/tb.php/141-032d66da
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。