長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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塩尻市  北熊井城④

さあ~北熊井城の後半戦でございます。。。。B地区編

kitakumai02.jpg

今回は、北熊井城の西側部分のB地区をお送りします。 

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~ 郭①(中の城) ~

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本城(本郭)から見る郭①(中の城)

B地区の郭①は、北熊井城跡内において実質的な二の郭にあたるものと思われるが、堀をはさんだA地区に比べこれ

からお送りしていくが郭の削平が甘いという特徴が見える。
 


kitakumai31.jpg

B地区郭①(中の城)の南東部には、神社が祀られていてこの神社を囲むように高さ30cm程度の土塁が、郭の

南東縁部に残る。
 


kitakumai33.jpg

A地区郭①(本城)から見る、B地区郭①(中の城)の南東隅部を見る。

郭の隅部が土塁によって高まりになっているのがわかり、この真下が伝大手であることから櫓台もしくは郭内の

目隠しの役割を担っていた可能性がある。
 


kitakumai32.jpg

郭①(中の城)内部を見る。(奥にA地区本城)

以前は笹藪で詳細を見ることが出来なかったが、現在、地元の方が笹刈りをしてくれているので以前では中々気付

かなかったが、郭がかなり北側に傾斜していることが確認できた。

城内で二番目に大きな郭ではあるが郭内部の削平が甘く居住区・恒久的な施設を置くような地区ではなかったので

はないかと思われる。
 


kitakumai36.jpg

B地区郭①(中の城)の北東隅部中段には、傾斜はあるが腰郭のような出っ張りが存在し、資料には、この腰郭と

A地区の郭①(本城)の北西隅部中段の堀状の出っ張りとを橋を渡して行き来していたのではないか、としている

ものもあるが、本来の使用目的は不明ながら、北熊井城の北側斜面には竹ノ花遺跡で見つかったような遺構が

埋まっている可能性もある。 


~ 堀① ~

kitakumai51 (2)

堀①は、B地区郭①(中の城)と郭②(下の城)間に構築されている堀で、上幅15mの大きな堀となっている。

郭の関係は、郭①(中の城)が、郭②(下の城)より約2mほど高く堀を挟んで見下ろす関係になっている。
 


kitakumai51 (4)

堀①は他の堀と違って、堀内部が平坦ではなく、写真のように山なりに構築されていて真ん中あたりは両端に

比べだいぶ浅くなっている。これは埋まったのではなく構築当初からこのような造りかたであったと思われる。

その後、堀①は堀③の横掘に接続し、接続部分は西門跡とされている。


kitakumai51 (3)

堀①の真ん中部分は浅くなっている。

以前は、かなりの籔であったがここも地元の方のおかげにより整備され見やすくなった。
 


kitakumai51 (5)

堀①遠望

~ 郭②(下の城) ~

kitakumai62.jpg

kitakumai61.jpg

郭②(下の城)はまったく整備されておらず、写真のように笹藪で詳細確認は出来ない。

しかし、笹の形状から西側に傾斜していることが確認でき、堀①に面して高まりが確認でき土塁があった可能性が

ある、このような自然地形のような郭に土塁があったかは疑問でもあるが。。。(?_?)
   


~ 郭③(西一の曲輪) ~

kitakumai300 (5)

郭③(西一の曲輪)は、郭②(下の城)の西側約3m下に存在し、こちらも明確な削平は見られない。

(写真の左側は、郭②(下の城)の切岸)
 


kitakumai300 (6)

郭③(西一の曲輪)は、堀③からは堀状の虎口から入るようになっており、車の奥にある高まりにより堀③からは

見えないようになっていて隠し郭のようになっている。
 


kitakumai300 (3)

郭②(下の城)切岸下と郭③(西一の曲輪)間の北側斜面には、堀状の窪みが確認できることから堀切もしくは

北側斜面への竪掘などがあった可能性がうかがえる。
 


~堀③(南側横掘) ~

kitakumai71.jpg

堀③は、B地区南側を守る為の横掘で長大に構築され、A地区の横掘と伝大手付近で食い違い虎口を構成している。

現在、郭③(シイタケ栽培がおこなわれている)への車道となっている。(写真は、郭①(中の城)下の部分)
 


kitakumai71 (6)

kitakumai71 (4)

伝西門を見る。

この場所は、片丘村誌に西門と記載される場所で、堀③と堀①が交差し堀①がそのまま竪掘城に落とされている

土塁の切れ目を西門跡としている。
 


kitakumai71 (3)

この西門跡説を素人なので全く否定するものではないが、西門跡とされる窪みを下りてもこの堀③は二重の横掘

となっていてそのまま城外に出ることは出来ない。

さらにこの自然の沢を利用した外側の堀の城外は、門跡とされる窪みより高く逆に城外の敵に攻撃される恐れが

ありこの窪みを門跡とは疑問と考える要因となっている。


kitakumai71 (7)

伝西門跡の他にも堀③には土塁に切れ目がある部分がある為、あの場所だけが門跡とする説に疑問をもつことの

一つとなっている。 


kitakumai71 (11)

kitakumai71 (9)

自分としてはこの堀③の最西端部のこの部分が大手ではないかと考えている。

この部分は、郭③(西一の曲輪)の南側、堀③が終わる部分で堀が二重になっていて、郭③は高まりで見えなく

隠し郭のようになりこの部分からは分からない、しかも、城主の居館・侍町・外郭はこの西側に構えられている。

本城からも一番遠いい場所に位置するなど。。。。。ここでは?と考えている。
 


kitakumai91 (5)

北熊井城の最西端部を見る。(自然の沢が堀の役目をもっており、台地と切り離している) 


さあ、長々と書いてきたB地区はいかがだったでしょうか?
A地区と比べ郭の削平が甘いことや、堀(①)の構築のし方が違うなど、A地区とB地区との構築に違いが見られる
ように感じた。

素人なのでこれと云った確定的な説を言うことは出来ないが、大手の位置にはかなりの疑問をもっている。

どなたかが確定してくれるといいな~。。。(-。-)y-゜゜゜  (ひとまかせ~)


次回は。。。。北熊井城の最終回で外郭を紹介したいと思います。お楽しみに!!!
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  1. 2012/12/25(火) 17:20:44|
  2. 塩尻市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<塩尻市  北熊井城⑤ | ホーム | 12月21日の訪城結果>>

コメント

土塁の切れ目ですが

ふと思ったのですが、例の土塁の切れ目は
山梨の白山城の横堀+竪堀と同じ機能では
(北熊井城の場合は平城なので、
切れ目になってますが)

ところで、北熊井城の図面を見ていただきたいので
私のアドレスkza2b40120@yahoo.co.jp
までメールをいただければ幸いです。
  1. 2012/12/26(水) 06:35:40 |
  2. URL |
  3. 丸馬出 #-
  4. [ 編集 ]

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