長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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下諏訪町   上の城(かみのじょう)

下社勢力の巨大城砦群

所在地・・・・下諏訪町東山田        訪城時間・・・・40分~50分

危険度・・・・★☆☆☆☆          訪城日・・・・平成11年1月29日

訪城目印・・・・下諏訪社中学校裏から荻倉砦脇を通る林道が上の城の脇を通過している。  
  


            ~ 上の城・下の城・萩倉砦の歴史 ~  

「高島城と諏訪の城」(郷土出版)の「上の城・下の城」の項によると、

「下社春宮の背後にあり、山吹城の対岸に対峙する大規模な山城。砥川と福沢川に挟まれた尾根にあり、上の城の

主郭は広大な面積を有する。上城址之碑と刻まれた石碑があり、北側には飯綱神社がある。

下の城は社中学校の背後に位置し、狭小な尾根にある。『下諏訪町誌』は当時の萩倉の位置から、大祝金刺昌春が

逃げ込んだ‘萩倉の要害‘を上の城に比定している。宮坂武男氏は天文年間に武田氏が改修したことを指摘。」

とあり、城主として山田氏・横手氏としている。


IMG_0002_20130109223218.jpg

上の城・下の城・萩倉砦については「信州の城」(信濃史学会編)が詳しいので紹介する。

下の城の背後の尾根を詰め、萩倉砦から馬飼場を経て沢筋を登り詰めて行き合った所に上の城がある。

円形の山で、眺望が開け下部からも良く見通せる場所である。標高1063m・比高250m奥深い所に上の城は位置する

昭和4年11月、東山田住人樋口辰之助茂冶氏建之による城跡に建つ「上城址之碑」の碑裏文を紹介すると、

①当城址は武田信玄の臣横手彦左ヱ門尉の居城址との伝説あり。

②発見遺物に拠れば先史原史時代より戦国時代まで引き続き山城として使用せられたるものなりとの説あり。

③城址内に三条の空濠址及古井を有し付近に下城・馬飼場・入堀切・前手堀切等の地名を存す。

とある。


simosuwakaminosiro2 (4)

上の城の本郭にある城址碑

しかし、築城年代や城主も諸説ありはっきりしない点が多く、名称すら当時どのように呼ばれていたのかわからず

便宜的に上の城、下の城と後世呼ばれてきたのであろう。

下宮の重要拠点であり、築城者は下宮大祝金刺氏かその一党であろう。下宮の本城桜城の支城としての役割を持っ

たであろうが、砥川以西には、岡谷地区、塩尻峠から諏訪湖尻の釜口まで下宮の直轄地であった為、目立った砦が

存在しないことからして、この城がいかに重要だったかわかる。

永正15年(1518)の上下社の争いで、下社金刺氏は上社の諏訪頼満に攻められて滅亡する。

「当社神幸記」の永正15年条には「コノ年下宮遠江守金刺昌春、萩倉ノ要害二自落シテ一類面々家風悉ク断絶シ

畢(オワ)ンヌ。上宮刑部大輔頼満本意ニ属シ給フ、千秋万才後代ノ為メ之ヲ記ス、十二月十八日夜大城没落ノ

拠ニ、同廿一日夜重ネテノ御渡之有リ、稀代不思議ノ事也。」とあり金刺昌春は没落して、武田信虎を頼って甲府

に住み復帰を図るが、遂にその願いは達せられずに終わった。

その中で、永正15年の冬に自落した萩倉の要害がどこであったかが問題となる。


IMG_0001_20130111204412.jpg

この図面に沿って紹介します。

従来は、山吹大城が萩倉の要害であろうと言われてきたが、当時の萩倉の地名は砥川以西であるというので、最近

は上の城が有力視されている。

伝承では、この上の城の城主は山田氏が預かったとも、武田氏統治時代に川中島合戦の折にノロシ場であったとも

伝えられ、横田備中守や横手彦左ヱ門が居城したとも言われいるがいずれも確証はない。

天文12年(1542)に諏訪氏を滅ぼした武田氏が上原城を改修した際に下社の城(桜城か?)も普請しているので

上の城・下の城も塩尻峠や和田峠の抑えとして使用されたものと思われる。

「天文十二年五月廿五日(辛 未)巳刻、巳午ニ向ヒ上原ノ城鍬立七九・・・・七月十三日(初テ長坂上原在城衆

移ル、十五日下宮ノ城普請初、廿八日御帰府。」(高白斎記)



               ~ 上の城の現状 ~

~水の手~

simosuwakaminosieo1 (7)

社中学校裏から続いている林道を登ってくると。。。。

simosuwakaminosieo1.jpg

林道脇に「西尾根 上ノ城址」の看板があり、看板脇から尾根を目指して登る。
(道はないが踏み跡がついているのでわかると思う。)


simosuwakaminosieo1 (5)

看板脇を登ると、二段の郭がありその一つが水の手とされ現在でも確認出来る。

simosuwakaminosieo1 (3)

現在は。。。。動物たちの水の手かな (-_-)zzz 

simosuwakaminosieo1 (6)

城内から水の手のある斜面の郭を見下ろす。

~郭①(本郭)を囲む堀~

simosuwakaminosiro5 (3)

simosuwakaminosiro5 (5)

上の城は、図面を見てもらうとわかるように、本郭を囲むように横掘が掘られていて、東側は二重の横掘となって
いて写真は外側の横掘で内側より規模が大きい。 


simosuwakaminosiro5 (4)

simosuwakaminosiro5 (7)

東側横掘の内側の堀を見る。
(埋まってしまっているのか深さ約1m程度で明確でない場所もある。) 


simosuwakaminosiro6 (3)

城の南側が緩い尾根となっており、ここを下って行けば下の城へ通じる。(林道を行った方が楽だが・・・・) 

simosuwakaminosiro6 (7)

simosuwakaminosiro6 (9)

南側は、下の城と尾根続きのせいなのか???東側と違い二重ではあるが堀の規模が小さく、一部明確でなくなる
(写真上は、内側(本郭側)の堀・写真下側は外側の堀)
 


simosuwakaminosieo3 (4)

simosuwakaminosieo3 (5)

西側の横掘は一番規模が大きく切岸がしっかりしていて、三重の堀となっている。
笹と雪で詳細は確認できなかったが、上の城は西側(塩尻峠側)に防御の重点をおいていることが分かる 


simosuwakaminosiro4.jpg

simosuwakaminosiro4 (2)

北側は搦め手の尾根となっているが、こちらも防御的に弱い感じを受ける。

堀は二重となっているが西側ほど切岸も明確ではなく、堀も小さい
。 


~ 郭①(本郭) ~

simosuwakaminosiro2 (5)

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本郭にある城址碑(上)と本郭から横掘を見下ろす(下)。 

simosuwakaminosiro2 (3)

本郭はたまご型をしていて70×50mの広さがあるが、郭内は削平が甘いものとなっている。
ここまで削平が甘いと説明にもあった武将たちの居城とするには疑問があり、やはり伝承であろうが、もしかした
ら下の城ではありえたかもしれない。
 


~ 搦め手 ~

simosuwakaminosiro7 (4)

本郭北側の尾根をたどるとこの土橋状の細尾根が現れる、ここの以前は堀切があったのではないかとされている。

山仕事の為に埋められてしまったのであろうか?
 


simosuwakaminosiro7 (2)

simosuwakaminosiro7.jpg

石尊社跡
本郭から250mでこの石尊社があり、ここから古刀が出土したと伝えられている。

確認はしていないが、石尊社から50mで馬場跡・さらに300mほどで手前堀切・入掘切などの自然地形をいかした
搦め手の防御施設があったようである。


simosuwakaminosiro7 (6)

上の城はいかがだったでしょうか?

あいかわらず長すぎ。。。。。っと怒られそうですが、最後まで見ていただいた方はありがとうございました。

上の城は、長野県下でも珍しい、本郭を何重にも横掘で囲むという築城方法が見られる城であり貴重なものである
が。。。。古い感じは否めないように感じる。
武田氏は、金刺氏が使用していたこの城をあまり手を加えずに使用したためであろうか?

次回は。。。。。下社城郭郡の下の城をお送りしますのでお楽しみに。。。V



~参考文献~

山城探訪  諏訪資料編  (宮坂 武男)

信州の山城        (信濃史学会  1993年)

高島城と諏訪の城     (郷土出版社)
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  1. 2013/01/09(水) 21:43:23|
  2. 下諏訪町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

なるほど、ここでしたか

諏訪地方は小生の計画によると昨年の夏までには城砦群の調査が終わっている予定でしたが、計画倒れになりました・・(汗)

諏訪地方の争乱を真面目に書いているブログやHPが少ないのには驚きますね。
信濃では真っ先に諏訪地方が侵略され諏訪本家が滅亡しちゃったので、興味が薄れた感は仕方ないにしても残念です。

金刺氏最後の場所の萩倉はここでしたか。
さんざん策略を巡らして本家乗っ取りまで画策した下社の神官としての最後は呆気なかった。
この程度の縄張りでは自落止む無しでしょう。

それにしても諏訪周辺の城砦の扱いはマイナー過ぎますネ。もっと光を当ててあげないと可哀そうです。
  1. 2013/01/12(土) 20:31:52 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: なるほど、ここでしたか

らんまるさん こんばんはです!

諏訪地方の城を細かく説明しているものは確かに少ないですよね。。。
少しでも諏訪地方の城跡にスポットが当たれば幸いですが、
人気が弱いにはそれなりの理由があると思いますが、やはり技術の未熟さでしょうか?
北信濃などのメリハリがきいた遺構はほぼ望めないというのが最大の理由でしょうか。

上社と下社の複雑な関係もあるかも知れませんね。
  1. 2013/01/12(土) 20:40:49 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2013/01/12(土) 21:11:35 |
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  3. #
  4. [ 編集 ]

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