長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

松本市  中村館

安曇南部の雄 西牧氏城砦群⑧  西牧氏初期の居館跡

nisimakinotoride1.jpg
西牧氏関連城砦群配置図          国土地理院 2万5千分の1地図使用


所在地・・・・松本市梓川梓字上野                   訪城時間・・・・0分

危険度・・・★☆☆☆☆                         別 名・・・中村西牧氏居館

訪城目印・・・・鞠子神社                        訪城日・・・2008年7月13日・2010年12月27日



            ~ 中村館の歴史 ~

中村館は中村部落の略中央で段丘の縁辺、最も東に突出せる部分に位置しており、段丘下には降旗田園(旧降旗牧)

を一望に収め梓川の右岸にある波田町(現松本市)と相対している。

この地域で最も古い道とされるのは鞠子神社の前を通じている横道(千国街道)であり、この千国街道は西牧氏が

中村居館を構えてから開かれたものであるとされている。


nakamurayakata11.jpg
古い歴史をもつ鞠子神社(この前を通る道が千国街道とされている)この日はお祭りでした。

この中村館の構築時期は、西牧氏が牧官として移住してきた頃に築かれたものと考えられておりこの頃は防御施設

は設けられて無かったものと見られ、現状でも他の西牧氏の城館のように明確な防御施設は見られない。

ただ、中世となり居館を於田屋に移すとこの中村館は西牧氏の支館としてや段丘下の降幡田圃から上がってくる

胡桃坂・神田川坂を押さえる砦・木曽・飛騨方面に備える為の周囲の小砦をまとめる為の中心的な砦としての役割

を担っていたものと思われ、段丘縁にある帯郭はこの頃に防御として手を加えたものとみられる。


nakamurayakata3.jpg
この図面に沿って紹介していきます。


              ~ 中村館の現状 ~

~ 郭①(御頭) ~

nakamurayakata2 (5)

中村館の中心部とみられる「御頭」地籍で、2008年8月時点では広大な平坦地(北安曇郡誌では宅地表記)であっ

たが、2010年12月には写真のように新しい家が建ち始めており2013年では畑地にもなっていたので現在は無断で

は入れない可能性が高いので地権者の許可を得てから見学をすることをお勧めします。


nakamurayakata2 (2)

nakamurayakata2.jpg


御頭地籍の段丘縁部には、高さ約1mの土塁状の土盛りが築かれているが北安曇郡誌の図面には記載がないことから

これは後世の家や畑に関係するものと考えられるのでこの御頭地籍では館に関する城郭遺構は確認できないことになる。

ただ、図面にも記載しているように御頭地籍の東側には「古道」と伝えられる細い道は、古い時代には段丘縁部を

通っていたとされているので中村館の虎口(入り口)は東側に開いていたと想像できる。


nakamurayakata2 (3)

御頭地籍の北側の道路(車がある所)は「新道(あらみち)」と検地帳に記載されている道で居館廃絶後に造られ

たものでこの道により居館の北側の境界は分からなくなっている。


nakamurayakata2 (4)

御頭地籍から見る戦国期の改修と考えられている帯郭を見下ろす。

(縁部の高まりは後世のもので土塁ではないと考えられる)


~ 帯郭 ~

nakamurayakata5 (12)

nakamurayakata5 (4)

中村館の帯郭は、通常の城にある帯郭とちがいニの郭となるほどの大きさをもっており本郭(御頭)側には、

約2mほどの切岸が構築されている。


nakamurayakata5 (5)

nakamurayakata5 (6)

この帯郭には、多くの湧水が確認でき居館の水の手として利用されていたことはもちろんだが、現在でも(?)

神田川部落の水道水源地となっているものもあるほど水に恵まれている地に居館は構築されている。


nakamurayakata5.jpg

帯郭と帯郭の間には写真のような竪掘状の窪みが斜面を落ちているが、山城探訪の図では沢のように書かれている

ので自然の沢であったろうが防御としても役に立ちそうである。


nakamurayakata8 (2)

この帯郭は、上記の自然の沢を挟みながら胡桃坂と神田川坂の間に長く構築されていて居館の大きさがうかがえる

が、この居館の始まりが古いせいか明確な区切りや範囲が分からないのが難点となり居館の全容が解明されていな

いのが現状である。


この居館について研究している資料がほぼ皆無に近く、他の地域の残りの良い城館が研究対象となってしまってお

りとり残されている感じをうけるが確かにここにあった中村館・・・・・・誰かこの居館の全容を解明してほしい

ものである。(他力本願的な考えかな)

それにしても、住吉の庄や北条の地を小笠原氏に奪われ田屋に本拠を移した西牧氏はどこに居館を設けたのであろ

か、さすがにあんな高所にある田屋城に居住はしていなかったであろうし。。。。。。

これに関して論じている資料にはめぐりあっていないのであるが、中村館に戻ったってことはないか。。。。な。



~ 参考文献 ~

山城探訪 補遺資料編 中南信版        (宮坂 武男)

北安曇郡誌                  (北安曇郡誌編纂委員会)

梓川村誌                   (梓川村誌編纂委員会)
スポンサーサイト
  1. 2013/07/03(水) 02:31:35|
  2. 松本市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<塩尻市  五百渡砦(いおととりで)① | ホーム | 松本市  柳坂上砦>>

コメント

もののふの意地

最後の謎解きパズルは鞠子山砦でしょうか?(笑)
今は藪深き山の中かと・・・。

西牧さんは滋野一族の出自なので、小県郡の丸子の地名をこの地に宛がったとは考えられないでしょうか。

後世の舗装路ばかり見慣れてしまうと、古道すら忘却の彼方に消えてしまう運命のようです。
城に飽きたら、古道発掘の旅に出ようと思います(笑)
  1. 2013/07/08(月) 21:20:11 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: らんまるさんへ

そ~なんですよ。。。。あの時のがした鞠子山城が残されているんですよね。
冬になったらまた付き合ったくださいね。
あと残りの西牧氏の逃避行時の砦の殿小屋の地獄のツアーもお願いします。(笑)

街道の勉強。。。自分もしてますよ。
図書館で「歴史の道調査報告書」を借りてきました。
  1. 2013/07/08(月) 22:39:10 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://osirozuki.blog.fc2.com/tb.php/184-40063580
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。