長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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中川村  あら城

大草氏の?信玄の?だれの烽火台

所在地・・・・中川村大草                           訪城時間・・・・10~15分

危険度・・・・★★☆☆☆                           別 名・・・・城山

訪城日・・・・2012年12月21日


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あら城と周辺の城館跡          国土地理院 2万5千分の1地図使用

あら城は天竜川の左岸にあって、和見沢川と手取沢川に挟まれ三方を川と沢に守られた山上の要害の地にあり、

通称「城山」と呼ばれている。

地元の言い伝えによれば烽火台であったと伝えられているが、麓の飯沼か飯田にいた土豪の山城であったのでは、

とも考えられている。


nakagawaarazyou2 (28)
あら城の立地を見る                      国土地理院2万5千分の1地図使用

「下伊那郡史」によれば、南信濃源氏為公の第四子為実の孫の飯沼太郎行俊、行俊の子三郎資行の二代の山城で

あったとの記述もある。また、城山からは上下伊那を見通すことの出来る(今は雑木により見えないが。)場所で

あるので、烽火台・見張り台であったと考えられ下伊那の神之峰(城)と陣馬形山(烽火台)との連絡をとる所で

あったとも言われている。


nakagawaarazyou2 (26)
この図面を参考にしてご覧ください。

享保5年(1720)の「大草村明細帳」によると、

「今は畑で年貢を上納するが、元は大草庄三郎様という地頭の出城である。」と書かれている。

また、寛政元年(1789)の「大草村明細帳」の古城跡の記載に、あら城の規模は南北40間(約70m)・東西一町

(約109m)とある。



              ~ あら城の現状 ~

nakagawaarazyou2 (19)
現在の訪城方法は、手取沢川にかかる橋を渡って写真の三方を川に囲まれた広大な居館跡を思わせる畑地に出る。

この広大な畑地は、三方を深い沢状の川に囲まれ唯一陸続きの東側の山頂には、あら城が構築されていて居館が

あったとしてもいいように思われるが、そのようなことを書いている文献は無いのが不思議である。


nakagawaarazyou2 (18)

広大な畑地を山の方へ登って行くと、写真のような獣防護柵があるので感電しないよう注意しながらはずして山へ

入る。(少し薄暗いので勇気がいるかも。。。。。柵は元に戻しておいてね。)


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緩やかな西斜面を登って行くと、すぐに多きな平坦地が現れる、ただこの最初の大きな平坦地は昔の畑地や植林地の

可能性の捨てきれないくらいきれいである。


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山頂の郭①(本郭)に近づくにつれ明らかに段郭と分かる、平坦地が現れてくる。

nakagawaarazyou1 (2)

緩やかな西斜面の段郭群の中段には、写真のような堀状遺構が見られる。

この堀状遺構がある西斜面は、幅が広いためこの窪みが堀切であった可能性は低く竪掘とも言い切れないような

中途半端な造りである。もしかしたら昔の山道の可能性も残るが、もうすぐ消えてしまいそうな遺構の為、

記録に残しておきます。


nakagawaarazyou10 (15)
本郭の切岸を見る。

西側斜面を登り切ると明らかに今までの緩い斜面と違う人工の壁が現れる。

これが本郭①の切岸で四周を防御している。これを見てもこの城が伝承と違いただの烽火台ではなかったことが

うかがわれる。(切岸の高さは約3mありよく手を加えている)


nakagawaarazyou10 (13)

本郭北側(和見沢川)の切岸と土塁を見る。

この方面は深い沢とこの切岸によりものすごい急斜面となっていて、現在でも登ることは不可能であろう。


nakagawaarazyou10 (11)

本郭①の内部を見る。

本郭は、南東に細長く東側が尖がった不規則な形をしているが内部はきれいに削平されている。

ただ、現在あまり人が入らないようで荒れ果てている。


nakagawaarazyou10 (2)

本郭は、北・東の一部と南側の一部に高さ約2m程の土塁が残っていて、南側の土塁には虎口と思われる開口部が

見られる。


nakagawaarazyou10 (3)

本郭の北側土塁下には、荒れて倒れた「城山神社跡」の碑が残っていて以前には稲荷社もあったようである。

これを見ても人々に忘れ去られた城跡の寂しさを感じる。


nakagawaarazyou4 (4)
本郭虎口を見る。

本郭の南側土塁のは虎口を思われる開口部がある。

もしこの城が烽火台だけの役割の為に構築されたのであれば、このような先駆的な虎口があるわけもなくこの城は

烽火台の役割もになったであろうが、境目の城か土豪の詰城として重要な位置づけのもと改修されながら使い続け

てきたのであろう。


nakagawaarazyou4 (2)

本郭の外側から虎口を見る。

nakagawaarazyou2 (2)

本郭の南側にある虎口(写真上の方の木が横に倒れている場所)から南側の斜面を下りてみると、ここにも段郭が

見られる。ただ、虎口は明瞭に残っているものの登城道のような踏み跡も見られない為、往古はどのような経路で

本郭に入ったのかは不明。


nakagawaarazyou2 (4)

南斜面に残る段郭を見る。

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本郭から東尾根に降るとこの馬出のような郭が現れる。

形状は不規則な三角形で北側と南側に土塁があり、先端部に開口部が開く。


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北側(和見沢側)の切岸と郭を囲む土塁(高さ約70~80cm)を見る。

馬出の役割を担っていたのであろうか。。。。。


nakagawaarazyou2 (10)

馬出状の郭の先にも削平が確認できるが、崩落地などもあり詳しくは確認できなかった。

nakagawaarazyou2 (14)

北側の和見沢の目もくらむほどの深い急斜面を見る。

天然の防御の意味を実感できる場所であった。。。。。。。結構怖い。(゜-゜)


nakagawaarazyou2 (25)

要害堅固なあら城を遠望する。(登るのは簡単です!)

nakagawaarazyou2 (22)

登り口から見る上伊那方面を見る。

立地のよさが分かるでしょうか。



結構長くなってしまいましたが、ず~っと気になっていた城跡だったので隅々まで見てきました。

その為。。。ちょっと細かく報告させてもらいました。

たいして大きな城跡ではありませんが、ちゃんと土塁が築かれ虎口もあるなど手を加えた跡が随所に見られました。

武田氏の侵攻前には、大草氏や片桐氏関連の土豪の城跡として構築され武田氏侵攻時には大きく改修されたので

あろうか、武田氏の領地となると武田氏の烽火台の一部として組み込まれ北にある陣馬形山の烽火台などと共に

使用されたのであろう。



~参考文献~

山城探訪 上伊那資料編         (宮坂 武男)

中川村誌                (中川村誌編纂委員会  平成18年)

定本伊那谷の城             (郷土出版社     1996年)




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  1. 2013/08/22(木) 21:28:11|
  2. 中川村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<中川村  大草城 | ホーム | 安曇野市  瑠璃光寺堀屋敷>>

コメント

マイナー過ぎてさっぱり・・

上伊那、下伊那は同じ長野県とは思えずさっぱりわかりません(汗)
一体全体中川村が何処にあるのか土地勘もありません。小生も貴殿を見習って勉強しないといけませんねえー(笑)

この辺では飯島城くらいしか知りませんが未だ行っておりません。あら城も近くなので関係あったんでしょうね。
興味津津なのは大草城。是非アップをお願いします。
  1. 2013/08/23(金) 19:54:27 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: マイナー過ぎてさっぱり・・

らんまるさん  いつもありがとうございます。

あら城の本城であったと思われる大草城ですが、現地を見ればらんまるさんの
ご期待に添えるような代物ではなく、名ばかりの城址公園になりはててしまいました。

何のための公園化に伴う発掘だったのか。。。。発掘で出土した堀や切岸は埋められ
何の表示もありません。

大きな城跡であったのにもかかわらず、あれほど興味を感じなかった城跡も珍しいかと。。。
もったいないものです。
一応、お答えしたいと思いますのでお待ちくださいませ。
  1. 2013/08/23(金) 21:41:19 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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