長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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駒ケ根市   吉瀬の城山

土豪の詰城か?ただの烽火台か?

kisenozyaouyama2.jpg
吉瀬の城山と周辺の城郭                         国土地理院2万5千分の1地図使用


所在地・・・・駒ケ根市中沢吉瀬                          訪城時間・・・・10~15分

危険度・・・・★★☆☆☆                              別 名・・・・ノロシ台

訪城日・・・・2013年3月10日      

訪城目印・・・・県道18号線沿い南向ダム・吉瀬橋の南側にある鉄塔の建っている山


kisenozyaouyama2 (2)

城山の立地と周辺の状況                     国土地理院2万5千分の1地図使用

吉瀬の城山は、天竜川が蛇行した部分に突き出るように存在する城山に構築されており、三方を天竜川に囲まれ

た自然地形を最大限にを利用した要害堅固な城郭である。

大手は、現在の吉瀬集落から城山の南側にある北沢をたどり小さな沢を詰めると城山の鞍部へ登る道であると思わ

れ、現在は城山に突き刺さる鉄塔の巡視路となっている。
   


kisenozyouyama1 (7)
吉瀬集落から見上げた城山

この城山の歴史は詳しくは伝わっていないが、「山城探訪」には「烽火台の伝承がある。(中略)、豪族の館跡は

不明であるが、集落(吉瀬集落)が根小屋でそこに番士の居住区があり城山を守り、烽火台の見張りの任務につい

ていたことが想像できる。吉瀬の集落は中沢郷に属していて、連絡するには裏山を越えて永見山へ出るかしないと
いけない不便なところであるが
、対岸の月誉平の砦や唐沢城・赤須城は至近で見通せるのでうまく連絡がつき、

狼煙の伝えをしたのであろう。」と書かれている。


*駒ケ根市誌記載の記事には武田氏統治時代の『高遠之新衆』の中に吉瀬善四郎の名が見える。

kisenozyouyama1 (10)

大正年間に建てられた道しるべの碑(後方に吉瀬の城山を見る)

山城探訪にも記載(赤字部分)があるようにかつては北沢沿いに中沢郷に通じる古道が通っていたようで、碑には

「此方 永見山近道」「此方 南向道」と掘られていた。

この事から吉瀬の城山は、烽火台だけではなくこの古道を押さえる砦の役割も担っていたものと考えられる。


kisenozyouyama1 (11)
城山麓の古道の分岐と道しるべの碑

kisenozyouyama3 (5)

登城路は、吉瀬の集落から北沢沿いの道(現在は鉄塔保守道)を辿ると橋がかかっておりこれを渡り沢沿いを

保守道に沿って登ると城跡へ至る。この道はかつての大手であったものと思われ耕作跡や沢水が見られる。


kisenosiroyama112.jpg
この図面に沿って紹介していきます。

~ 東尾根 ~

kisenozyouyama7 (5)
尾根上の鞍部

kisenozyouyama7 (6)
鞍部の堀状の峠を横から見る。

大手であったと思われる現在の保守道を登ると、堀②とされる尾根上の鞍部へ着く。ここは堀状の峠となっている

が城が存続していた時代にはここに城の入り口として門が構築されていたものと思われる。


kisenozyouyama7 (4)

堀②(峠かも)から尾根を西に10mほど登ると、この城跡唯一の明確な堀切に出会う。堀の規模は上幅11mある。

写真では常緑樹により分かりづらくなっているが堀があり一段帯郭を入れてから本郭へ達しているのである。


kisenozyouyama7 (3)

また、堀①は尾根の両側に竪掘が落とされておりこの堀切の規模や竪掘の状況から見てもこの城跡がただの烽火台

として構築されただけのものではなく砦として防御を意識して構築されていることが窺える。


~ 本郭 ~

kisenozyouyama5.jpg

城山の山頂がこの城跡の本郭となるが、形は扇状で13×11mの小規模なもので

削平はきちんとされているものの土塁等の防御施設は見られない。


kisenozyouyama6.jpg
本郭①から西尾根にある②の郭を見下ろす。

②の郭は城内で3番目に大きく16×11mの広さがある。また、削平もしっかりされており城内でみるとここが小屋掛

けに一番適しているように感じる。


kisenozyouyama6 (12)

kisenozyouyama6 (9)

西尾根には大小約4段の郭が構築されているがそれぞれの切岸は緩く、防御を意識したものではなく尾根上に平場を

築いたままの状態で放置されたようになっている。これは西尾根の先端部が急傾斜となり天竜川へ落ち込んでいる

為に防御の必要があまりなかったためと思われる。


kisenozyouyama6 (11)
西尾根先端部からの眺め

西尾根からは駒ケ根市街地方面が一望の元に見渡すことができ、このあたりが烽火台として使用されていたものと

考えられる。(現在、西尾根は間伐が行われており眺望がよくなっているので今がお勧めです)


~ 南西尾根 ~

kisenozyouyama4 (11)

山頂(主郭)から発生する南西尾根の主郭下には鉄塔が建つ郭がある。

ここは鉄塔が建設された際に改変されたようでかつてはどのようになっていたか分からないが、主郭下ということ

とこの場所の南西尾根続きには、掘切が見られることから郭として削平地があったことは想像出来る。

また、「山城探訪」には主郭と鉄塔の建つ郭の間には堀切が書かれているが、現状では確認できなかった。


kisenozyouyama4 (15)
鉄塔のある郭と郭③の間の堀切を見る

この堀切は、鉄塔が建つ郭と郭③の間に存在し、上幅4m・深さ約50cm程度の小規模なものであるが、この城跡で

はこの堀切と東尾根の堀切の2つしか確認できない一応貴重なものであろう。


kisenozyouyama4 (8)
郭③を見る。

郭③は南西尾根にある堀切の先にあり、城内で一番広い郭で(40×5mの規模)大手が下を通過する東側に地山を

掘り残した土塁らしきものがある。しかし、土塁を含め造作物のメリハリがなく削平が甘い。

この城を見ると南西尾根に防御の重点が置かれているようである。

これは城の周囲が沢や川により要害性が高く防御の必要性があまりないのに比べ、南西尾根は東側下の沢筋を大手

道が通過していることがら防御の重点がこの尾根に集中しているものと思われる。


kisenozyouyama4 (5)
南西尾根先端部の段郭

郭③から尾根先に向かうと約3~4段の段郭が構築されている。段郭の造作は明確であるが郭の切岸は緩やかで少し

防御性に劣るようである。このような城内の段郭はおおむね切岸が甘いのでこのあたりが烽火台になる前の吉瀬の

集落に根小屋をもっていたとされる土豪による築城の跡であろうか。


kisenozyouyama4 (2)
おくわ様。

南西尾根の先端部から2番目の郭には地元では「おくわさま」と呼ばれる祠がある。

この祠の造りは見たことのない珍しいものであるが、現在はあまり人がこないようで朽ちてきている。

城の鎮守なのか桑を耕作していた時代に祀られたものなのか詳細は不明。


kisenozyouyama3 (3)
城の大手道と脇を流れる水の手

結構長くなってしまいいましたが吉瀬の城山はいかがだったでしょうか。

城主などよくわかっていない小規模なもので見どころは少ないですが、見晴らしがよく烽火台とはどういうものか

感じられるいい城址でした。

是非、皆様も行かれてはいかがでしょうか。登るのは非常に楽ですので。。。。。。


kisenozyouyama1 (6)
南西から見た城山全景

kisenozyouyama1 (12)
南側の吉瀬集落から見た城山全景


~参考文献~

山城探訪 改訂上伊那資料編        (宮坂 武男)

駒ケ根市誌                (駒ケ根市誌編纂室  平成2年3月)

改訂版 伊那の古城            (篠田 徳登   2010年9月)




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  1. 2013/10/02(水) 20:22:32|
  2. 駒ケ根市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

城跡と鉄塔

電力会社が嫌がらせや史跡破壊の為に城跡に鉄塔を建てている(?)と思えるほど、長野県にはそういう場所が多いですよね。
電力供給に見晴らしは関係無いでしょうが、中継地点としての位置や保安道確保と云う点では、山城築城の発想と類似する部分があるのかもしれません。
「こんな場所に鉄塔を建ててけしからん」と思うよりは、鉄塔に続く保安道があるおかげで近づけない山城へも容易に辿り着く事ができます。
失策続きの電力会社にもある意味感謝しないと・・・(笑)
  1. 2013/10/19(土) 07:43:15 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 城跡と鉄塔

らんまるさん コメントありがとうございます。

城跡に鉄塔が建っていることが多いですが、やはり烽火台と同じで立地的にあっているんでしょうね。
昔の人には先見の明があったってことでしょうか。
鉄塔があればおおむね道が整備されているのでありがたいといへばありがたいですね。
どっちもどっちってところでしょうか。
  1. 2013/10/22(火) 15:57:41 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

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