長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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駒ケ根市  菅沼城

駒ケ根のドン!中沢氏(高見氏)の一族菅沼氏の居城

takamikozyou8.jpg
中沢郷周辺の城郭配置                   国土地理院2万5千分の1地図使用


所在地・・・・駒ケ根市菅沼                              訪城時間・・・・5分

危険度・・・・★☆☆☆☆                                 別 名・・・・城

訪城日・・・・2011年2月22日


suganumasiro7 (4)
菅沼城本郭から天竜川対岸に位置する赤須郷とアルプスを見る。

菅沼城は現在の菅沼区の天竜川右岸断崖上に存在する。

城主については、武田氏支配時代には中沢衆に属した菅沼九兵衛・次右門の存在が知られており、この菅沼氏の

居館が戦国期に改修され現在の形になったものと考えられている。


suganumasiro9.jpg
この図面に沿って紹介していきます。

菅沼氏は、諏訪神社関係の「守屋文書」によれば「守矢満実書留」の中に、文明14年の神使御頭を勤司し内県介宮

付、中沢菅沼有貞と記録され中沢郷を代表して諏訪神社上記最大の祭事御頭祭を執行していることが分かる。

神使御頭は、諏訪神系の親族でなければならず、その庶子中沢氏の一族として15世紀末には中沢郷支配権を掌握

していたと見られ、神使御頭役は莫大な私財消費を伴うことから見てもその財・権力とも豊かであったことが窺える。


suganumasiro1 (5)
郭①(本郭)を見る。

本郭は50×65mの方形で、現在は耕作地と墓地となっており周囲に土塁は見当たらず耕作により崩されたものと思われる。



天文11年(1542)の武田氏の諏訪支配にに対して不満をもち諏訪総領を狙っていた高遠氏は下諏訪に放火をし諏訪

上・下社を占拠した。

しかし、諏訪氏の遺児を奉じて諏訪入りした武田氏に安国寺前の宮川辺の決戦に敗れてしまった。

この中で戦死した武将の中に「蓮蓬軒」の名がある。



suganumasiro5 (2)
本郭を取り巻く帯郭

本郭を西側から南側の堀①まで取り巻くように幅8~10mの帯郭が構築されている。


蓮蓬軒は、高遠城主高遠頼継の実弟で中沢郷を支配していた人物で、菅沼氏はこの蓮蓬軒の寄子であったので

菅沼氏もこの宮川辺の決戦に参戦していたものと考えられている。

『伊那武鑑根元記』によると天文18年(1549)、城主菅沼阿波守は武田氏に降服することを良しとせず切腹し

菅沼城は落城したと伝えている。


suganumasiro5 (4)
南側帯郭と本郭切岸と堀①を見る。

ただし、阿波守以外の一族は武田氏に降ったようで武田氏家臣団の中で「中沢衆大草休斎及び同家中」に

菅沼九兵衛・菅沼次右衛の名が見られる。

その後の菅沼氏については資料には見られなかった(自分が調べた限りには)が慶長9年(1604)に菅沼八幡宮

祠官に菅沼継忠の名が見え、神道裁許状を受けていることから家柄は続いてはいるものの武士としては成り立って

いなかったようである。


suganumasiro2 (2)
帯郭から見た堀①

本郭切岸下部から帯郭が南側の堀②まで続いているが、堀①の竪掘部分も堀を埋めて郭となってしまっている。


suganumasiro2 (3)

しかし、段丘麓部には竪掘の残欠が見られることからも、この埋まった竪掘部分は後世に開墾などにより埋められ

たことが想像出来る。


suganumasiro2 (7)
堀①を見る。

堀①は城内最大の堀で、上幅20mありこの地域では高見城・高見古城などに共通して見られるものである。


suganumasiro4.jpg
堀①から郭②を見る。

suganumasiro4 (3)
郭②を見る

郭②は35×10mと細長く狭いもので、削平はされているもののどちらかといへば堀①と堀②の間の堀残し土塁のとし

て設けられたものに感じる。

郭上のは城の鎮守である稲荷社が祀られており地域の方が良く来られるようでこの部分のみ籔が刈られていた。


suganumasiro3 (5)
堀②の竪掘部分を見る。

suganumasiro3 (2)
堀②全景

堀②は上幅15mあり大きなものであるが、現状は廃墟となった作業小屋と籔により全景を見ることは難しくなっている。

菅沼城の全体を見て来たが、遺構的に複雑に見えるが単郭の居館から戦国期に堀①②の二重の堀を掘って防御を

増した居館から発生した城跡であったことが分かる。


suganumasiro7 (2)
北側から城跡を見る。

城跡の北側は、堀等の防御は見られないが切岸と上流の高見から城の用水として井水が引水されておりこれが城の

堀の役目をしている。

ただし、この城の井水の上流は、本家の中沢氏(高見氏)に握られていることもこの菅沼氏が独立した勢力では

なかったことが窺えるものでもある。


suganumasiro7.jpg
菅沼城の本郭からみる(推定)支城の高見古城を見る。

suganumasiro7 (7)
段丘下から遠望する菅沼城

suganumasiro7 (5)
菅沼にある明徳の宝筐印塔を見る。

「駒ケ根市誌」には、南北朝が合一された北朝年号の刻銘の入った宝筐印塔の残欠が一基残っている。

その基台部には、『信◇◇ 中澤郷◇◇ ◇願主◇◇ 明徳三年閏十月』・・・(明徳3年は1392年)

の刻銘があり、年次の分かる石塔としては郡内最古の宝筐印塔となっている。

北朝年号の使用は、中沢郷での北朝の守護による支配の浸透ぶりを物語っている。

当時この地に居住した在地土豪が建立者と見られ、候補者には菅沼氏の一族の人物が考えられる。(後略)。

とありこの明徳の宝筐印塔は、菅沼氏が建立したものと推定している。



~参考文献~

山城探訪 上伊那資料編              (宮坂 武男)

駒ケ根市誌                    (駒ケ根市誌編纂室  平成2年)

伊那の古城 改訂版                (篠田 徳登   2010年)

定本 伊那谷の城                 (郷土出版社   1996年)




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  1. 2013/11/09(土) 19:12:53|
  2. 駒ケ根市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

でいびす様 お邪魔いたしましす。

 見事な堀と塁壁ですね。こんな立派な城のことを私は今まで知りませんでした。勉強になります。

 勝手ながら私のホームページ「土の城への衝動」のリンクに加えさせて頂きました。

 今後ともよりしくお願いいたします。
  1. 2013/11/11(月) 14:38:34 |
  2. URL |
  3. 武蔵の五遁 #-
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

五遁さんへ
ご無沙汰しております。その節はお世話になりました。
リンクありがとうございます。
こちらもリンクさせていただきましたのでどうぞよろしくお願いします。
またご一緒できたらいいですね。
楽しみにしております。
  1. 2013/11/11(月) 18:36:49 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

ていぴす様

今晩は、失礼致します。

菅沼城の堀は縄張り図を見ると、2重堀切のようで東側を意識している感じでしょうか。

宮坂先生の縄張り図では確認していたんですが、写真があると雰囲気が伝わってきますね。

菅沼城のレポ、ありがとうございます。

話は変わりますが、先ほど長野県立図書館で蔵書検索していて偶々見つけたんですが、、駒ヶ根市教育委員会発行の「駒ヶ根市の文化財」の改訂版が昨年発行されているようですね。

暫く在庫切れのようでしたので、近いうちに問い合わせしようと思っています。

  1. 2013/11/12(火) 20:53:39 |
  2. URL |
  3. 三日月堀 #-
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

三日月堀様へ
コメントありがとうございます。(返事遅れてスミマセン)
菅沼城は居館から発生した城跡ですが、堀も大きく竪掘が長く落とされていることが
特徴で、戦国期の後半まで使用されていたことが窺える貴重なものと思います。
また、この地域にある城跡は堀幅・深さともに大きいが造りは単純なことも特徴でしょうか。
対岸の赤須城は複郭で複雑な造りをしていますが、中沢氏の関連と思われるものは単純な造りで
あり中沢氏の築城技術が未熟だったのか、この地域があまり重要視されなかったのか。。。。。
色々勉強して答えを探してみたいと思っています。
  1. 2013/11/14(木) 23:15:06 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

神の呪縛を解き放て(笑)

記事とは全く関係の無いコメントですがご容赦を。

ブログにも掲載しましたが、西股氏の本を読んでハッとした。「城主の亡霊に取り憑かれてしまい、既成概念に縛られて新しい何かを発見しようとする努力を忘れてはいないだろうか?」(汗)

町村誌を漁り、城主を特定または推定しなければ山城の城歴が語れないなんてありえない・・確かにそうかもしれない。
他人が踏査して堀切だと認めても違うと思うのは人それぞれであろう。自分なりの縄張図があるはずなのだと最近思ってます(笑)
  1. 2013/11/17(日) 21:05:34 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 神の呪縛を解き放て(笑)

らんまるさんへ
返事が遅くなり申し訳ありません。
自分もこの本買いました。
内容が今まで考えてもなかった画期的と云うか個性的な考え方で
面白かったですね。
中世城郭研究会の会員の方のようですが、この会の方にしては
考え方が異端児的で会になじんでいるのかこちらが心配になります。
このような考え方が通説をやぶり新しい歴史感を造っていく方なんだなと
感じました。
  1. 2013/11/19(火) 20:56:05 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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