長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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安曇野市  たかうちば物見

日岐氏との境目を見張る青柳氏最南端の物見

nezumi.jpg
たかうちば物見と周辺の城砦                  国土地理院2万5千分の1地図使用


所在地・・・・安曇野市明科東川手矢下沢たかうちば・筑北村境

訪城時間・・・・伊切分校跡より徒歩1時間30分~2時間

危険度・・・・★★★☆☆(地形図・方位磁石等必要)

訪城目印・・・・伊切分校跡よりとにかく安曇野市と筑北村境の尾根上を目指す。



takauchiba.jpgこの
この図面に沿って紹介していきます。


               ~ 立地 ・歴史 ~

高登屋物見の北500mにあるピークで、矢下沢の詰にあり安曇野市と筑北村の境にあたる。

正徳4年(1714)「萬覚書帳」に古城として「たかうちば」が書かれているのみで詳しいことは書かれていない。

また、伝承では殿さまが領地の見回りにきて鷹をとったところと伝えられている。



takauchibamonomi (3)

高登屋物見とたかうちば物見の間のピークに残された石仏を見る。

高登屋物見から尾根上を500m程歩く事になるが、この尾根上の道はかなり整備された道で潮沢流域と本城や坂北筑へ

の重要な生活道路として使われ、相当な往来があったようで人が通らなくなった現在でも歩きやすく危険を感じる事は無かった。

このように人の往来が多かった道なだけに、石仏も多く見る事が出来る。


takauchibamonomi (4)
推定小屋掛け場所と奥に物見砦を見る。

尾根上を歩きピークを二つ越えると砦のあるピークに着くが、その手前の写真の平坦地が、宮坂氏が推定する番士の

小屋掛け場所である。

ただ、伝承ではこの物見砦の番士は筑北村側の沢を下りた一石という集落にいたとされている。


takauchibamonomi (18)
たかうちば物見の全景

この物見の所在する付近は、青柳氏・会田氏・日岐氏の勢力の境目となりこの物見がある山で本城地区と坂北地区へ

道が分岐するが、坂北地区の大側沢側へ下ると番士に与えたとされる一石集落(廃村)となる。

従ってこのたかうちば物見は本城・坂北地区を押さえていた青柳氏に関わるものと推定される。


takauchibamonomi (9)
二重堀切を見る。

この物見には南側に発生する細尾根に2条の堀切があり、その堀切の中を道が通過している。

ただ物見の北側の尾根続きにはないのが不思議なのだが、宮坂氏は「南側に備えたと考えれば堀切と見て間違いない

であろう」としている。


takauchibamonomi (6)
堀①を見る。

堀①は切り通しのために掘ったという感じの緩さは見られず、明らかに堀切であろうという鋭い立ち上がりが見られる。

takauchibamonomi (8)
堀切②を見る。

こちらも後世に道として使われたようであるが、本郭側である左側の切岸がしっかり加工されている点から堀切であった

ことが窺える。

takauchibamonomi (14)
二重堀切を見下ろす。

takauchibamonomi (15)
郭②を見る。

二重の堀切を越え切岸を登ると郭②に着く。

郭②は8×4mで、南側の尾根から侵入する敵を押さえる前衛的な腰郭であったようだ。


takauchibamonomi (13)
郭①を見る。

郭②から約9m登るとたかうちば物見の本郭である郭①となる。

郭①は18×3mの細長い平坦地で土塁等の防御施設は見られない。


takauchibamonomi (10)
郭①からの眺め。

この物見からは、安曇野市の潮沢流域、筑北村が一望でき物見として最高の場所に構築されていることが分かる。

ただ、この物見は戦闘が出来る造りではないので敵が攻めてきたら狼煙を上げ合図を送る事を主目的とし狼煙を上げる

為の時間稼ぎとしての堀切の構築と見る事が出来るのではないだろうか。




さて・・・・・たかうちば物見を紹介してきましたがいかがだったでしょうか。

こんな山奥にも物見の砦を設けなければいけなかった時代とはどのような緊張感で人々は暮らしていたのか。。。。

考えるだけでも今の暮らしが素晴らしいものだと思えますね。

このようなちっぽけな物見にも歴史があることが実感出来ました。


takauchibamonomi (20)
たかうちば物見の遠望



~ 参考文献 ~

信濃の山城と館  7巻       (宮坂 武男)

明科町誌               (明科町誌刊行会   昭和59年)



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  1. 2014/07/10(木) 03:50:33|
  2. 安曇野市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<松本市   平瀬氏 | ホーム | 安曇野市  高登屋物見>>

コメント

日常が戦闘だったんでしょうね

でいびす様 ご無沙汰しています。

 小規模ながら、平場と堀切がはっきりと残っていますね。何時敵勢が侵攻してくるかわからない状況の中で、物見は大切な役割だったことが偲ばれます。貴重なレポート、ありがとうございました。
  1. 2014/07/13(日) 11:24:08 |
  2. URL |
  3. 武蔵の五遁 #YBSiF2jg
  4. [ 編集 ]

Re: 日常が戦闘だったんでしょうね

五遁さん見ていただきありがとうございます。
現在の安曇野市と筑北村を結ぶ潮沢沿いには、歴史書などに名前の載るような立派な城跡は
有りませんが、沢を挟むようにある山々には数多くの城砦が藪の中に眠っています。
この山奥にも五遁さんのおっしゃるとおり日々戦闘とそれに関する緊張感が漂っていたのでしょうね。
これら名もなき城砦を忘れ去られる前に何とか記事にしていきたいと思います。
この頃は忙しく中々更新できていませんが頑張っていきますのでよろしくお願いします。
  1. 2014/07/15(火) 19:21:12 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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