長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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松本市   平瀬氏

資料に出てくる不屈の一族平瀬氏

平瀬氏は蟻ヶ崎に本拠を置く犬甘氏の一族として発生し同族の犬甘氏同様に府中小笠

原氏の配下として、武田信玄の府中侵攻により主家の小笠原氏が没落したにもかかわらず最後まで平瀬城に籠城し討ち

死にしたことで知られるが、平瀬城を紹介する前に資料に出てくる平瀬氏の事績を見てみたいと思います。


文和4年(正平10年・1355) 桔梗ヶ原の戦い

文和4年8月、当時の学識者として高名で、太政大臣でもあった洞院公賢(とういんきんかた)が京都でその日記『園太暦』

につぎのように記した。

「八月十七日、晴れ、恒例である駒牽ができないと馬所から報告が出来ないと聞いた。信州に合戦があったそうだ。

なんでも妙法院宮(宗良親王)が大将軍で、これに諏訪神社の祝部や仁科氏が加わっていうというが、もってのほかの

事である。この合戦により信濃は国中が騒動し、信濃国の牧から献上される馬が着かないという。」

8月16日は、天皇が信濃の牧から献上された馬を内覧する日であったが、これが出来なかった。その理由が、信濃で

宗良親王が諏訪・仁科氏を主力として軍勢を動かして合戦をしたためであるという。

後年、諏訪の矢島氏がしるした記録によると、諏訪勢は8月に府中に攻め込み、8月20日には桔梗ヶ原で大合戦になった

府中勢は小笠原長基(資料には長亮とある)をはじめとして、坂西・麻生・麻生・山家・平瀬・古野・新井・赤沢各氏で

あったとしており、府中勢に平瀬氏が加わっていたことが見られる。


syouinnzi.jpg
平瀬氏の要害城とされる平瀬本城(北城)

永享13年(1440)   結城合戦

永享10年(1438)、鎌倉公方足利持氏は不和であった上杉憲実を追討しようと軍を起こした。将軍足利義教は、この機会

をとらえて持氏を討つことにし、駿河・甲斐・信濃などの武士に命令を発し、小笠原政康も関東へ進発した。

幕府軍に攻められた持氏は翌11年に鎌倉で自害し四代続いた鎌倉公方は滅亡した。

これを永享の乱といい持氏の遺児安王丸・春王丸は日光へ、永寿丸は佐久の大井氏のもとへ逃れた。

1年後、下総結城を本拠とする結城氏朝は安王丸・春王丸をおしたてて結城城に挙兵した。

幕府は駿河・甲斐・信濃などの武士に動員をかけ結城城を攻めさせたが結城城を落とす事が出来なかった。

この時に小笠原政康は幕府軍の中で陣中奉行を勤めている。

小笠原政康は、率いていた信濃の武士を30組に編成し、1組1日ずつ陣中の警護にあたらせた。

この編成を記したのが「結城陣番帳」でこの中の20番に犬甘氏・村井氏・三村氏・小坂氏と共に平瀬氏の名が見られる。

翌年、結城城は幕府軍の総攻撃により落城している。


syouinnzi (14)
平瀬本城と連携していたと思われる平瀬南城


諏訪の資料に見える平瀬氏

室町時代後期の信濃武士や在地の動向を知ることができる資料に「諏訪御符礼之古書」がある。

諏訪神社の祭礼は鎌倉時代から信濃の武士が奉仕して行ってきた。その奉仕の祭礼負担の様子を記したのがこの資料

で、これには諏訪上社に奉公した地域とその地域を統治して祭礼に奉仕した武士と、負担費用などがしるされている。

この資料に記されている人々は諏訪神社からそれらの地域を掌握して祭礼に奉仕できる勢力のあるとされた武士である。

この中で北内田(松本市)に平瀬氏が記されている。

寛政3年(1462)・・・・平瀬民部大輔国知               文明4年(1472)・・・・平瀬淡路守

文明11年(1479)・・・・平瀬淡路守政知                文明18年(1486)・・・・・平瀬


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平瀬氏滅亡後の増築か。。。。。。平瀬北の城本郭

天文17年(1548)    塩尻峠の戦い

天文17年、武田信玄は上田原の戦いにおいて村上義清に敗れ重臣を失うなど大敗を喫した。

これを機に諏訪の西方衆が武田氏に反旗を挙げ、これに呼応して小笠原長時も塩尻峠周辺に兵を進め陣を張った。

長時はこの戦いに挑むにあたり家老をあつめ「下の諏訪に武田晴信より城代を被レ置候事信濃侍の瑕瑾と被レ仰候、

諏訪の城代追払可レ申由被レ仰候」と檄をとばした。

これに応じたのが仁科氏・三村氏・山家氏・西牧氏・青柳氏・犬甘氏・島立氏などの諸将と長時の旗本衆であった。

この中に平瀬氏の名が見られ長時に従って出陣していたことが分かる。

この動きに対して武田信玄は諏訪の西方衆を撃破し、峠に布陣する小笠原氏に攻めかかった。これに呼応して

小笠原方の三村氏・西牧氏・仁科氏などが小笠原氏を裏切った。

小笠原方は裏切りが続出した為に武田方の勢いを支える事が出来ず、多くの戦死者を出す大敗を喫し府中に敗走した。

この敗戦を機に武田氏の府中侵攻が進む事になる。


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平瀬氏居館ではないかとされる川合鶴宮八幡社の北側100mほどに島内史談会により建てられた平瀬氏居館跡の標柱

天文19年(1550)    府中陥落

塩尻峠の戦いで武田信玄に敗北した小笠原長時は、武田氏による府中侵攻を止める力を失った。

天文19年7月15日、小笠原氏の本拠である林城の支城であるイヌイの城(場所不明)を落城させ勝鬨を挙げ村井の城へ


戻った。これを聞いた小笠原方の林城・深志・岡田(伊深)・桐原・山家の城は自落し、島立・浅間の城は降服した。

この間に山家・三村・赤沢・坂西・島立・西牧氏は武田氏に寝返ったことにより小笠原長時は戦う事が出来ずに平瀬城

落ち延び、やがて村上義清を頼って落ち延びて行った。


9月になると武田信玄が村上義清に砥石城で敗れると小笠原長時はこれを府中奪回の好機とし村上義清の援助で

平瀬城へ戻った。

しかし、武田信玄出馬という情報を聞いた義清は小笠原長時に無断で退却してしまった。

この義清の退却を知った小笠原長時の配下は勝てない事を悟り逃げてしまい、3000人程いた人数が800人程に減って

しまった。長時は残った者たちのみで最後の戦いをしようと野々宮で馬場・飯富氏の率いる武田軍と戦い撃退する事が

出来た。


syouinnzi (2)
平瀬氏の居館ではないかとされる下平瀬の川合鶴宮八幡社(武田氏が攻めたのはここではないかとされる)

小笠原長時、中塔城籠城

野々宮合戦に勝った小笠原長時であったが、局地戦での勝利にすぎず長時には味方する武士が少なく勢力を挽回する

ほどの力は無かった。これを悲観した長時は自害を決意するが二木氏などの味方に説得され二木氏の要害であった

中塔城への籠城を決意する。この中塔城への籠城の衆に平瀬氏が混ざっていることが見える。


hirase1 (2)
平瀬氏開基と伝わる松蔭寺跡と信玄平瀬城攻め時の陣地伝承地

天文20年(1551)     平瀬城陥落!平瀬氏の滅亡

その後、小笠原長時は府中奪回を諦め村上氏・上杉氏を頼って落ちていったが、平瀬氏の籠る平瀬城と古厩氏の籠る

小岩嶽城のみが旧小笠原領に孤立する結果となった。

天文20年、武田信玄はついに平瀬城攻めを開始した。

「高白斎記」には、「(前略)、廿四日戌刁、平瀬ヲ攻敗ル。敵ニ百四人被為討取候。終日細雨(中略)、酉ノ刻ヨリ大雨。

(後略)。」とあり城兵204人(200余人とも)が全滅するほどの激しい抵抗がされた事が窺える。

また、城主については資料によって異なり、「東筑摩郡誌」では「(前略)、天文年中犬飼家の支族平瀬甚義兼爰に居る。

同十八年の秋甲将大和越前守来り攻む。城将平瀬新之丞戦死して城終に陥れり。」とあり、「信濃戦国時代史 

附信濃城砦志」には、「(前略)、犬飼氏支族平瀬氏居城天文二十年十月信玄来攻二十四日落城、城将平瀬光信(八良

左衛門)弟仏法寺以下悉く討死、(後略)。)ともある。

また、「武家事記」記載の平瀬城攻め後の武田晴信が山家氏に出した感状に「今度於平瀬城頸壱、平瀬八郎左衛門ヲ

被討捕之条、戦功至、(後略)。」ともあり平瀬一族の悉くが死んでいることも注目される。


             *****やっと見つけた平瀬氏開基の松蔭寺跡*****

平瀬城の南方1km1には、平瀬城主平瀬和泉守信義が開基したとされる松蔭寺がかつて存在し、明治の廃仏毀釈で

廃寺になったとされるものがある事を知り、場所を特定するべく色々調べたがネットにも書かれているものがなかったが、

歩きまわりやっと特定する事が出来たのでご紹介します。


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平瀬城の南側1㎞にあるラーメン大学がある大きな路側帯近くに、写真のような線路に向かって登る道がある(籔っている)

syouinnzi (11)
登り切った先に馬飼場踏切をわたりすぐに右へ。。。。。。。。

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尾滝沢にかかる木製の橋を渡り山へ向かう

「東筑摩郡誌」に平瀬城主とあった平瀬新之丞について「東筑摩郡松本市塩尻市誌 別片人名」に

「(前略)、新之丞は島内下平瀬に在る平瀬城主であった。古昔、平瀬和泉守信義という人が威勢を張ってこの地を領し、

同地に松蔭寺を開基した。


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橋を渡り尾滝沢沿いを進むが、旧参道と思われる道沿いには、石仏が見られる。

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橋を渡っってすぐ脇には臾玉神社(何の神社かは不明)の碑が建つ。

syouinnzi (5)
尾滝沢沿いには仁王様も祀られている。

また、新之丞は、小笠原長時の直属の家臣として天文十一年二月瀬沢合戦に従軍し、同年十月の大門峠合戦にも加わ

った。天文十四~十七年に亘る塩尻峠付近の戦には常に長時幕下の部将として活躍し、天文十九年犬甘城落城の後も

よく狐城を支え武田の勢力に抗した。


syouinnzi (9)
薄暗い笹藪の中の踏み跡を辿る。

天文二十年三月の野々宮合戦にもこの一族は従軍したが、同年十月武田軍の来攻に城主新之丞は戦死し、城は落ち

た。」と書かれている。


syouinnzi (7)
山道の途中にある笹藪の平場には、松蔭寺跡の碑と石仏・卵塔が残っている。

syouinnzi (8)
松蔭寺跡の削平地を見る。

笹や竹の籔となっている中に広大な削平地が残っているのみで、その他の遺構は見られなかった。また、現在は杉が

茂っている為に見晴らしが利かないが、山の中腹にあるために寺があった時にはこの場からは犀川やアルプスが一望で

きたのであろう。

なお、この参道の山道は更に続いており登っていくと松蔭寺経塚(松本トンネルの道により破壊)や八滝神社へ繋がる

霊場を巡礼するような道であったようである。



~参考文献~

東筑摩郡松本市塩尻市誌  別編人名            (桐原義司     昭和57年)

東筑摩郡松本市塩尻市誌  第ニ巻             (東筑摩郡松本市塩尻市郷土資料編纂会    昭和48年)

信濃 第45巻 第11号 「山城平瀬城特集」         (信濃史学会     平成5年)

松本市史 第二巻  歴史編                  (松本市        平成8年)

信濃の山城                            (小穴芳実編      1988年)

武田信玄と松本平                        (笹本正治        2008年)



平瀬氏開基、松蔭寺跡位置


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  1. 2014/07/17(木) 22:40:19|
  2. 信濃の武将
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

物好きの境地ですねえー

やはり平瀬城は川合鶴宮八幡宮って線でしょうか。笹本さんの説も説得力ありますよネ。

それにしても廃寺探索とは恐れ入りました。
あの踏切は、平瀬城の入口が分からず右往左往した場所なので良く覚えています(笑)
誰かが記録しておかないと、この寺の場所も忘れ去られる運命にあったのだと思います。最近は安易に他者の文献を引用してしまい、地道な活動を怠っておりましたので、良い刺激となりました。でものど元過ぎれば何とやら・・・(汗)
  1. 2014/07/21(月) 18:15:46 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 物好きの境地ですねえー

らんまるさんありがとうございます。
平瀬氏の記事を書くにあたってあまり関連する遺跡がなかったので、唯一平瀬氏が開基した
と伝わる寺院跡があると見たので必死に探索してきました。
不気味でした。。。。(汗)
忘れ去られそうな寺院跡でしたので、記事に出来てよかったです。
  1. 2014/07/22(火) 19:55:30 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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