長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

松本市   伝武田信玄陣場跡

この口伝は本当の事を伝えているのか。。。。

zinnbata0975 (3)
伝武田信玄陣場跡と平瀬城砦群                国土地理院2万5千分の1地図使用

所在地・・・・松本市島内                                 訪城時間・・・・・3分

危険度・・・・★☆☆☆☆(一応、バリケードがあるので地元の方の了承が必要


この武田信玄陣場跡は、天文20年に小笠原領内で孤軍奮闘していた平瀬城を武田軍がここに軍を置き攻めたと伝わる

場所で、古文書や文献には出てこない。

ただ地元の口伝として伝わったようで自分が知ったのは信濃史学会が発行している「信濃」の中の「小原 稔」氏が投稿

した論文「長野県松本市城山丘陵の砦伝説について」を読んでいて。。。。。。!!!!

こんな話は聞いたことが無い!  これが本当であれば新説は吹っ飛んでしまうのではないか。。。。。

と思い調査してきた事を書いて行きたいと思います。


zinnbata56.jpg
陣場配置図

この陣場跡説が真実味があるのは、この陣場跡から北西尾根を下れば平瀬南城へ直接通じていることと、平瀬本城を

見下ろす位置にあること、岡田から通じる山田道を辿れば簡単に辿り着く位置にあることにある。


zinnbata3 (7)
陣場跡へ通じる道(入り口には簡単なバリケードがあるので近所の方に許可をもらおう)

山田道は蟻ヶ崎にある城山公園(犬甘城)から豊科カントリークラブのある尾根上を通過していたようで、この道を辿れば

(現在は車道などで分断されているが、アルプス公園周辺の遊歩道として残存)この尾根にも辿り着くことが出来る。


zinnbata3 (6)

現在は尾根を先端まで車道が開設されてしまい往古の状態は分からないが、道は尾根上を通っていたのであろう。

道の正面に見えるのは信玄が陣を敷いた御所山。


zinnbata3 (5)
陣畑遠望(尾根先端部)

zinnbata2.jpg
地元の方が建てられた陣畑跡の標柱

標柱の側面には「天文20年、武田信玄が平瀬城を攻めた時の陣場跡」との説明が書かれている。

zinnbata2 (3)
広大な陣跡

平成5年時点では、畑地であったようであるが、現状は小石などが交じる雑種地で籔となっている。

zinnbata2 (2)

陣畑と御所山の間には堀切状に沢が入っていおり、ここに自然地形を利用した防御施設があった可能性がある。

zinnbata018 (2)

沢の中を下ると、陣畑側には鋭い切岸が見られ畑地としてだけの造成とは考えられない。

zinnbata018 (3)

また、堀状の沢には写真のような石列が見られ、この堀状遺構がかつて道として使われていたことをうかがわせる。

この道について気になる記事が信濃にあり「神社裏(松隠寺の上には八滝神社がある)の急斜面をさらに登ったところ、

畑と思われる平坦地があった。位置から考えてかつて松隠寺と陣畑もくは平瀬南城へ通じる道があったのかも知れない」

とある。この記事にある道がこの石列部分がその一部ではないだろうか。

と考えればこの陣畑から平瀬南城へも通じる道があってもおかしくないのである。


zinnbata3 (4)
陣畑から見た新説の平瀬氏館跡。。。。どうみてもここから攻めるのは無理があるだろう。

そういへば何かの記事で、山田集落の人は尾根伝いに平瀬南城へ行っていたとあったが、それがこの山間部を巡る

山道を言っているのであり、武田軍もこの道を使用して攻めたのではないかと考えるが。。。。。


zinnbata5 (5)

zinnbata5.jpg

陣畑の北側・西側には平瀬南城からの反撃に備えるように段郭が巡り、大きい所で約3mの高さがあり厳重な備えと

なっておりここは昔のままの遺構であろう。南側は車道により破壊されているが、急傾斜なために遺構は元々なかった

のではないかと考える。


zinnbata5 (4)

さらに平瀬南城のある尾根に向かって緩やかな傾斜が残る平坦地があり、大軍の駐屯が可能である。

zinnbata8.jpg
陣畑から信玄が陣したと伝わる御所山を見る。

御所山は車道により側面を大きく削られており、往古はどのような形であったかは分からない。


zinnbata8 (5)
ピークの一部、陣畑側には一段の段差が設けられている。

zinnbata8 (6)
伝信玄陣跡を見る。

山頂部は広い平坦地となっているが、人工ではなく自然のままのように感じる。平瀬城が1日で落城してしまったので

このようなものでもよかったのか分からないが、やはり一番眺望は利く場所である。


zinnbata8 (2)
御所山から見た陣畑

世間には出ていない口伝を紹介してきましたが、皆様はどう感じられたでしょうか。

古道の関係・平瀬南城との尾根続きの立地・新説平瀬氏居館跡との距離・残存遺構などを見てきましたが、結構ここから

武田氏が平瀬城を攻めたという説も可能性があるのではないだろうか。

これからの研究者の方がたにはこの陣畑にも触れて、解明してしていっていただけたらうれしいな。


zinnbata3 (3)
陣畑・御所山と平瀬城の位置がわかる遠望写真


~  参考文献 ~

信濃 第61巻1号  「長野県松本市城山丘陵の砦伝説について」   小原 稔
スポンサーサイト
  1. 2014/08/01(金) 17:16:43|
  2. 松本市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<発掘調査が始まっています | ホーム | 松本市  平瀬南城>>

コメント

この口伝は知らなんだ

平瀬城が鶴宮八幡社ではなかったのか?という説は小生も同意しかねる違和感があります。

まあ、確かに梓川と奈良井川の合流地点という立地条件は背水の陣であり、治水条件が良ければ攻め入るには難しい。が、信州の小豪族が氾濫原に立て篭もるような無謀な事をするだろうか?ここはやはり貴殿の推察通り山城に籠ったと見るべきでしょうネ。

陣城を築き逃げ場の無いように遮断。西側は断崖絶壁。平瀬北城側の尾根からも攻め下って袋のネズミ。まさに悪魔の所業としか・・(汗)
  1. 2014/08/06(水) 20:35:15 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: この口伝は知らなんだ

らんまるさんへ
いつもお世話になっております。
平瀬城は結構好きで調べていましたが、どうしても小笠原の後ろ盾を失った土豪の平瀬氏が
没落を覚悟するほどの戦いを平城でするとはどうしても思えず、資料をあさっていたところ
今回の陣跡の記事を見たというもので、確かに平瀬氏の本拠である平瀬郷からは距離がありますが、
平瀬南城と尾根続きに陣跡の伝承があることや麓に平瀬氏開基の松隠寺があることからもこの山城周辺には
平瀬氏が深くかかわっていたことが感じられ、ここに籠ってもおかしくないのではないかと思うように
成りました。
これからも色々調べてみたいと思います。
  1. 2014/08/09(土) 12:40:42 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://osirozuki.blog.fc2.com/tb.php/225-b3a5d7a9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。