長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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安曇野市  吉野町館

街道を押さえる広大な居館

所在地・・・・安曇野市豊科吉野

訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆(住宅地なので見学時はマナーを守って見学してください)

別 名・・・・堀之内・元屋敷


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吉野町館と周辺の遺跡図

吉野町館周辺には旧松本街道・吉野町堀屋敷などがあり、街道と居館の関係が感じられる。


吉野町館の立地

この館は成相町(追分)、吉野町・中曽根・下飯田・平瀬・松本を結ぶ旧松本街道(北国脇往還)沿いにあって、この街道を

押さえる為に構築された居館であろうと推測されている。


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館跡西側約180mを通過している松本街道と吉野町の街並みを見る。

館はこの街道を押さえる為に構築され、街道沿いにはこの館主の同心被官の居住地が並んでいたのではないかと豊科町誌は推測している。


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yosinomachiyakata (13)
旧豊科町が設置した標柱と説明板
(旧豊科町が設置した説明板は間違えが多く評判が悪かったが、ここにも時代的な認識の違いが・・・・・・)


吉野町館の発見は明治23年作成の「旧豊科町吉野の切図(地籍図)」での地割からなので、館の主の伝承は伝わってい

なかった。

そこで発見した当時はこれだけの大きさの居館だから武田氏により構築され支配下に置かれていたものであろう。

と考えられた。(これが旧豊科町が建てた説明板)

しかし、これだけのものが武田氏に関する文献に出てこないのも不思議であるとして、近年では武田氏

滅亡以後に構築されたのではないかと予想が変わってきている。


yosinomachiyakata (3)
安曇野市により新しく建てられた標柱(時代認識は改められている)

yosinomachiyakata (14)
吉野町館範囲と残存遺構図

ではこの吉野町館には誰が居たのであろうか。。。。。。。。文献などから丸山丹波守であろうと考えられている。

小倉小笠原資料「御証文集」には

『今度忠信を抽きんでらるについて、重恩として北山三十貫文、日岐山四十貫文、大穴三十貫文、堀の内三十貫文、

一日市場三十貫文、本領吉方(乃)七十貫文、右合して弐百三十貫文の所を遣わし候間、弥々戦功を励げむにおいて

は、先手にて一所申しつけべく候なり、仍って件の如し    

 天正十一癸未年十一月晦日       (小笠原)貞慶判         日岐丹波守殿   』


yosinomachiyakata.jpg
吉野町館本郭を見る。(手前の田圃)

この文書は、天正十一年(1583)に松本城主小笠原貞慶が日岐丹波守宛に重恩として北山以下の諸村において230貫文

の土地を宛がったものである。

日岐丹波守は、仁科一族で生坂村日岐城主を勤めており武田氏支配時代の永禄10年の生島足島神社起請文に仁科氏

の親類、被官の一人として見える日岐丹波守盛次の次男の盛武で、兄は織部佐といった。


yosinomachiyakata (14) - コピー
圃場整備に伴う発掘調査で見つかった堀の位置

吉野町館の本郭全域が発掘調査され、北側・東側・南側で堀が確認されている。

堀の規模は深さ0.75~1.1m ・ 土塁敷は4m(高さは推定1.5m)で遺物の出土は中世に絞ると、16~17世紀の内耳

土器、陶磁器、石臼、宋銭、寛永通宝等を伴う竪穴住居、柱穴、土抗が多数発見されている。


yochinomachiyakt22 (4)
本郭北側部分(赤線部分が堀が見つかった場所)

天正10年、松本に復帰した小笠原貞慶により日岐丸山氏攻めが行われている。

穂高に進出していた仁科氏の一族穂高内膳は丸山丹波守盛武の妹を妻に迎えていたので、盛武と共に日岐大城に籠城

したが、敗れてしまい小笠原貞慶に降った。

しかし、小笠原氏に降るのを良しとしなかった兄弟の織部に説得されて、盛武・内膳は離反して川中島に流浪していた。


yosinomachiyakata (2)
ニの郭を見る。

ニの郭は現在民家となっていて見る事は出来ないが、本郭とニの郭との間にはこの館唯一の残存遺構である堀が

残っている。


その後、小笠原貞慶は穂高内膳の妻を擒にして、内膳の妻を介して内膳と丹波の帰服を計り、天正11年8月両人宛てに

身の安全を保障する起請文を書いている。

そして丸山丹波守に日岐一跡を宛行って戦功を抽んずることをすすめている。

この時、貞慶が出した書状は日岐領の外に追加された所領であり、本領吉野はこの時初めて宛行われたものである。


yosinomachiyakata (5)

yosinomachiyakata (4)
唯一残る本郭・ニの郭間の堀を見る。

小笠原貞慶から安堵された本領吉野に丸山丹波守が吉野町館を構築したものと考えられ、発掘調査で出土した遺物

の時代と重なる。

丹波守はその後、天正18年に小笠原貞政に従って小田原征伐に出陣しており、同年観等古河への転封に従って

この地を去っている。

現在の館跡の北側とニの郭に居住している熊井氏は、丹波守の有力家臣で丹波が去った後にこの館を払い下げられて

居住したものと考えられ、北側の熊井氏は元は本郭に屋敷があったとされ、火災により現在地の移ったと伝わる。


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ニの郭南側に道路と郭間に堀状の窪みが見られるが、これが堀跡であるとの確証はないが、本郭で発掘された北側の

堀の延長線上にあることから堀の可能性も残される。


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吉野町館の本郭と奥にアルプスを見る。

丸山丹波守も毎日見ていたのであろうか。。。。。。いい眺めですね。


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ニの郭全景を見る。(現在民家なので立ち入り禁止)

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yochinomachiyakt22 (32)
館跡から見る周囲に配された山城

丸山氏は平瀬氏の寄り子であったとされ、丸山兵庫などは武田氏による平瀬城攻めにおいて戦死しており、これらの

城とも連携していた可能性もあるのではないだろうか。

北側に見える光城・田沢城からは直接、平瀬城は見る事は出来ない。

可能性として・・・・・光城⇒(上ノ山城)⇒吉野町館⇒平瀬城⇒御殿城(現アルプス公園内・消滅)⇒犬甘城⇒深志城

などの情報伝達の流れがあったのではないだろうか。

(平瀬城砦群は小笠原貞慶により構築されたものとする研究者もいるので)


yochinomachiyakt22.jpg
熊野権現社(熊井同姓で祭祀)を見る。

館跡から東南90mの場所に熊井氏が祀っている熊野権現社が鎮座している。


yochinomachiyakt22 (22)

この社の裏側には樹齢600年とされるビャクシン(市指定天然記念物)がある。

このビャクシンは吉野町館の構築から廃絶までの流れを見て来た唯一の生き証人で今も周囲の変化を見守っている。


*本郭とニの郭の間には現在も礎石が2ヶ残っているとされるが、未確認。
 是非みなさん探してみてください。



~ 参考文献 ~

信濃の山城と館                   (宮坂 武男)

中世豊科町の館跡                 (宮下 一男   1986年)

豊科町誌                       (豊科町誌刊行会  平成7年)




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  1. 2015/01/28(水) 18:15:33|
  2. 安曇野市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
<<安曇野市   吉野中村堀屋敷   | ホーム | 南箕輪村  倉田城>>

コメント

宮坂氏の『信濃の山城と館』安曇野編に載っている吉野町館、そして私の住んでいる場所からも通える館跡だった為とても興味深く読ませて貰いました。

以前、仕事の関係で知り合った館跡近くに住む『熊井さん』から一族でお祀りしているお社のお話を聞いた事があったんですが、この事だったんですね(^-^)v
近々ブログを頼りに訪れてみたいと思います。
訪問マナーに気を付けながら。
  1. 2015/02/11(水) 18:04:07 |
  2. URL |
  3. 黒曜石 #U6M1AWu2
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

黒曜石さまコメントありがとうございます。
この周辺は生坂に本拠をもつ丸山氏の一族の領地でこの周辺には丹波守・丹後守が住んでいました。
この吉野町館は丹波守が居住していましたが、北側には丹後守の堀屋敷が良好な状態で保存されています。
今回は確認できませんでいたが、吉野町館のニの郭と本郭の間には2ヶの礎石が残っているとされています。
残された堀や礎石・堀屋敷を是非探し尋ねてみてください。
良い城跡ライフをお送り下さいませ。。。
  1. 2015/02/12(木) 04:02:46 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

地道な調査

中世の城館というとどうしても山城ばかりに目が向かいがちですが、こうした里の居館伝承も誰かが伝えなければ忘却されてしまいます。
貴殿の努力には頭が下がります。
  1. 2015/02/15(日) 11:36:37 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

わたしも館フェチ

ていびすさん、こんばんは。
じつは(もとは)私、山城よりも館城フェチなんです。居館は居た匂いがしますよね。越後にもいい館城ありますので、ぜひおでかけください。私は今、信濃の国に行きたい病が発病中ですが。
  1. 2015/02/17(火) 23:25:48 |
  2. URL |
  3. えいき #-
  4. [ 編集 ]

らんまるさんへ

らんまるさんいつもお世話になっています。
山城も好きなのですが、館は普段武将達が生活する場というのが、調べていてたのしいですね。遺構があまり残っていないので探し出すのはかなり苦労はしますが。。
  1. 2015/02/18(水) 07:52:58 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

えいき様へ

えいきさん、先年はお世話になりました。
そうなんですよ!
館って城跡に比べると、地味なのか余り注目されませんが自分は大好きです!
探し出した時のレアアイテムをゲットしたような達成感もありますし。
アップはゆっくりですが、これからもお付き合いください。("⌒∇⌒")
  1. 2015/02/19(木) 22:37:16 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
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