長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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安曇野市  中塔城③尖屋敷

要害中塔城の根小屋と防御

所在地・・・・松本市梓川梓中塔

訪城時間・・・・・0分

危険度・・・・・★☆☆☆☆(周辺には民家があるので注意)

別 名・・・・・佐渡屋敷


nakatousyuuraku.jpg
中塔集落と尖屋敷                                                グーグル地図使用

中塔集落と城については「二木家記」に、『某か日頃妻子を置申候中塔の小屋と申ハ、一段堅固の地を城郭にこしらえ、兵糧米籠

置申候、南北切たる谷にて東は山の尾先岩石也、〔後略〕。』とあり、南北両黒沢の深谷によって囲まれた舌状台地上にある中塔

集落と城山から構成されていた要害であった。

また、『二木家記』には「中洞へ(小笠原長時が)御上り候て三日目に、晴信公中洞の城根小屋へ御馬を被ㇾ為ㇾ寄、惣軍を以て

被ㇾ責候」とあることからも中塔集落は根小屋で防御施設も備えていたことが分かる。


~ 南構 ~

nakatousyuuraku210 (20)
南黒沢を見る。

南黒沢は幅が広く広大な谷状地形となっており、古道(氷室道)が通っていた。


nakatousyuuraku210 (22)
中塔集落への入り口の構を見る

「信濃の山城」では、この辺りに「はざま」と称する段郭の構が掲載されている。しかし、現在では見ることはできないが、かつては

小室と南黒沢の底を通る古道への備えとして集落の入り口に郭を配していたことが分かる。


nakatousyuuraku210 (18)
集落の入り口に見られる古い道祖神

~ 古道 ~

nakatousyuuraku210 (44)
南黒沢の底を通過する古道を見る。

nakatousyuuraku210 (40)
古道が小倉の台地上に出る部分を見る。

nakatousyuuraku210 (41)
南黒沢の古道から見上げた尖屋敷

南黒沢の底を通る古道から見上げると、中塔集落(根小屋)がある台地の先端に構築された岩岡佐渡が詰めていたとされる。

南黒沢を通る古道は、小室集落から尖屋敷下で南黒沢を渡って中塔集落に入る道があり尖屋敷が何のために存在したかが想像

できるであろう。


~ 尖屋敷 ~

tonngariyasiki (6)
中塔集落(根小屋)台地先端部に構築された尖屋敷を見る。

現在は圃場整備により台地上の遺構は消滅しているが、かつての規模は南北90m×東西108mで台地側(根小屋側)には

高さ2.7m・幅6mの土塁と堀が築かれていた。


tonngariyasiki (8)

尖屋敷は現在、資材置き場と電波塔、山林となり明確な遺構は見られないが、構造的には西牧氏の西牧郷に見られる砦に似てい

るように見える。


tonngariyasiki (5)
尖屋敷の南側(南黒沢川)の斜面に見られる竪堀状遺構

参考にした資料には南斜面に竪堀が残る。とあるのでこれが尖屋敷唯一の城郭遺構の可能性が高い。

tonngariyasiki (7)
尖屋敷から中塔集落(根小屋)と中塔城を見る。

nakatousyuuraku2.jpg

~ 根小屋 ~

nakatousyuuraku210 (29)
中塔集落を見る。

中塔城は平地からはかなり高山の山奥に構築されているために、普段は生活の便の良いこの中塔集落に兵士や城主の居館や

屋敷があったとされているが、現状ではそれらの遺構を確認することができない。


nakatousyuuraku210 (23)
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中塔集落にある阿弥陀堂でよく中塔城への登り口の目安にされる。

nakatousyuuraku210 (26)
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中塔城のある山を守る山の神を見る。

山の神の北側に堀状に造られている中塔城への道が見られる。

この道は北尾根と南尾根の間にある俵窪と言われる沢を緩やかに登ることからここが大手道であったのであろうと考えられている。


~ 北構 ~

nakatousyuuraku210 (7)
南小倉方面から北黒沢を見る

nakatousyuuraku210 (6)
北黒沢を渡った道が中塔集落へ入るための切通しの構が残る。

切通しの東側には「はざま」と呼ばれる段郭が中塔集落を守っている。

nakatousyuuraku210 (10)
nakatousyuuraku210 (15)
北黒沢からの道に防御施設として構築されたと思われる段郭を見る。

武田晴信(信玄)は北黒沢沿いにある黒沢不動に戦勝祈願をしたと伝承されることから、晴信が攻めたとされる根小屋の構はこの

段郭であったのであろうか?

現状では三段ほどの郭が見られる。


nakatousyuuraku210 (2)
中塔集落(根小屋側)から見る北黒沢から上ってくる切通し道を見る

~ 黒沢不動 ~

kurosawafudou (18)

kurosawafudou (10)

武田晴信(信玄)が、中塔城を攻める際に戦勝祈願したとされる黒沢不動。

黒沢不動が北黒沢の沢奥にあることからも、晴信が北黒沢川から攻めた可能性が大きいと考えることができるのではないだろうか。



3つに分けて紹介してきた中塔城と周辺の遺跡はいかがだったでしょうか。

中塔城というと山上の城が中心に紹介されることが多いが、集落の構や尖屋敷が何故構築されたのか書かれたのが少ないので

少しこだわって書いてみました。

中塔城を訪れる際にこれらの事も少し調べたり訪れてみて総合して考えてみてもらえたらうれしいです。



~ 参考文献 ~

信濃の山城                (小穴 芳美   1988年)

梓川村誌                 (梓川村誌編纂委員会   平成6年)
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  1. 2015/07/06(月) 16:46:18|
  2. 安曇野市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
<<安曇野市  二木氏 | ホーム | 安曇野市  中塔城②>>

コメント

尖屋敷

こんばんは。
中塔城の記事、興味深く読ませて頂きました。
登路が整備されている訳ではなく、しかし松本地域の歴史に重要なこのお城。
自力では中々行かれない場所なので綿密に調べられている記事を読んで凄いなぁ、と素で感動しました^^

城内で見つかったお皿、やはり身分の高い方の為のものだったのでしょうか。
本当にあの場所に長期間籠城していたのでしょうかねー。

尖屋敷は私も探しに行った事がありました。
あの場所で良かったんだなぁ、と写真を見ながら再確認させて頂きました(*^^*)

これからも記事を楽しみにしています。
そして参考にさせて頂きます♪
  1. 2015/07/10(金) 23:28:49 |
  2. URL |
  3. 黒曜石 #U6M1AWu2
  4. [ 編集 ]

Re: 尖屋敷

黒曜石様コメントありがとうございます。
『二木家記』には籠城期間3年・『岩岡家記』では半年とあります。
あの山奥で冬季の籠城は雪が深くかなり難しいでしょうね。
半年だったと考えるのが一般的になっていますね。
ただ、周辺の土豪たちは武田氏に内緒で差し入れなどをしていたようですので、
結構いい生活をしていたのかもしれませんね。
発掘してみてどんなものが出土するのか興味がありますね。
あんな山奥無理か。。。。
  1. 2015/07/14(火) 11:06:46 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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