長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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松本市   会田氏について…②

海野系会田氏に続いては・・・会田岩下氏について書いていきたいと思います。

海野系会田氏が会田の郷を去り、海野一族の岩下氏が会田を知行するようになったのが、「信濃史源考」では、応永年間とし、「四賀村誌」では文明年間としている。
岩下氏は、海野信濃守幸遠の二男、豊後守幸忠が小県の岩下に住して岩下次郎と称したといい(望月・矢島二氏系図)あるいは、幸遠の孫、海野宮内大輔幸房の二男、岩下豊後守幸実であるという説がある。 
「滋野三家系図」では、海野幸義の弟を岩下豊後守幸久とせり、一説に会田小次郎中絶の時、岩下玄蕃と云う人、会田虚空蔵山城に居り、岩下豊後の位牌広田寺に在り、豊後は、海野小太郎幸義の弟なり。「信府統記」には、広田寺は永正中、岩下豊後の建立と伝える。
会田岩下氏の系統について「信濃史源考」には、会田に岩下氏あり其の後、岩下豊後、岩下監物住せり。
岩下玄蕃、会田城に居住し其の後、豊後と称すとある。豊後と玄蕃は同一人物のようである。
その後、天文年間まで詳しい資料は無く、天文二十二年、武田氏による四賀地区への侵攻を「高白斎記」でみると、「三月二十九日深志ヲ御立、午の刻、刈谷原へ御着陣(中略)、四月三日、会田虚空蔵山迄放火」とあり、その後の会田虚空蔵山城の攻防等が記されていないので、会田氏は戦わずに降参したようであり、永禄十年八月七日、生島足島神社に於いて武田信玄に起請文を出した諸将の中に、岩下幸実・岩下長富・岩下幸広の三名の名がある。(ただし、全員が会田の岩下氏かは不明)また、「笠系大成」に郷士として、岩下筑前守・備前守・丹波守・源太・監物・志摩があり、岩下家家老として堀内越前守の名も記されている。
当時、武田家における岩下氏の軍役は十騎で武田逍遙軒に属していたようである。天正十年、武田氏・織田信長が滅ぶと深志城に小笠原貞慶が戻り、武田氏侵攻時に武田方に寝返った豪族を攻め始めると、会田氏は、小笠原氏との対決が避けられないのを知り、上杉氏の支援を得て矢久に砦を構えてこれに籠った。
この時の領主は、会田小次郎廣政(または広忠)であったが幼少であったので家老の堀内越前守が戦ったが、越前守は討死し砦は落城してしまった。領主の小次郎は逃れたものの青木村の十観山で自害したと伝えられる。


              ~会田氏関連遺跡~

koudennzisiag1.jpg


会田氏といえば・・ここ広田寺ですね。
広田寺は、会田氏の菩提を弔うために現在地に伽藍を移した寺院で、前身は知見寺である。知見寺は、会田岩下氏により中興されたが場所は東の山を越した知見寺と云う所にあったが、小笠原氏に焼かれてしまい、住職が岩下豊後の位牌をもって逃れ知見寺を広田寺として再中興したといわれる。また、永正年間(1504~1520)、小笠原氏の菩提寺として知られる里山辺の広沢寺4世雪江玄固の開山ともされる。


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別にお寺が趣味ではないが・・厳格な雰囲気がすきだな。!(^^)!

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本堂です。もちろん海野氏系の菩提寺なので六紋銭ですな

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殿村遺跡の発掘報告会の資料に広田寺にも古い宝筐印塔があるとの記載があったので・・・苦労して探しました(^_^;)雨の中、お墓をうろうろしてる不審人物が・・・通報されなくてよかった。。。お寺の古さがわかりますね。

P3235234.jpg

会田氏といえばこれかな。会田塚ですね!他のサイトさんにも詳しく書かれているので軽く書きます。
「広田寺過去帳前書」には、会田殿の御軍衣・御軍具を埋め奉り会田塚と称すなり」とあり、遺体の替わりに身に纏っていたものを埋めたことが分かる。


id10.jpg

最近注目を受けているのがここ・・(仮)長居原遺跡です。
会田虚空蔵山の麓知見寺沢沿いにある永井原といわれる平地があり、昭和50年代まで畑や荒れ地になっていた場所である。


do2.jpg

文禄三年の「会田郷往古之略図」には、「長居原」・「軍さの稽古場」などの記述がみられる。

id4.jpg

中世の信仰関係の遺跡群の可能性もあり、平成22年からは東海大学考古学研究室が石積みの測量を開始している。
(知見寺沢の関係からここが知見寺跡では・・・との話もあったが・・どうでしょう。)


もうひとつついでに・・会田地区の遺跡地図にしか見られないけど・・旗塚があります

mi6.jpg

現在、旗塚といわれているのは三峰社のある尾根と無量寺横の尾根・広田寺裏の尾根の三か所です。
今回紹介するのは「三峰社上の旗塚」といわれている遺構です。


sigamuramitumine1.jpg


尾根を登るとこの三峰社がありここからさらに尾根を登ると・・・

sigachikumitumine2.jpg


このような塚が確認できます。確認できた確実なものは8ヶくらいだったかな。
場所的に確かにそれぞれの場所は威嚇には効果的な場所ではあるが・・本当に旗塚ってあったのかな~。
教育委員会の講演会では、旗塚ではなく、三峰社・無量寺・広田寺の近くにあることを考えると宗教施設の十三塚ではないかとの説も出ていたけど・・これいかに?


会田氏についてご理解いただけたでしょうか?次回からはまた会田氏関係の城郭を紹介したいと思います。

~参考文献~

四賀村誌  (四賀村役場 昭和53年)

信濃史源考(6)  (歴史図書社  昭和51年)

殿村遺跡発掘概報  (松本市教育委員会 平成23年)

義民の里 青木村  (宮原 栄吉  昭和61年)
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  1. 2012/05/15(火) 02:48:12|
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