長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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松本市(旧四賀村) 笹沢城

会田氏関連城跡

所在地・・・・松本市四賀五常落水                  訪城時間・・・・20~30分
別 名・・・・落水の砦                         危険度・・・・★★★☆☆
訪城目印・・・・五常小学校



 
                ~笹沢城歴史~


笹沢城は、会田氏の支砦で会田斎田原の西端にあり五常小学校の南方に会田川を隔てて所在する。
「信濃戦国時代史」には、武田氏時代に会田氏の家臣、笹沢監物の居城であったという。
「東筑摩郡誌」では、山上の平東西六間、南北五間、東南に堀切あり。会田小次郎の持ち城にして、笹澤監物之を守れりと博ふ。とあり笹沢監物という城代が居たことが書かれている。



                ~城跡の現状~

sa1.jpg

笹沢城を見る。
会田川が麓を流れていて自然の堀の役目をしている。


sa3.jpg

会田川を渡り、道を沢沿いに歩いて行くとこの台地上の平地に出る。
ここはかなりの広さがありこの平地に居館があったのであろうか。


sa4.jpg

さらに登っていくとこのログハウスが建っている。
このログハウスには泊まることが出来るようだが・・不気味だ・・・誰が泊まるんだろ・・勇気あるな ( 一一)


sa5.jpg

ログハウスから急斜面を登ると(近くに道があるけど・・)この段郭が見えてくる。

sa6.jpg

本郭南西斜面(登山口の沢側)にはこのような広い郭が造られている。

sa12.jpg

本郭に建つ城址標柱(五常小学校の子供たちの手作り)と後方に山笹城を見る。
旧四賀村は城跡に対する扱いがすばらしい!


sa13.jpg

郭を見る。本郭には土塁は見られない。

sa11.jpg

本郭西側下には、小規模ながら二の郭が造られている。
木が無ければ眺望がよく、明科方面に対して備えていたようである。


sa14.jpg

本郭裏の尾根続きには、写真のように2~3本の堀切状のものが見えるが・・・

sa15.jpg

一応・・・堀切かな~・・これで防御出来たのかなぁ。

sa17.jpg

堀切浅いな~。会田氏の築城技術って・・古式で自然地形を利用したものだったのかな?

sa16.jpg

いつもながらのカモシカさんがこちらをうかがっておりました。
(黒かったので・・熊かと思ってビビりました)  ((+_+))


sa19.jpg

尾根をさらに進むと・・・これがまた・・悩む遺構が続くんです。
全体的に見れば、地滑りの跡にしか見えないけど・・・これを遺構と見るか・・・ただの地滑りと見るか・・悩む。


sa21.jpg

尾根筋には地滑りの跡があちこちに窪みとしてあり、またそれを山道として利用していて複雑になっている。

sa22.jpg

東側斜面には土塁を伴った堀のようにも見えるけど・・・確かにこのあたりの城にも地滑り跡を利用した馬屋窪などの名称がついていたりする遺構があるけどこれもそうなのかな

sa23.jpg

尾根筋から本郭を見る。雪がふぶいてきて・・・あせった(^_^;)

sa25.jpg

東側斜面にある山仕事用の道から本郭裏尾根にある堀切から落ちる竪掘を見上げる。
(竪掘なんだか自然の地形なんだかわからないけど・・・一応あれば役に立つと思われる。)


笹沢城を見てきましたが、本郭周辺は確かに城郭遺構として認識できるものの、その他の尾根筋の地滑り跡は遺構に入るものか疑問である。会田氏系の城跡を見てきたがほとんどの城跡が本郭周辺に堀切を2~3本配しただけのもだった。この城だけそこまで城域が広がるものなのか・・・本当に疑問だな~。まあ、素人考えだけど。


~参考文献~

四賀村誌     (四賀村役場   昭和53年)

信濃史源考(6)  (歴史図書社  昭和51年) 

山城探訪      (宮坂武男   平成10年)
 
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  1. 2012/05/17(木) 02:52:05|
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コメント

地元の小学生に拍手!

小生も攻めてみましたが、本郭の南(?)に展開する堀切群は何処までが人工的なものか悩むところですね。
武田に降ったあとに改修されたのであれば堀切は強化されたと思いますが、このような砦をそこまで改修する価値があったのかは疑問です。

指呼の先にある塔ノ原城は竪掘が集合して美しい扇状の堀底になっていて武田による改修かと思うのですが、笹沢城に関してはどうなんでしょうかねえ。
  1. 2012/05/20(日) 08:50:27 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 地元の小学生に拍手!

> 小生も攻めてみましたが、本郭の南(?)に展開する堀切群は何処までが人工的なものか悩むところですね。
> 武田に降ったあとに改修されたのであれば堀切は強化されたと思いますが、このような砦をそこまで改修する価値があったのかは疑問です。
>
> 指呼の先にある塔ノ原城は竪掘が集合して美しい扇状の堀底になっていて武田による改修かと思うのですが、笹沢城に関してはどうなんでしょうかねえ。


コメントありがとうございます。
確かに塔ノ原城の竪掘は素晴らしく会田氏系には見られない高い技術が見られますが・・・
会田氏関連の城を回ってみると本当に武田氏・小笠原氏が関係したのかと思うほど他の地域に比べて
加工度が低いものが多いですね。
見張り程度で戦術的に低いものは手を加えなかったんですかね。
っていうことは・・この城は純正会田氏の城・・これはこれで遺構的には重要かもしれませんね。
  1. 2012/05/20(日) 13:07:36 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
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  1. 2016/10/23(日) 21:33:10 |
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