長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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松本市(旧四賀村) 矢久砦

会田氏関連城跡

所在地・・・・松本市四賀中川                         訪城時間・・・・40~60分

別 名・・・・召田城・覆盆子城                        危険度・・・・★★★★☆

訪城目印・・・・?


                ~矢久砦の歴史~

矢久砦の通説をまず書くと・・会田岩下氏は、小笠原氏に属していたが武田氏の信濃侵攻時に降り信玄に従うようになり、元亀四年、信玄が亡くなると勝頼に忠誠を誓った。
天正十年武田家滅亡時に岩下惣六郎昌盛・右近昌延の岩下氏が勝頼に従い殉死している。(田野寺記録)
天正十年七月になると、小笠原貞慶が深志城に返り咲くと旧領の経略に取り掛かると塔原氏など周囲の諸将が降るなか、会田岩下氏と家老の堀内氏は降らずに上杉氏を頼り小笠原氏と戦うため矢久に城を構えた。
城主は会田小次郎廣政(広忠ともされる)であったが、小次郎は幼少であった為に家老の堀内越前守が守将となり一日に三度の戦いとなるほどの激戦となり、小笠原方の川窪軍兵衛・青木加賀右衛門と堀内越前は相打ちとなり大手付近で討ち取られている。
天正十年十一月、矢久の砦は落城し、小次郎は青木村まで逃れたものの自刃し会田氏は滅亡した。とされる。

ただ、「四賀村誌」にも、天正十年に小笠原氏の侵攻に対して急造された新城であるとされているが・・

「東筑摩郡誌」では、本城の平、東西十一間・南北六間あり、
会田小次郎の三男、召田伊織の居城なり、天文二十一年八月甲軍の攻むる所となりしが城遂に陥れり。

「信府統記」では、召田山覆盆子古城地の項に、会田小次郎領主の時、家人召田監物ヲシテ置テ守ラシム

「平成18年 長野県文化財審議会議事録」にも、現在召田氏が所有する古文書によると、天正10年(1582)には、会田城主であった会田小次郎廣政の家人、召田監物が当地の城主であった。
召田監物の没後、菩提のためにカヤと桂が植えられたと伝える。

とあり現在も召田氏墓地にカヤがあるので確かに召田監物は存在し、召田の地を領して砦を守っていたと思われる。
この二つの伝承はどう考えたらいいのだろう。
召田氏の砦を会田小次郎達が改修して使用したのだろうか?
その改修を急造と書いたのだろうか?
確かに何個もの城を従える領主が覚悟して籠るには防御施設が脆弱すぎる気がするが・・・。
それとも、二つの砦があるのだろうか?
現在の砦の麓にある召田氏が居る所をイチゴ(字は確認していないが)と云っているのでここに召田氏が居館を設けていてその館を召田監物が守った所とし、山の上の砦を会田氏が築いた所とすることも考えられるけど・・どう理解したらいいのでしょう。



                ~城跡の現状~

ic1.jpg

城の登り口と手前の家のところが「イチゴ(字未確認)」と呼ばれている地点。
大手で堀内越前が討死したのはこのあたりでしょうか?
城跡はかなり山奥なので麓からは確認できず。


ic23.jpg

城跡までス~パ~急斜面でかなりきつい・・ (*_*;
秋はきのこ山なので注意!


ic22.jpg

急斜面を登りきると、尾根の先端部につきそこから南へさらに登ると本郭に着く。
写真は本郭を見上げる。
本郭斜面には段郭らしきものが見られるけど小さすぎて・・確信がもてない。
さらに斜面中腹には昔かなり使われたような山道が通っている。


ic2.jpg

ちゃんと標柱が建ってました。
これがないと・・・不安なほど山奥で・・・建てる四賀村もすごいけど・・。


ic3.jpg

本郭を見ているんだけど・・・ん~。

ic11.jpg

これなら削平されているのがわかるかな?

ic4.jpg

本郭裏側南尾根続き(搦め手方面)に唯一ある堀切。
四賀村誌には、搦め手方面が小県に通じているので小県に逃げることを考えてここに築城したとある。


ic6.jpg

浅い。。浅すぎる。。。これでいいのか。。会田氏。
本当に上杉氏の支援をへてここで戦ったのだろうか?


ic7.jpg

尾根続きの搦め手方面から城内を見る。
尾根続きの堀切以降は自然地形が続き遺構は確認できない。
っということは・・・単郭の城・・・戦った?籠った?滅んだ?こんな狭い所で?


ic9.jpg

この斜面は本郭から伸びる北西尾根へ下る斜面であるが結構緩やかなのでこちら側に遺構が集中している。
(登ってきたのは、北東の尾根筋から)


ic20.jpg

本郭周辺の縁部にはこのような石がみられるので、土止め程度の石積みがあったのだろうか?

ic16.jpg

尾根を下って行くと・・段郭が現れます。

ic12.jpg

横から段郭を見るとこんな感じ。
大きくはないが明瞭である。


ic17.jpg

ま~。段郭ですな。

ic14.jpg

わかるかな~。
南西尾根には二本の堀切があるとされているが・・・ほかに見当たらないけど・・・これでしょうか?
ち・ち・小さすぎる・・・・・大丈夫か・・会田氏。


矢久城を見てきましたが・・・どうでした。
自分的には・・・4~5人いれば造れそうな~。
本当に会田氏が存亡をかけてまで造って籠った城には・・・見えん。
だって、上杉氏の支援を受けて籠って一日三回も戦ったなんて・・・・これで?
会田氏の他の堀がある城(雨戸屋城とか佐々野城とか)そっちのほうがいい気がするけど。
土豪の召田氏の城と言われたら納得するけど・・・ねえ。
見られた方はどう感じたでしょうか?



                 ~召田氏墓所とカヤ~

文化財審議会議事録をみると、文献によるとカヤの樹齢が400年と推定され召田監物の没後、菩提のためにカヤと桂が植えられたと伝えられる。
その後、召田門中の人々により阿弥陀堂が建立され、墓地と共に守られてきたが、明治2年に廃堂となり、その後、寺小屋、分校として子弟の教育に使われてきた。現在は公民館として使用されている。
カヤと桂は墓の守り木として大切に保存されてきたが、桂は昭和31年に落雷のため枯死してしまった。


yk1.jpg

召田氏墓所の全景。
カヤが目印です。

yk3.jpg

この地の領主に恥じない立派な墓所があります。
他の武将の墓地には見られないくらい大切にされています。


yk5.jpg

古い五輪塔・宝筐印塔が見られるが・・・監物の墓がわからなかった。 (>_<)  

yk2.jpg

議事録にあった阿弥陀堂跡です。


~参考文献~

信濃史源考(6)    (歴史図書社  昭和51年)

信州の山城       (信濃史学会  1993年)

四賀村誌        (四賀村役場  昭和53年)

東筑摩郡誌       (信濃教育会  1919年)

山城探訪        (宮坂 武男  平成10年)

長野県文化財審議会議事録  (平成18年)
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  1. 2012/05/21(月) 22:04:52|
  2. 松本市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

ありがとうございました

連コメ失礼致します。

覆盆子城の城跡、初めて見ました。ありがとうございます。これで長年の胸の支えが取れました。
会田岩下氏の最後の戦いの場所とされる場所がこのような場所であったとは、小生も信じ難い気持でございます。

会田氏が自決したという伝説の残る青木村の十観山にも登りました。
山頂付近を探索しましたが盗掘にあった塚を見つける事も出来ずに退却です。会田虚空蔵山城も十観山も黄金伝説があり、そのために貴重な遺跡が破壊されるのは残念な事です。

父の長時を裏切って武田に寝返った家臣に天誅を加える貞慶の執念は凄まじいものですね。
上杉景勝も現実主義だったようで、使えない部下は見殺しにしたのでしょうか?
  1. 2012/05/25(金) 22:01:12 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: ありがとうございました

> 連コメ失礼致します。
>
> 覆盆子城の城跡、初めて見ました。ありがとうございます。これで長年の胸の支えが取れました。
> 会田岩下氏の最後の戦いの場所とされる場所がこのような場所であったとは、小生も信じ難い気持でございます。
>
> 会田氏が自決したという伝説の残る青木村の十観山にも登りました。
> 山頂付近を探索しましたが盗掘にあった塚を見つける事も出来ずに退却です。会田虚空蔵山城も十観山も黄金伝説があり、そのために貴重な遺跡が破壊されるのは残念な事です。
>
> 父の長時を裏切って武田に寝返った家臣に天誅を加える貞慶の執念は凄まじいものですね。
> 上杉景勝も現実主義だったようで、使えない部下は見殺しにしたのでしょうか?


コメントありがとうございます。
自分もこの城跡を探すのに違う山を登ってしまったり・・・・苦労しました・・。
友人と登ったのですが山は薄暗く絶対一人では行きたくないですね。(;一_一)
上杉景勝は本当に会田氏を支援する気があったのでしょうか?
信長が死んだあと天正壬午の乱で川中島で北条氏や徳川方と戦ったり・・・
忙しくてそれどころではなっかったのではないでしょうか。
会田氏が勝てばラッキ~くらいで負けても痛くはないし、逃げてくればいいじゃん
って思ってたんじゃないですかね。確かに現実主義かも。
いつか自分も十観山に登ってみたいと思います。
会田岩下氏にナ~ム~ってね。
  1. 2012/05/25(金) 23:26:13 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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