長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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安曇野市(旧明科町) 三峯城

会田氏関連城跡

所在地・・・・安曇野市明科東川手                       訪城時間・・・・佐々野城から15分

別 名・・・・旭城・ごてんじょう・あざみ城                          危険度・・・・★★☆☆☆

訪城目印・・・・佐々野城北尾根から一本道



                ~三峯城の歴史~

「明科町史」記載の文献「元禄十一年潮山中村書上帳」にさみね城、古城、長六間、横三間、虎卯間より申酉間長し、城主存じ奉らず候・・・とある。
伝承として、ごてんじょうと呼び、青木の下に黄金を入れた甕が埋めてあると伝えられ、何人かが掘ったが何も出なかったという。
考察として、佐々野城と同様に会田氏の西端の出城であり、西北山の城と呼ばれる家の付近に番兵が居たと思われる。
潮沢川を境として向かい側は日岐(仁科)氏の勢力範囲ゆえ、それに備えたのであろう。としている。
その他「信府統記」にも城主知レズとあり名のある武将はいなかったのであろう。



                ~城跡の現状~

mm1.jpg

佐々野城北尾根から尾根伝いに地滑り跡を越えるとこの土橋状の細尾根になる。
この細尾根も佐々野城・三峯城間の街道押える為の防御施設として利用されていたものと思われる


mm2.jpg

三峯城近くの尾根上から佐々野城を遠望する。

mm2 (2)

三峯城手前にある小ピークを見る。
街道はこのピークを回り込んで通っていて「山城探訪」ではこれを南堡塁としている。
なおてっぺんは人工の跡は見られない。


mm3.jpg

尾根上の街道は三峯城の真下を歩いていて三峯城から監視出来る位置にある。
これは街道伝い三峯城の北東尾根にある堀切である。


mm5.jpg

堀切はこの尾根に三本確認出来るが小規模の為、この堀切以外は写真を撮るのを断念した。

mm24.jpg

堀切を越えるとすぐに本郭になる。
街道と本郭の比高差は小さく厳重な城郭施設と云うより街道に密着した関所的なものであったと思われる。


mm25.jpg

本郭は狭く10人入れば座れないほどであり、削平も甘い

mm23 (2)

本郭と二の郭には堀切により区画が小さいながらも一応されている。

mm21.jpg

なお、この堀切は両脇を竪掘として落とされているので、堀切であったと理解出来る程度である。

mm7.jpg

二の郭を見る。
細長い郭で、本郭より削平の加工度は高ことが確認出来るがやはり狭い (>_<)


mm14.jpg

北西尾根から本郭を見る。
(切岸の角度も低く・・ただの斜面にしか見えない)


mm13.jpg

北西尾根最初の堀切を見下ろす。
北西尾根には二本の堀切が確認されている。


mm10.jpg

最初の堀切を横から見てみる。
佐々野城の堀切の残存状況から・・三峯城の堀は最初から小規模であったと思われ確認するのが大変である。


mm16.jpg

ん?・・・っていうくらい小規模な・・二本目の堀切。

mm15.jpg

二本目の堀切を横から見る。
???防御しようという意図はわかる。・・しかし・・本当にこの堀切で守れたのであろうか?
小規模な堀切の意図はどこにあるのだろう・・威嚇のため?


mm20.jpg

三峯城の北限とされる北西尾根先端にある北堡塁とされる部分。
横から見れば、削平されていることは確認出来る・・たしか・・ここに稲荷社があったはずだが・・ないな~?


佐々野城・三峯城と続けて見てきましたがいかがでしたでしょう。
佐々野城には明確な堀切・平場が見られるのに対し、尾根続きの近くにある三峯城は平場があいまいであり、堀切も小規模である。
同じ会田氏関連で近くに隣接する城のこの違いは何を意味しているのであろう?
本城と支城のような関係があったのであろうか?疑問だ。
町史にあるように管理していた番士は違う集落であったようなのでこの関係は違うかな (-。-)y-゜゜゜



なお・・・三峯城から堀平へ帰る場合、街道が歩きやす過ぎて佐々野城を通り過ぎてしまい戻るのに苦労しました。堀平に戻る場合は、佐々野城を経由して戻ることをお勧めします。
山での遭難・迷子は自己責任ですのでなるべく安全な道を歩きましょう。




~参考文献~

山城探訪    (宮坂 武男   平成10年)

明科町史    (明科町史刊行会  昭和59年)

四賀村誌    (四賀村役場   昭和53年)

信州の古城   (郷土出版社   平成7年)
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  1. 2012/05/24(木) 19:26:51|
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