長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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松本市(旧四賀村) 唐鳥屋城

会田氏関連城跡

所在地・・・・松本市四賀会田・筑北村乱橋                        訪城時間・・・・乱橋側から60分

別 名・・・・乱橋城                                      危険度・・・・★★★☆☆

訪城目印・・・・乱橋宿



                   ~唐鳥屋城歴史~

「東筑摩郡誌」には、山上の平、東西十二間、南北六間、石礎存せり。
寛正年間、海野の一族 藤澤帯刀之を築き、後、天正年間に至り小笠原貞慶のために亡ぼさる。とあり、
また旧本城村発行の資料には、「寛元二年(1244)藤沢大道という者、乱橋という所に館を建て居城す。」
小県の海野氏は木曽義仲の四天王のひとりで、藤沢氏はその一族でありこの地を拝領して守っていた。とし
菩提所は禅宗の滝沢山久祥寺で、守本尊は鏡大明神と古書にある。としている。
ただ、資料により会田氏の城か青柳氏の城に意見が分かれている。



                     ~城跡の現状~

CIMG1528.jpg

乱橋部落から立峠への道と傍らの道祖神を見る。
現在はただの農道だがかつては多くに人々で賑わっていたのであろう。


PB107230.jpg

復元された立峠への石畳の道。
現在は石畳が復元され歩きやすくなっている。(奥に立峠が見える)


PB107249.jpg

立峠を見る。
かつてこの地にあった茶屋の石積などが残っていてこの峠の賑わいがうかがえる。


PB107251.jpg

立峠から乱橋方面を見る。
昔の人はこの景色を見ながら善光寺へ急いだのであろうか。


PB107265.jpg

峠奥にある城の案内標柱と説明板を見る。
後ろの尾根から唐鳥屋城へ行くことができる。


CIMG1498.jpg

唐鳥屋城西尾根を見る。
この尾根は結構細く岩などがあり険しい。


PB107310.jpg

西尾根(立峠から)最初の堀切を見る。

CIMG1463.jpg

最初の堀切を横から見る。
規模は小さいが尾根が険しい為この程度でもよかったのであろう。


CIMG1481.jpg

二本目の堀切?竪掘?を見る。

CIMG1482.jpg

竪掘状になっていて二重になっている。
自然地形を利用したものであろう。


CIMG1486.jpg

三本目の堀切である。
・・・・小さいけど確かに堀切です。


CIMG1487.jpg

横から見ればわかってもらえます? (#^.^#)

PB107321.jpg

西尾根最後の堀切です。
この堀切は岩を利用した厳重なものである。


PB107327.jpg

横から見ました。
尾根が細く、堀切も鋭角なのでこの尾根上の堀切の中で一番防御意識が強く感じる。
本郭に一番近い為であろう。


PB107320.jpg

西尾根から虚空蔵山城を見る。
ここからは虚空蔵山城の堀切が明確に見えるほど近く・・虚空蔵山峯の城でみたようにこの唐鳥屋城がすぐ下に見下ろせる位置にある。
やはりこの城は会田氏関連の城でなければ城内は敵方に丸見えでここに築城する意味を失ってしまう。


PB107325.jpg

西尾根から本郭がある山頂を見る。

PB107331.jpg

本郭を見上げる。
本郭は切岸のような自然の急斜面を登る必要があり防御施設としてうまく利用している。


PB107336.jpg

本郭は現在藪になっていて詳細は確認できないが、二段に分かれているのは確認出来、土塁は見られない。
夏は藪が酷く入ることも難しい。


PB107388.jpg

本郭に建つ消えてしまった唐鳥屋城跡の標柱

PB107337.jpg

本郭から見る景色・・絶景かな・絶景かな。
本郭周辺の尾根筋には段郭が多く見られるらしいが、藪の為に確認が難しい。


PB107373.jpg

この城にも本郭の北東と南側に石積が見られる。

CIMG1508.jpg

この石積も会田氏滅亡後の小笠原氏によるものであろう。中の陣城の石積に似ている。

PB107354.jpg

茨の藪が防御をしていて・・石積を見るのが苦労するのですよ。
見られる方は、ご注意を!



さあ唐鳥屋城を見てきましたが、いかがでしたか?
あなたは青柳氏の城説・会田氏の城説どちらと感じられましたか?
迷った方は是非訪れて確認してみて下さい。
などと言いながら・・会田氏に偏った書き方になってますが・・  (-。-)y-゜゜゜



~参考資料~

東筑摩郡誌    (信濃教育会   1919年)

信州の古城    (郷土出版社   平成7年)

本城村の史跡と歴史を語る文化財  (本城村教育委員会)
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  1. 2012/05/25(金) 20:05:08|
  2. 松本市
  3. | トラックバック:0
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コメント

立峠からの風景

毎回楽しみに見ております。

立峠は会田と筑北境目にある重要な峠ですよね。
貴殿の仰せの通り、唐鳥屋城は会田氏の築城と見て間違いないでしょう。

会田氏が貞慶さんに滅ぼされると、青柳氏は東条城の小仁熊氏を立峠に派遣し改修したのではないでしょうか(あくまで妄想です)
貞慶さんが青柳氏を謀殺し、小仁熊氏が立峠で迫りくる小笠原軍を防御しこの地で自刃して果てたという里伝が残っているくらいですから、唐鳥屋城は機能していたと見るべきですかねえ~。

観光客も素通りしてしまうようなこの地方が、往時は信濃のエポックメイキングな場所だと知る人が少ないのは残念な事ですが(汗)
  1. 2012/05/31(木) 22:34:05 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 立峠からの風景

> 毎回楽しみに見ております。
>
> 立峠は会田と筑北境目にある重要な峠ですよね。
> 貴殿の仰せの通り、唐鳥屋城は会田氏の築城と見て間違いないでしょう。
>
> 会田氏が貞慶さんに滅ぼされると、青柳氏は東条城の小仁熊氏を立峠に派遣し改修したのではないでしょうか(あくまで妄想です)
> 貞慶さんが青柳氏を謀殺し、小仁熊氏が立峠で迫りくる小笠原軍を防御しこの地で自刃して果てたという里伝が残っているくらいですから、唐鳥屋城は機能していたと見るべきですかねえ~。
>
> 観光客も素通りしてしまうようなこの地方が、往時は信濃のエポックメイキングな場所だと知る人が少ないのは残念な事ですが(汗)


らんまるさんいつもコメントありがとうございます。
小仁熊氏の里伝知りませんでした・・・・勉強不足ですね。
立峠周辺には三つの峠が集まっていることを考えると唐鳥屋城の重要性はかなりのものであったろうし、
廃城にする理由が見当たらないのでらんまるさんがおっしゃるとおり・・唐鳥屋城も機能していた
と思われるのですが・・
  1. 2012/06/02(土) 18:12:11 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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