長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

松本市(旧四賀村) 殿村遺跡

会田氏関連遺跡

所在地・・・・松本市会田     

発掘期間・・一次発掘平成20年9月~22年1月・第2次・3次も行われている。


発掘経緯・・・・四賀地区統合小学校建設による発掘調査・その後保存が決まり2・3次は遺構確認調査。



               ~殿村遺跡発掘要約~

第一次発掘概報の要約を抜粋すると・・・
調査区を含む対象地(会田運動場)の大部分が室町~戦国時代(15c初頭~16c中葉)の大規模な造成跡であることが判明した。
造成は少なくとも四回にわたり、段階的に拡張さた平場は最終的に80m四方に及ぶ。
造成の前半(15c代)は盛り土の前面を自然石積みの石積で画していた。
造成面上からは礎石建物・掘立柱建物・柱穴列・炉跡等が多く検出され、また内部空間を画する石列や溝状遺構も多数見られた。
遺物は松本市内の中世遺跡としては数が多く、在地産の土師質土器皿・内耳鍋のほか、天目茶碗や折縁深皿等の古瀬戸系陶器・中国産の青磁・白磁・天目茶碗が多く出土した。
また、瓦質土器風炉や他地域産の高級石材製茶臼等、寺院や城館遺跡にしかみられない喫茶関係の遺物が出土した。
現状における遺跡の性格は十分明らかにできないが、これらの遺構・遺物のあり方から寺院等の宗教関係遺跡である可能性が最も高く、一方で中世の会田氏居館跡の伝承もあり、城館遺跡である可能性も残される。
また、会田氏の館跡を示す文献として・・・・
「四賀村誌」には「会田氏は現在の会田小学校のある殿村の地に居館し」と記され、
「東筑摩郡誌 松本市 塩尻市誌」にも「会田氏の居館は、現在会田小学校のある殿村の地」とされていて、
文禄3年「会田郷住古之略図」にも知見寺(広田寺)の南側に殿村が記載されその近くに「大手門ヲ改メ大門ト云フ」とあり館跡と大手門跡が伝承されていたことが分かる。



            ~殿村遺跡を発掘風景から見る~

P1210973.jpg

高台から一次調査発掘区を見る。
アングルはいいんだけど電柱が・・・ジャマ! (・へ・)


P3235235.jpg

教育委員会でもこの地が会田氏の館跡と想定していたようですね。

P1210985.jpg

発掘面を見る。
この面は1面段階(16世紀前葉~中葉)の遺構面である。
この面の特徴は写真中央にある石列である。


P1211139.jpg

この石列は敷地を区画する築地塀であると想定さている。

P1211019.jpg

西側から発掘区を見る。
手前にある溝は当初、堀ではないかと思われたが、発掘が進むにつれ通路であったことが分かった。


P5237125.jpg

発掘開始当初に大きな話題となった15世紀にさかのぼる石積みです。
この石積みは15世紀から二段階に分けて改変を受けている(写真手前の石積みが二重になっている部分


P1210997.jpg

石積みのこの部分は・・・報告書を読んでも良く分からないけど・・・・入り口かな?

P5237261.jpg

15世紀の石積みを見る。
石材は無加工のものを使用し、それをただ積み上げただけの初期の石積みの積み方である。
ただ、この石積みも何回かの改変がありそのたびに技術が上がっているとのことである。


P6157697.jpg

石で組まれた炉の跡も確認できた。

P5237109.jpg

南側台地の縁部分のトレンチでは、石列と土塁状の高まりが確認された為に堀跡と思われていた。
ただ、2次・3次調査で否定されることになるが・・・。


328.jpg

これは、2次調査区です。
遺跡の保存が決まったので2次からは、範囲と遺跡の性格の確認に変更になり発掘区が小さくなりました。


322.jpg

盛り土していることが確認できる。

022.jpg

この部分にも石積みがあったのか石が散乱していた。
なお2次調査では、下にあるマレットゴルフ場の部分も発掘されこの部分も大規模な平場の造成があることが確認された。・・・見落とした・・・・
 (-.- ) 


033.jpg

殿村遺跡の3次調査です。
この間、発掘結果の発表があったので・・アップしてもいいですよね。


027.jpg

2次・3次とも現地説明会はしていないので申し訳ないですけど・・・作業中に見学させていただきました。
写真に見える遺構は・・土塁状遺構と石積みです。


to1.jpg

上から見た土塁状遺構と石積み。

to2.jpg

南側から土塁状遺構と石積みを見る。

to4.jpg

発掘区はL字状になっており、こちらは造成された平場のほうである。

to5.jpg

ここでは加工された石を使用した石列が確認された。
この石列より西側には遺構が無いことが確認されこの石積みが平場の西限である。


この土塁状遺構部分周辺は通路で何回かの平場への入り口の改変が確認された。
なお、15世紀の寺院の絵には石積みを使用した池が書かれていることが多いようで、通路を塞いだ跡に池を造った可能性も考えられているようである。
なお、殿村遺跡の発掘はまだ当分続くようなので注意深く見ていきたいと思います。


2次・3次の発掘結果の説明資料が見つからなかったので・・・覚えていることを書きました・・・。
  間違っていたらゴメンナサイ。


~参考文献~

殿村遺跡第1次発掘概報         (松本市教育委員会 平成23年)

殿村遺跡現地説明会資料         (松本市教育委員会  平成21年)

殿村遺跡発掘報告会資料         (松本市教育委員会  平成22年)
スポンサーサイト
  1. 2012/05/26(土) 20:30:20|
  2. 松本市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<筑北村(旧本城村)  瓜生平 | ホーム | 筑北村(旧本城村)  小屋ノ平>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://osirozuki.blog.fc2.com/tb.php/52-7f0fd15b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。