長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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筑北村(旧本城村)  瓜生平

所在地・・・・筑北村岩戸                                訪城時間・・・・5分

別 名・・・・・瓜生長者館                                危険度・・・・★★☆☆☆

訪城目印・・・・社宮寺



                 ~瓜生平の歴史~

瓜生長者の館跡と伝えられている。
香爐山の西斜面にあり、山の神や神宮寺をまつったところより一段上に上がった平坦部である。
墓碑もあるが、大きな石地蔵が多数建立されているのが注目される。
この地蔵は、両墓制地方でいう埋墓特有の「受取地蔵」と思われる。
これが瓜生長者の出身地を両墓制の多い北陸地方と推定する根拠である。
吉野時代、南朝、北朝両者が一大決戦をした金が崎城の近くにあり、後詰の城として活躍した杣山城の城主が
瓜生左衛門尉保で、その子、瓜生三郎の館跡と推定する。
杣山城の指揮者は新田義貞の一族である脇屋義冶で、瓜生氏は落城後も脇屋氏と同行している。
一時、中国地方の児島高徳と協力して京都の足利勢と戦った後、関西方面の攻撃をあきらめ、下伊那にいる信濃宮宗親王のもとに退去した。
このとき、児島・脇屋・瓜生の三人はそれまで同様同行したものと考えられ、児島高徳は鹿塩の駿木城に入っていることから、随行の脇屋・瓜生両氏も協力していたものと思われる。
宗良親王は信濃に三十一年間滞在されているが、その内の六年間を仁科氏の案内で更級の里に住まわれている。
瓜生氏が東条に入ったのはその時で、小県方面からの攻撃に対する防備の館だったものと考えられる。
 



                  ~瓜生平の現状~

ur1.jpg

館跡の入り口に建っている説明板。

ur2.jpg

民家の裏に説明板と登山道があるが、まず地元の方しかわからないと思われるので聞くのが無難です。
道は途中に墓地があるので踏跡程度の道がついている。


ur24.jpg

館跡入り口には虎口状の窪みと写真にあるように土塁状の盛り上がりが見られる。
????説明資料ではかなり古い館跡のはずであるが・・・・これが城郭遺構なら高度な防御だけど・・。


ur3 (2)

館内部にはこのような段郭のようなものが見られたり・・・・

ur12.jpg

縁部には土塁状遺構が見られたり・・・??
畑の跡かな?


ur14.jpg

堀状の窪みがあったり・・・って畑に必要ないよな~?

ur22.jpg

削平もきれいで・・・畑跡ではなかったら、かなり使われた中世城郭と云うことになるけど・・素人なので確信がもてない。

ur4.jpg

どう見ても・・郭だよな。。。。(-_-;)
削平地の山側斜面際には・・・・


ur5.jpg

説明ちゃんと読まなかったので知らなかった。。。
館跡を歩き回っているとお地蔵様に見られていた・・・・ 恐怖心が湧きおこってくる・・(゜-゜) 


ur6.jpg

お墓もたくさんある・・・怖い・・怖い・・逃げたい・・一人は怖い(泣)
これが説明にある両墓制のやつか・・・こえ~。


ur9.jpg

石列?石積?が見られるが、お墓によるものか、館によるものか恐怖で思考能力が低下していく・・・。

ur11.jpg

このお地蔵様は比較的新しいような・・やっぱ畑の遺構かな・・。

ur25.jpg

この削平地を区画するようにある大きな土塁状遺構は畑には必要ないような・・。
畑跡と館跡の遺構が重複して存在しているのであろうか・・・・誰か研究して・・・一人では怖くて行きたくない。


ur26.jpg

尾根先の平坦部に築かれている。
(写真にある電柱の奥に説明板がある)


ur26 (2)

後方に瓜生平と麓にある地蔵堂跡を見る。

瓜生平はいかがでしたでしょうか・・・中々資料に出てこないものを探すのも苦労するものです。
近くには番所跡が存在しているのでもしかしたらこの館も街道の監視という役目をになって改修されていた可能性も捨てきれませんね。誰かが研究していかなければ忘れ去られるのも時間の問題かもしれません。



~参考文献~

本城村の史跡と歴史を語る文化財   (本城村教育委員会)
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  1. 2012/05/26(土) 23:56:26|
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コメント

東条城の関連なのでしょうか?

中途半端で薄気味悪い東条城の近くにこのような遺構があるとは知りませんでした(汗)

そう云えば西条城訪問の時も背中に冷たいものを感じて逃げ出したい気分でしたが・・(笑)
麻績氏vs服部氏から始まり、最終的に小笠原vs上杉の争奪戦の舞台となった筑北・麻績地方。
庶民の怨嗟の声が聞こえるようでヤバイと感じたのは小生だけでは無かったようですね。
  1. 2012/06/05(火) 21:03:48 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 東条城の関連なのでしょうか?

> 中途半端で薄気味悪い東条城の近くにこのような遺構があるとは知りませんでした(汗)
>
> そう云えば西条城訪問の時も背中に冷たいものを感じて逃げ出したい気分でしたが・・(笑)
> 麻績氏vs服部氏から始まり、最終的に小笠原vs上杉の争奪戦の舞台となった筑北・麻績地方。
> 庶民の怨嗟の声が聞こえるようでヤバイと感じたのは小生だけでは無かったようですね。


らんまるさま、いつもコメントありがとうございます。
本当に薄気味悪い場所でした。。(-_-;)
あれは絶対何かいますね!
青柳氏や小笠原氏にでも使われたのでしょうか?
昔の人は何も感じないのでしょうね。
この館跡は東条城支城として東の地蔵峠・青木峠方向に備えたものと思われます。
東条城の支城とする根拠は近くに東条城主とされる一之瀬冶部大夫の墓があるからです。
是非足を運んでみて下さい。
  1. 2012/06/06(水) 06:35:51 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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まとめtyaiました【筑北村(旧本城村)  瓜生平】

所在地・・・・筑北村岩戸                                訪城時間・・・・5分別 名・・・・・瓜生長者館                 
  1. 2012/06/07(木) 20:37:47 |
  2. まとめwoネタ速neo

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