長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村 宇留賀城

所在地・・・・生坂村東広津                                    訪城時間・・・・5分

別 名・・・・なし                                          危険度・・・・★★☆☆☆

訪城目印・・・・宇留賀地区授産所・宇留賀就労センター



                ~宇留賀城の歴史~

「信府統記」には、「宇留賀山古城地、西ノ方一町十五間、本城ノ平東西六十間、南北八間、城主宇留賀小次郎ナリ」とある。

また、寛政元年「池田組明細帳」には、「城主知レズ、但シ宇留賀四郎兵衛ト云ウ人居住、油云伝へ、信玄時代ノ由」とある。

仁科の一族宇留賀氏が金熊川域の東端を守る重要拠点である。

井口氏は宇留賀氏が去った後に入ったと思える。と「生坂村誌」にあるが・・・

「池田町誌」では、武田晴信は日岐谷にいる、丸山・日岐・宇留賀氏などを帰服させるために小幡尾張守の一隊を派して平定しているが、

この時、宇留賀城主宇留賀四郎兵衛は降らず、家老 井口兵庫は城主宇留賀氏を追って自ら城主になり、

甲州軍を引き入れたと伝えられる。としている。



                 ~城跡の現状~

宇留賀氏居館跡

urugasairo2.jpg

宇留賀氏の居館跡とされる「古屋敷」にある宇留賀就労センターの平場を見る。
現状は、センター建設による改変が激しく遺構は見られないが、居館跡は何段かの平場で構成されている。
センターの裏にも平場が見られる。


urugasiro1.jpg

宇留賀氏居館跡から見る宇留賀城。
宇留賀城は比高が小さく要害性は低く在地土豪の城の域は出ないものである。


urugasiro5.jpg

就労センター裏の平場(畑跡)「こや」にある居館跡の標柱。
せっかくの居館跡の遺構も訪れる人も途絶え(城跡マニアは除く (^。^)y-.。o○ )藪となり詳細は確認できない。

でも・・ここまで標柱を建てる生坂村は素晴らしい! 

urugasiro3.jpg

まあ~。。。畑跡のただの藪ですな。
矢竹がすごく、その内山全体を覆ってしまう勢いであり、どこかで整備を行なわなければ忘れ去られる存在であろう。


宇留賀城跡

urugasiro6.jpg

ここにもあるか!っていうくらい尊敬します生坂村!
まあね、城跡マニア的には説明板より・・・草刈りの方が・・・・いいな (;一_一)
って贅沢かな。


urugasiro8.jpg

矢竹の藪に埋もれそうになっている石段を登ると本郭になります。
昔はきれいにしてたんだろうな~その頃見たかったな。
子供はもちろん・・・ビビってました。


urugasiro9.jpg

本郭の切岸には・・土豪の城には珍しい石積みが見られますよ。

urugasiro11.jpg

本郭は・・・す~ごい藪と極小の平場でした・・・。
ここに大きな建て物は。。。無理。では・・・何があったんでしょうね。謎だ。


urugasiro18.jpg

urugasiro14.jpg

本郭の周囲には、狭い本郭に似つかわしくない幅広の土塁が回っています。
下の写真はわかりずらいですが、石段を登りきった脇にある虎口を構成する土塁であり、石段が大手道であった証拠である。 


urugasiro19.jpg

urugasiro20.jpg

本郭切岸にある石積みである。
土止程度であり高さはない。
石積みは木の根・矢竹により崩れるのも時間の問題と思われる。早急な整備が望まれる!


urugasiro21.jpg

北側?にある二の郭を見る。
この城はどこを見ても藪であり、見て回るのに苦労します。 (>_<)
本郭南側尾根筋にもいくつかの段郭があるらしいが・・・見れるか~ <`ヘ´> ってくらい藪です。
現状入ることすら無理な状態です。


urugasiro22.jpg

urugasiro29.jpg


二の郭下にある堀切を見る。
この城で一番の厳重な防備であり、城側の切岸は鋭い。
現状は、堀切内が墓地となり改変もあるとみられる。


urugasiro23.jpg

この城の特徴は、石積みと写真にみる二重堀切である。
この堀切の二本目(墓地ではない方)が現在の登城となっているが、城があった当初もここが大手であったと思われる。


urugasiro24.jpg

urugasiro26.jpg

本郭側から二本目の堀切を見る。
現在、堀切は墓地への道となっているが、形は薬研堀的な形であり鋭いものである。


urugasiro31.jpg

二本目の堀切を尾根筋に沿って(墓地までの道がある)50mほど進むと三本目の堀切が現れる。
写真の道の中央あたりが窪んでいるのがわかるでしょうか


urugasiro30.jpg

道は尾根側面を通っているので気付きにくいが上を見上げると藪の中に確認出来る。
三本目は規模は小さいようであるが、道からも確認出来るので竪掘として落とされているようである。


宇留賀城は規模が小さく土豪の城の域は出ないものの、築城技術は土塁・石積み・堀切は周辺の土豪とは違うものである。
石積みは、小笠原氏のものとも積み方が違うし・・・ではだれのものでしょう?
感じ的には・・・日岐城の物に似てる気がするんですが。
日岐城の石積み・削り残しの土塁・尾根筋の堀切の大きさ・・・同じですね。
同じ築城技術をもった地域で日岐氏と宇留賀氏は連携をしていたのでしょうか?確認はできませんが・・。



追記・・・・・写真にこだわっているつもりですが・・・・今回藪が酷く・・ピントがずれた写真が多かったですよね~。。。。
ゴメンナサイ。これからはいい写真を撮るよう気をつけます。 (-.-)



~参考文献~

生坂村誌         (生坂村誌刊行会    平成9年)

池田町誌         (池田町誌編纂委員会  平成4年)

山城探訪         (宮坂 武男      平成10年)

目で見る郷土の誇り生坂  (生坂村誌刊行会  平成2年) 
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  1. 2012/06/13(水) 20:35:01|
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