長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

生坂村  中海道居館

所在地・・・・生坂村下生野                                   訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆                                     訪城目印・・・・五社宮



              ~中海道居館の歴史~

「生坂村誌」には、

下生野の下段、五社の西方、60m×60mの耕地および宅地で、現在は三方が道路により囲まれていて、

遺構は開田により消滅している。

北側に北がいと、北の屋敷、西側の犀川べりに竹の花、上段に狐田の地名がある。

東隣に郷蔵跡、北側に稲荷社、東に大日堂跡、その上に五社宮がある。

開田の時に土器が出土したといわれていて、犀川に近く古くからの渡船場もあり、

館を構えるには好適地である。

丸山氏の家臣の館であろう。としている。

が・・・遺構が無いので確認ができないのでコメントのしようがない。



                  ~居館跡の現状~

ikusakanakakaidou6.jpg

中海道居館跡の全景。(写真奥にある一番高い木があるあたり)

ikusakanakaaidou2.jpg

ikusakanakakaisou3.jpg

居館跡は現状、田んぼと民家になっていて見るべきものは無い。
居館がある台地は犀川との比高がほぼ同じであり、犀川が氾濫すれば流されてしまうような立地にある。
現在は犀川沿いに土手と水門が築かれ守られているが館があった時はどうなっていたかは不明であるが、
このような所に築かれたのは渡船場があり、渡船場と犀川を抑えるためであったろう。


ikusakanakakaisou4.jpg

これが居館の東にあった稲荷社かな?
現在もお堂が祀られている。


ikusakanakanakidou1.jpg

空き地の中央になぜか井戸が・・・ここも居館内部になるので、何かあったのかな?

ikusakanakakaidou8.jpg

居館の東側台地上にある五社宮を見る。
この五社宮は古いものであり居館があった頃もここに存在していたのだろう。


ikusakanakakaisou12.jpg

ikusakanakakaidou13.jpg

犀川の渡船場・川自体を抑える重要な役目を帯びていたこの居館の主は丸山氏の中でも重臣クラスが
ここにいたのであろう。
残念ながら遺構が消滅していてわからないが、土塁と堀をもった典型的な館であったと思われる。



~参考文献~

生坂村誌   (生坂村誌刊行会    平成9年)
スポンサーサイト
  1. 2012/06/23(土) 13:54:39|
  2. 生坂村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<生坂村  殿村 | ホーム | 生坂村  猿が城>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://osirozuki.blog.fc2.com/tb.php/72-838a591a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

ていぴす

Author:ていぴす
見に来ていただきありがとうございます。
現在の長野県内城跡訪城数は   814城です。

少しずつ増やしていきますのでお楽しみに!
写真にはこだわっていきます!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
初めまして (1)
信濃の武将 (11)
松本市 (47)
安曇野市 (33)
塩尻市 (15)
筑北村 (5)
生坂村 (36)
池田町 (18)
箕輪町 (13)
伊那市 (7)
辰野町 (2)
下諏訪町 (9)
諏訪市 (1)
中川村 (3)
駒ケ根市 (6)
ニュース (4)
廃村 (1)
伝説 (2)
本日の訪城 (14)
飯島町 (1)
武将の墓地 (4)
松川村 (3)
千曲市 (1)
南箕輪村 (1)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。