長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村  小屋城①

小屋城第1回目

所在地・・・・生坂村上生坂字万平こや                          訪城時間・・・・5分

危険度・・・・★☆☆☆☆                                  訪城目印・・・・大城万平登山口




                 ~小屋城の歴史~

生坂村誌には、

犀川の右岸山上で、万平居館跡の山頂にあり、南は犀川の断崖で、北は谷となり東は尾根を登れば京ヶ倉・

大城に通じている。居館の万平との比高さは50mである。

元禄十一年「上生坂書上帳」に「東西十三間、北南七間・城主丸山丹波守・・・・」とある。

本郭は20m×14mの長方形で、東下に10m×8m・5m×7mの小郭が二か所ある。

本郭の西下に幅4m・深さ1.5mの掘割が二条あり、30m下で合流して一条になる。

堀割の西に25m×8mと約30m登った所に6m四方の小郭がある。

小屋城からは犀川を隔てて日岐城が指呼の間にあり、大城も北に望まれる。

東の斜面下には山ノ神を祀っていて、水の手は北側の小屋沢の上流にあり、享保五年(1720)の

「万覚書」には「戌の方一町水ござ候」とある。大手は堀割から見て西の斜面であろう。

周辺の地名としては、付近一帯を「こや」というが特に西北下段の平地にはこや部落があり、

現在家はないが元禄十一年には四軒あり番兵の居住地であったのであろう。

南斜面下には城日向・城下・かまの口(構え口)、西方下に注進口・馬場先、こや沢下方のこや藪・のぞきがある。

急な尾根道を登れば大城に達し、道をよきとぎ(よき峠)と呼ばれている。

また「信府統記」の上生坂小屋ノ山古城地の項には、

「丸山丹波守持ナリ、此丹波守ハ日岐没落ノ後更科郡八幡へ行テ在住セシカ立帰リ池田興北山ノ枝村寺間ト云所ニ

テ死ス其子孫ニヤ丸山丹後ト云フ者石川玄蕃頭ニ仕ヘテ此筋郷村奉行ノ中ニ其名見ユレトモ詳カナラス」とある。

この事から丸山丹波守が普段は万平の居館に住み、戦時にはこの小屋城に入り大城へ続く尾根を守っていたものと

思われ、天正10年の小笠原氏による日岐攻めの時に大城と一緒に落城したものとされる。



               ~城跡の現状~


IMG.jpg

山城探訪の縄張り図と記憶を参考に初めて書いてみました・・・三時間かかってしまった。。。

ikusakakoya9.jpg

こや地籍から小屋城を見上げる。
小屋城は比高が低いので既に本郭と竪掘が見えている。


 ~ 掘① ~  

ikusakakoya6.jpg

城跡へは手っ取り早く堀①の竪掘を登りました。

ikusakakoya2.jpg

堀①の竪掘を斜めから見て見るとその大きさがわかってもらえると思います。

ikusakakoya4.jpg

竪掘を登って行くと上部は二股に分かれているのがわかると思います。
(縄張り図にあるように堀切①の一部のみ二股になっている。)


ikusakakoya100.jpg

掘①の尾根上部分を見る。

ikusakakoya8.jpg

犀川側は断崖絶壁なので竪掘はわずかにあるものの掘り込は甘い。

ikusakakoya5.jpg

本郭上から掘①の竪掘を見下ろす。

 ~ 郭①(本郭) ~  

ikusakakoya64.jpg

郭②から見た本郭。
掘①に続いている為、郭の壁面(切岸)の角度が急であることがわかる。


ikusakakoya66.jpg

ikusakakoya67.jpg

現状、郭①はきれいに削平されているのは確認できるが、土塁は確認できない。
(写真は、ただの籔ですが。。。(-_-;)。)
本当なら比高が低いし、堀切が掘られているのだから土を郭①の縁に盛ればいいのにそれがされていない。
比高が低いので畑にでもされ土塁は崩されたのか?でも痕跡もないし・・。
小池城・中野山城・高松薬師城などにも土塁は確認できるので技術が無かったわけではないだろうが・・
何故だろう。。。不思議だな~。


ikusakakoya65.jpg

郭①にある生坂村様の定番説明板を見る。

ikusakakoya68.jpg

郭①の東側(掘②側)の切岸を見る。

ikusakakoya11.jpg

郭①から日岐城を見る。
現在は樹木が邪魔で良く見えないが、城が使われていた時は木が伐採されていて良く見えていたことだろう。


~ 堀②周辺 ~ 

ikusakakoya17.jpg

堀②周辺は藪になっていて確認は難しいく、なんとなく認識できる程度である。
この写真は、郭①と堀②の間にある腰郭である。
(手前の木が立っている所が郭であり、奥に郭①の斜面が見えている。)


ikusakakoya12.jpg

ikusakakoya15.jpg

堀②を見る。
藪の為に写真を撮るのも難しいが、現状堀の深さは20~30cm程度と浅くなってしまっている。


以上、郭①(本郭)周辺を紹介してきました。。。。次回は西側尾根筋の城域を紹介していきたいと思います。

お楽しみに。
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  1. 2012/06/29(金) 03:32:46|
  2. 生坂村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

縄張図、いいですねえ~

いいじゃないですか、3時間の傑作。

最近はyahooとかGoogleの地図も等高線があるので、まずはそれを拡大コピーして印刷。その後スキャンしてペイントのソフトで余計な記号や表示を消しゴムで消すとベースの縄張図台帳になるので、あとは実測や記憶、当時のメモなんかを辿って重ねて縄張図を完成させていく・・・そんな作業を繰り返すと慣れて早く仕上がります(笑)

小屋城は本郭に辿りついて玉砕しました。
京ヶ倉と大城を縦走して万平までの平地を歩いて戻るという無謀な強行軍でまともに見る事など不可能でございました。
貴殿のブログの続編をみて学習するとしますか(爆)
  1. 2012/07/03(火) 21:21:17 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 縄張図、いいですねえ~

> いいじゃないですか、3時間の傑作。
>
> 最近はyahooとかGoogleの地図も等高線があるので、まずはそれを拡大コピーして印刷。その後スキャンしてペイントのソフトで余計な記号や表示を消しゴムで消すとベースの縄張図台帳になるので、あとは実測や記憶、当時のメモなんかを辿って重ねて縄張図を完成させていく・・・そんな作業を繰り返すと慣れて早く仕上がります(笑)
>
> 小屋城は本郭に辿りついて玉砕しました。
> 京ヶ倉と大城を縦走して万平までの平地を歩いて戻るという無謀な強行軍でまともに見る事など不可能でございました。
> 貴殿のブログの続編をみて学習するとしますか(爆)

らんまるさん、いつもコメントありがとうございます。
なるほど~みんなそうやって作ってるんですね。
知りませんでした。。。。(゜-゜)
勉強になります。
またご教授お願いします。
  1. 2012/07/03(火) 22:23:19 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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