長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村  日岐殿屋敷

日岐城第3回目は、日岐城関連遺跡

日岐城主の居館跡の殿屋敷です。 

所在地・・・・生坂村裏日岐北陸郷                            訪城時間・・・・0分

危険度・・・・★☆☆☆☆                                  訪城目印・・・・水鳥公園



                 ~日岐殿屋敷~

生坂村誌によると、

裏日岐の平地(40m×60m)で犀川が最も屈曲している先端にあった。

東と北は犀川となり南と北西は峡谷で、西は日岐城の山麓で背後に氏寺の正福寺跡があり、

尾根道を登れば数百mで日岐城に達っし、犀川の対岸の山にはこや城がある。

「信統府記」に「横三十間、長十八間、東ニ土手アリ横ニ間長十間、南土手横一間、長十五間、南向ノ屋敷ナリ」

とあり、寛政元年(1789)「池田組明細帳」には、

「東西土手形有り東方廿五間。堀形城地、東西五十間程、南北三十間程、当時畑ニ成、丸山肥後守居住・・・・」

とある。

土手は昭和20年頃まであったが開田により消滅した。北隣の犀川ベリには的場があったがダムに水没した。

屋敷の北端には氏神の日岐社跡があり、矢竹が群生する。

その上段は日岐氏氏寺の正福寺跡で、墓地には日岐氏一族の五輪塔がある。

殿屋敷に隣接してホリ、松葉、ツイジ下、郷蔵があり、南方の犀川断崖沿いに直路と番所屋敷がある。

なお、開田の際に土器や茶臼片が出土したというが、所在不明である。とある。

また、現地の説明板(館跡の看板裏)には、

日岐城の東方、裏日岐に在り横三十間、長十五間で近くに的場・水汲街道等の地名が残っている。

古くは高根主膳正のち生駒河内守・松平出雲守が居館したと推測され、丸山肥後守もこの館に住し、

明応中、正福寺を開基したという。

この人は日岐村に居住せし故に上生野・小立野・下生野・上生坂・日岐ののすべてを日岐大郷と唱えた。

屋敷の地が昭和20年頃、開田されその折に屋敷の礎石が数多く出土し今も田の中に埋められている。

とある。

(現地の説明にある高根主膳・生駒河内などは信府統記の日岐大城の項に出てくるがどうなのであろうか?

日岐城・大城を総称して日岐城といっていたという文献もあるので、信府統記の日岐大城はこの日岐城も

含まれていたと考えこの殿屋敷にも高根氏や生駒氏がいたと書かれたのであろうか)



                 ~殿屋敷の現状~

hikitonoyaskinawabari1.jpg

生坂村誌に記載されている「切図」。

hiki tonoyasiki

殿屋敷周辺の図を書いてみました・・・・・この図を参考に見て下さい。(微妙ですが・・・(-_-;) )

tonoyasiki2.jpg

殿屋敷から見る京ヶ倉(日岐大城の物見台)

tonoyasiki4.jpg

こちらは・・殿屋敷の犀川対岸にあるこや城

tonoyasiki5.jpg

生坂村誌にある的場はこのあたりであろうか?
(的場は殿屋敷の北隣でダムに沈んだとあるのでこのあたりであると思われる)
 


tonoyasiki7.jpg

日岐殿屋敷の看板とブドウ畑になった殿屋敷を見る

tonoyasiki8.jpg

看板の裏にある説明(なにが出典なのでしょう?) 

tonoyasiki6.jpg

殿屋敷を見る

tonoyasiki21.jpg

正福寺跡から見下ろす殿屋敷と役場跡

tonoyasiki19.jpg

「切図」でいう松場(的場?)から正福寺跡がある段丘上を見る。 


tonoyasiki23.jpg

殿屋敷から続く大手道を見る
(現在は日岐城遊歩道となっていて殿屋敷~正福寺~日岐城へ行ける)


tonoyassiki16.jpg

tonoyasiki18.jpg

日岐殿屋敷とは関係がないが近世になってもこの地が中心となっていた証拠の遺跡として
この陸郷役場跡と高札場・郷蔵跡がある。


tonoyaski13.jpg

tonoyaski11.jpg

tonoyasiki10.jpg

tonoyasiki9.jpg

近世役場になった地もかつては殿屋敷に隣接していたので何かはあったとは思われるが・・・
と思い周辺を探してみました。


tonoyaskiki14.jpg

tonoyasiki15.jpg

役場跡の裏の田んぼの中心にある井戸を発見!
まあ。。役場に関係するものだろうけど・・・・館があった時も使ってたかも。
なんて想像しながら写真を撮ってました  (*^^)v


tonoyasiki12.jpg

役場跡から見た日岐城。 

殿屋敷いかがでしたか?
いかがでしたかって聞かれても何も残ってないのに困るって聞こえてきそうですが。。。。
中世の典型とされる在地領主の根小屋式山城としては貴重な存在であり、破壊されてしまったことは残念である


次回の4回目はやっと日岐城をお送りしたいとおもいます。
なお、日岐城は2~3回に分けて細かく書いていきたいと思います。


~参考文献~

生坂村誌           (生坂村誌刊行会   平成9年)

信州の山城          (信濃史学会     1991年)

山城探訪 補遺資料編 中南信版 (宮坂 武男  )
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  1. 2012/07/14(土) 17:26:19|
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コメント

水鳥公園懐かしい

何か毎回コメントしているとストーカーのようで恐縮です(笑)

信州新町の牧之島城に立地がとてもよく似ているのですが、晴信さんは於の地を捨て置いたのは残念です(汗)

「守るに易く攻めるに難し」という立地条件なので、貞慶さんの軍も相当難儀したようですねえ。
あっさりと負けずに意地を張りとおして貞慶をやり込めた功績がお家存続の極意なんでしょうか(笑)
  1. 2012/07/16(月) 21:33:59 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 水鳥公園懐かしい

> 何か毎回コメントしているとストーカーのようで恐縮です(笑)
>
> 信州新町の牧之島城に立地がとてもよく似ているのですが、晴信さんは於の地を捨て置いたのは残念です(汗)
>
> 「守るに易く攻めるに難し」という立地条件なので、貞慶さんの軍も相当難儀したようですねえ。
> あっさりと負けずに意地を張りとおして貞慶をやり込めた功績がお家存続の極意なんでしょうか(笑)


らんまるさん、いつもコメントありがとうございます。
というか、らんまるさんからしかコメントをいただけていないので、
とてもありがたいです。  元気がでます。

丸山氏が生き残ったのはやはり裏で小笠原氏を支援していたからではないでしょうか。
まあ二股工作ですが・・・裏切りものの中でも同じような行動をした二木氏も
存続しているので。。。。貞慶さんには二股でもありがたかったのでしょう。。
日岐氏が生き残ったのは。。。たぶん丸山氏に気を使ったのではないでしょうか。
  1. 2012/07/17(火) 02:29:27 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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