長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村  日岐城①

日岐城第4回目はやっと本城の日岐城の紹介です。

所在地・・・・生坂村日岐                         訪城時間・・・・殿屋敷から20~30分

危険度・・・★★☆☆☆                          訪城目印・・・・生坂ダム・水鳥公園

別 名・・・・日岐小城



                ~日岐城の歴史~

日岐郷周辺の領主に関しては「信府統記」の「日岐大城」の項に城主日岐盛慶としていて、日岐城も盛慶と

されているので日岐城・大城の両方を総称して日岐城としていた可能性がある。

「信府統記」に記載されている高根主膳・生駒河内などは「日岐大城」の項にあるので日岐大城の時に書きたいと

思いますので、今回は戦国時代の日岐盛慶の時代から紹介します。

戦国時代、生坂地方は日岐氏・丸山氏の領有するところとなっていたが、明応年中(1492~1500年)頃に

大町の仁科明盛の子、盛慶が丸山氏に婿に入って丸山肥後守を称し日岐城を構築して本拠とした。

または、前期の高根主膳時代の城を改修して使用した可能性もある。

「丸山系図」によると盛慶から兵庫頭盛高・丹波守盛次・丹波守盛武などが天正18年〈1590)まで約100年続いた。

天文17年武田氏侵攻により本家の仁科氏が武田氏に降ると丸山氏も武田氏に降った。

武田氏統治下の30年間ほどは平穏であったが、天正10年〈1582)3月に武田氏が滅亡すると織田氏が統治し、

6月からは上杉氏が支配した。7月になると徳川氏の支援を受けた小笠原貞慶が深志城に復帰すると

武田氏侵攻時に裏切った豪族の攻略を開始した。

これにより日岐城の右岸にある日岐大城の城主織部佐盛直は6月に上杉氏の元へ逃れ、残った日岐丹波守盛武が

生坂谷を守っていた。

(生坂村誌では大城主盛直は6月に上杉氏の元に逃れ稲荷山城主(千曲市)となったという説があるが、盛直が

稲荷山城主となったのは天正12年(1584)で松田氏を名乗った時であるとし、天正10年にはまだ日岐にいて

上杉方として抵抗していたのではないか。としている。)

小笠原貞慶は8月8日頃より盛武を攻め13日には小笠原氏に降っている。

日岐盛直は盛武が小笠原氏に降ったことを聞き一族を率いて大城に来て盛直を説得し上杉方にさせている。

上杉景勝はこれを喜び盛直に感状を8月22日付で与えている。

これを聞いた小笠原貞慶は再び日岐攻略にかかり8月29日付けで島立大学・犬飼半左門に日岐大城の攻略を

命じている。「岩岡家記」に深志口赤岩(明科?)、牧の島口、貞慶は平井出口の三方から攻め、本隊は

とわり橋のつめで競り合い、日岐衆を追い崩し、犀川渡河戦では攻めあぐんでいる。

またこの戦いの中で岩岡織部の馬の口取り人足が鉄砲で撃たれていることが書かれていて、日岐方に鉄砲が

あったことがわかる。

小笠原貞慶の本隊が9月7日に出馬している。

日岐城の落城は9月8日頃であったと考えられていて日岐城攻略に約1ヶ月かかったことが分かる。

なお9月8日頃の日岐城落城の日岐城は大城・日岐城の総称と考えられるので8日の落城は大城の方と思われ

日岐城はもうちょっと前ではないだろうか。。

(この日岐城の攻略戦に関しては資料により違いがあり素人では断定出来ないので、大まかな書き方とした。)



                  ~日岐城の現状~

hkisiro.jpg

拙い縄張り図ですが。。。参考に説明していきたいと思います。 (-。-)y-゜゜゜ 


~ ①大手道脇の郭 ~

hikisiro1.jpg

正福寺跡から大手道を登り、馬場跡とも考えられる広大な平地を越え現在遊歩道になっている大手道を登ると
左側に一段高く広い郭が見られる。


hikisiro2.jpg

hikisiro3.jpg

この郭は大手道を登る人を監視する番所のようなものと思われる。
なおここには写真にあるようにこの城の水の手の一つとされる「はす池」がある。
現状は水は少ないが周りを土塁状に高まりがあるのでかつてはもっと水がたまっていたのであろう


hikisiro87.jpg

①の郭から見た北尾根の郭と堀切を見上げる。
大手道は北尾根と郭①で挟まれるように通っているので北尾根も大手道を守る一部であったと思われる


~ ②物見台 ~


hikisiro4.jpg

 ①の郭を通り過ぎ大手道が尾根上に着くと東側に物見台・西に三の郭への分岐がある。
まずは東の物見台へ階段を登って行く。
 


hikisiro5.jpg

hikisiro6.jpg

登りきると櫓台と思われる幅広の高まりと平場、段郭が見られる物見場に着く。 

hikisiro10.jpg

櫓台上からそれを囲む平場を見下ろす。
(写真に見える柵の外側に段郭がある)
 


hikisiro7.jpg

hikisiro8.jpg

物見台北側斜面にある段郭を見る。(物見台ながら立派な砦の造りになっている)

hikisirp9.jpg

物見台から見る下生坂方面
(現在木が茂りここより三の郭などの方が景色が良いのが悲しい)


今回はここまで。。。。。すみません説明が長すぎて。。。。。あまり進みませんでした。

次回は、③三の郭から紹介していきますのでお楽しみに!
  



~参考文献~

生坂村誌     (生坂村誌刊行会   平成9年)

信州の山城    (信濃史学会     1993年)

信府統記復刻   (国書刊行会     平成8年)

池田町誌     (池田町誌編纂委員会 平成4年)

信濃古武士    (丸山 楽雲     平成21年)

山城探訪     (宮坂 武男     平成10年)
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  1. 2012/07/15(日) 10:08:17|
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