長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村  日岐大城①

要害堅固なること仁科四十八城中第一と称せり! 

所在地・・・・生坂村下生坂大城山                危険度・・・・★★★☆☆(登山道による)

訪城時間・・・眠峠口(2時間)・林道終点口(1時間)・万平口(?)・はぎの尾峠口(1時間30分)



               ~日岐大城の歴史~

 「東筑摩郡誌」 の日岐大城址の項には、

「本城の平東西八間・南北六間、二の郭長十間・幅六間、北方に冷泉あり。

稍、下りて三の郭長四五町・幅二町許中間に巨岩あり、物見岩と稱す。

南は険崖、東は大澤、其の規模宏大にして要害の堅固なること仁科四十八城中第一と稱せり。

古昔、高根主膳正城を築き生駒河内守が城代となす。大永の頃は仁科明盛の二男盛慶が城主たりしが、其の後

九鬼にありし丸山肥後守、仁科に属し日岐六郷の地を領して此の城に居り其の子孫兵庫・丹波相続して小笠原家に

属せり。小笠原長時亡後甲軍來り攻む。丹波守出で降る。小笠原貞慶深志を復するに及び其の年九月兵を進めて

囲み攻む。丹波城を致して越後に遁れしが翌年來りて貞慶に従い奮領を食めりという。」とある。

また、 「信府統記」 の日岐ノ大城の項には

「高根主膳トカヤ云ヒシ人領地ノ時、此城ヲ築テ生駒河内ト云フ者ヲ城代トセリ其後中絶シテ大破二及ヘリ、

大永ノ頃仁科氏六代弾正少弼平明盛ノ二男盛慶ト云ヒシ人ヲ當城ノ主トセリ其後、潮山中村ノ中九鬼村二アリシ

丸山肥後ト云フ者二日岐六郷ヲ仁科ヨリ賜ハリテ再ヒ城ヲ修覆セリ同兵庫丹波ナト云フ者相續ス丸山ハ平氏ナリ

信州二住シテ幾代ニヤ詳ナラス小笠原へ属セシ時、丹波守 武田家ト戦テ没落セリ甲州ノ手二入テ降幡備前ト云フ

者二賜フ此者ノ落着分明ナラス」とある。

「信府統記」と「東筑摩郡誌」の違いは丸山氏が平氏であるとしていることと、降幡備前が武田氏により日岐大城

を与えられていることであり、その他はおおむね同じである。

丸山氏は平氏とする説は、生坂村の丸山地籍は丸山氏発祥の地とされると共に平氏の落人伝説があるのでこのあた

りでこの説が発生した可能性もある。(これを裏付ける資料は昭和初期に丸山地籍で一番古く資料が残っていた家

が火災にあい資料すべて焼失してしまい確証がとれないという話を地権者の方から聞くことができた。)

降幡備前については、他の資料では丸山氏と武田氏の直接の戦いは無かったとするものもあり、本当の所はわから

ないが、仁科本家が武田氏に降ったのでそれにならって丸山氏も降ったのではないかと考えられている。

そうすると戦う前に降った丸山氏の領地を移動させ新しい領主を入れる必要があったのか疑問でもある。

しかし、安曇野市の九鬼には降幡備前の墓と称するものがある(後世のものとする説あり)ので備前は実在した 

可能性は高いのでなんらかの伝承に残るような出来事はあったのであろう。

この日岐大城は、深志を回復した小笠原貞慶に天正10年に攻められ日岐小城など周辺の関係城と共に落城

している。(詳しくは、カテゴリの武将で、丸山氏・日岐氏をご覧下さい)



              ~日岐大城の現状~

大城への多くの登山道(峠)

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現在の大城への登山道は、眠峠口・林道終点口・はぎの尾峠口・万平登山口があり、一番早く登れるのは、
林道終点口である。
この林道は大城がある山の尾根上まで車(普通車可)で行ける為に他の登山道より1時間程度短縮できる。
(林道は上に行くほど広くなっており終点や林道の途中などに駐車スペースがある。)


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林道の途中にある眠峠登り口を見る。

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眠峠の登山道途中には石仏があり昔は多くの人々が通っていたことがうかがえるが。。。登りはかなり厳しい!

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こちらは林道終点口で、駐車場完備で尾根上なので楽でした。。。

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この林道終点口からの道は地元の方による整備が行き届き歩きやすい。
こちらも途中には石仏がある。


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この眠峠は、眠峠登り口から登り、尾根上を林道終点口へ向かい林道を少し歩き入地方面に下るルートであったようで、現在もたどることができる。
大城があった頃も主要な生坂から坂北・大岡に抜けるルートであったのであろう。 


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はぎの尾峠は、眠峠と物見岩の中間あたりを通過している峠で、下生坂方面と入山地籍を結ぶ重要な峠であった。
こちらも登るのは大変なようであるが、資料によってはこの峠が大城の大手ではないかとするものもある。
はぎの尾峠の入り口と沢を挟んだ尾根には源三屋敷が存在する。

万平から京ヶ倉への登山道は今回登ってはいないが、説明板によると、
武田軍が使用していた道であり、尾根上は狭く4つある登山道の中で一番危険な道なようである。
この尾根は万平の居館からと小屋城から続く尾根で居館と城を結ぶ重要な道であった。


  「信府統記」・「東筑摩郡誌」記載による三の郭  

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東筑摩郡誌には、三の郭長四五町・幅二町許中間に巨岩あり、物見岩と称す。
信府統記には、三ノ郭ハ北ノ方ニアリ大キナル平ナリ今ハ草生ヲ原ノ如シ大概長四五町横ニ町とある。


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この場所は眠峠登り口を登りきった尾根上にあり、信府統記・東筑摩郡誌が云うようにここが郭であるならば、
位置的に眠峠を見張る為の郭となり、広さ的には居住区ともなる。
ただ、歩きまわったが、水場は確認できなかったし、本郭とされる場所からは約30~40分の距離があり、
ここを城内とするには無理がある。。。ただ物見岩のような感じで物見・番所のような施設は考えられる。


物見岩

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はぎの尾峠と大城中心部の中間にある物見岩である。
眺めがよく周辺の城も見ることができる。  
 


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物見岩からは正面に高津屋城が見え、後方には池田町の北山城などが見える。(奥は池田町である) 

oosiro26.jpg

物見岩からは戦時の居館跡とされる源三屋敷も見える。

さあ、いかがだったでしょうか?
今回は峠や登り口などの説明でほぼ終わってしまいましたが、次回こそは城の中心部をお伝えしていきたいと
思っています。

なお、日岐大城は3回に分けてお伝えする予定です。お楽しみに。



~参考文献~

生坂村誌    (生坂村誌刊行会   平成9年)

信府統記復刻  (国書刊行会     平成8年)

東筑摩郡誌   (信濃教育会     1919年)

山城探訪    (宮坂 武男     平成10年)
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  1. 2012/07/29(日) 09:49:23|
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  1. 2012/07/29(日) 18:17:16 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

ご参考までに。

こんばんわ。
小生の恩師であるマサハレ殿(城と古戦場というHPの管理人)が生坂村の丸山巡りについて、以下のHPをご紹介してくださいました。
http://blog.livedoor.jp/urayamaex/

入山について記事を記載しているのと、コメントを記載している方に注目ですね。我々が訪問した矢殿という地籍は認識されている事実です。
丸山地籍は間違いなく忘れられた廃村であり、そこを訪れたいと思うマニアの羨望の場所でもあるわけです。
我々は生涯でも貴重な体験をしたみたいですよ(笑)
入山にある神社と分校跡・・・制覇してみたいものです。
  1. 2012/07/29(日) 21:16:44 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 名無しさんへ

文章の漢字は辞書で調べて下さい。
勉強になりますよ。
またコメント待ってます。ありがとう。
  1. 2012/07/29(日) 23:24:23 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

Re: らんまるさんへ

らんまるさん、コメントありがとうございます。
また、お疲れさまでした。
丸山へ行けたのはラッキーでしたね。
誰もいけてない所へ行けたという優越感いいですね。
入山の廃校・神社。。。矢本(確かこの地名、話の途中で聞きましたね)
制覇してみたいものです。
本当に廃墟探訪マニアになってしまいますね。
  1. 2012/07/29(日) 23:31:29 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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