長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村  日岐大城③

長々と日岐大城についてお送りしてきましたが、ついに最終回です。

今回は、本郭と京ヶ倉について書いていきます。
  


hikioosiro.jpg

この図を参考にご覧ください。


~ ⑤本郭 ~ 

oosiro58.jpg

二の郭から見た本郭の切岸。
これも自然地形を利用したものなのだろうか?
二の郭から見ると巨大な壁のように見え圧迫感がある。
  


oosiro59.jpg

本郭(山頂)を見る。
本郭は二段になっており上の郭?は写真のように削平されておらず自然地形のままである。
傾斜があり、狭い為に大きな建物を建てることは出来なかったと思われるが、
櫓程度の物を建てて、入山渓谷沿いの道などを監視していたのだろうか? 


oosiro61.jpg

本郭の上の段と下の段を分ける段差(約1m程度)を見る。
この段の作成意図としては、下の段に小屋を建てる為に自然の斜面を削ったのもと思われる。
 


oosiro49.jpg

本郭下の段を見る(スミマセン。。。時期が違う写真です)
写真を見てわかるように、下の段はまあまあきれいな平地となっており小屋をたてる程度の広さを確保している。
あと、上の段・下の段と書き段差があるとしていますが、郭の半分を段差・半分をスロープのようにしています。
下の郭と郭を分ける段差は明らかに加工されていることが分かるが、その他(スロープなど)は自然地形
のままと思われ城としては全体的に加工度が低いものと思われる。
 


oosiro48.jpg

本郭にある説明板。
井戸が見たかったな~。。。。。もっと勇気があれば・・・・ (>_<) 


~ 本郭からの眺め ~ 

oosiro50.jpg

この日岐大城の根小屋とされている万平の台地を見る。 
oosiro51.jpg

入山渓谷と筑北村の岩殿山系を見る。(仁熊城の険しさも実感できる。)
いつか。。。。行きたいものです。
 


oosiro53.jpg

旧入山部落跡も見下ろせます。
この建物は現在、子孫の方が小屋を建てているそうです。(屋号は矢本だったかな)
 



~ 京ヶ倉 ~ 

oosiro63.jpg

大城から京ヶ倉へはこの細尾根を歩いていきます。(約20分程度でしょうか) 

oosiro66.jpg

京ヶ倉にある説明板。
どこかの説明板に武田軍が京ヶ倉~大城~眠峠経由で進軍したとあったが。。。。。。無理だろ!
って思っちゃうほど狭いし、大軍だったら何人落ちるかな?っていう想像しか湧きません。


oosiro69.jpg

oosiro70.jpg

京ヶ倉の山頂は意外に平坦で小屋掛けが出来る広さがあることにビックリである。
ここに何人の物見が詰めていたのだろう。。。。夜はヤダナ。。 (-_-メ) 


oosiro71.jpg

京ヶ倉の石碑と大城を見る 

~ 京ヶ倉からの眺め ~ 

oosiro65.jpg

やっぱこれ! 大城です。険しさが伝わるでしょうか? 

oosiro67.jpg

あとは。。定番の日岐小城と生坂ダム!・・・木が邪魔だ~。 

kyougakura21.jpg

高津屋城から見た大城・京ヶ倉の遠望。 

最後に・・・・最初の説明内の記述についての追記。 

最初の日岐の領主で大城を築いたとされる高根主膳正について、大城には関係ないのですが信府統記にあったので書いておきます。

「高根主膳正舘ノ内に入部シテ居住景雲元年三月朔日卒ス玉主院殿道圓大居士ト號ス
一説玉主八幡ト祠ルト云々」とある。 


また、名鬼にいたとされる丸山肥後については、
「平氏ノ族小松三位重盛第四ノ子ト云當国二落チ下リ山中名鬼ト云フ所二住セシ人ノ末孫丸山肥後ト云者」
とある。

一応、気になったので書いておきました。
降幡備前については後で書きたいと思います。 


以上、3回に分けてお送りしてきた日岐大城いかがだったでしょうか?
城の遺構などが少なく自然の地形を利用した城なので見るべきものは少ないが、歴史的な意味としては
重要な価値があると思います。
地元の方の努力によりきれいな状態で管理されているのでみなさんも登って歴史を感じてもらえたらうれしいです。 
 

最後に整備されている地元の方に感謝です。 

*参考文献は第1回目に記載
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  1. 2012/07/30(月) 12:53:06|
  2. 生坂村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

険しさの記憶が甦ります

昨年の秋に縦走して討死寸前だった記憶が鮮やかに甦るような写真でございます(笑)

仁熊城は青柳城の監視砦として機能していたので攻めたいと思いつつ遭難しそうな場所にあるので躊躇しております(汗)
先日の丸山攻めの前に生坂村へ向かう道路脇に登り口の案内看板があるのを見て驚愕しました(笑)
恐らく城跡には説明板か標柱がありそうな予感です。(それも凄いなあ・・)
葉が落ちたら共同戦線での攻城戦は如何でしょうか?
  1. 2012/08/03(金) 07:43:56 |
  2. URL |
  3. らんまる #-
  4. [ 編集 ]

Re: 険しさの記憶が甦ります

> 昨年の秋に縦走して討死寸前だった記憶が鮮やかに甦るような写真でございます(笑)
>
> 仁熊城は青柳城の監視砦として機能していたので攻めたいと思いつつ遭難しそうな場所にあるので躊躇しております(汗)
> 先日の丸山攻めの前に生坂村へ向かう道路脇に登り口の案内看板があるのを見て驚愕しました(笑)
> 恐らく城跡には説明板か標柱がありそうな予感です。(それも凄いなあ・・)
> 葉が落ちたら共同戦線での攻城戦は如何でしょうか?


らんまるさん  いつもコメントありがとうございます。
仁熊城の件喜んでお供させていただきたいです。
いつも見上げてあの険しさに。。。。。心が折れていた所でした。
らんまるさんが居れば心強いです。
いつでもお供のお声掛けお待ちしています。
それにしても案内看板があるなんて知りませんでした。。。。。
よほどの変人しか行かない城に案内板があるなんて。。。。
すごいですね。(関心!!!!)
  1. 2012/08/03(金) 17:27:31 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2012/08/04(土) 18:52:24 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 山頂は景色がいいね~ 生坂ダムがあったとは知らなかった・ それだけ山登りしてれば足腰鍛えられるからマラソンいけるねぇ~金さん・



コメントありがとう!
マラソン無理です。
  1. 2012/08/04(土) 23:05:37 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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