長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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生坂村  丸山殿屋敷


所在地・・・・生坂下生坂村丸山                         訪城時間・・・・丸山集落から10分

別 名・・・・こうぼうさま               



               ~丸山殿屋敷の歴史~

「生坂村誌」の丸山殿屋敷の項には、

下生坂丸山北方1㎞の地で地滑りの為に地形が変わり、昭和39年約330平方mの畑と

660平方mの原野を残すのみである。

丸山氏発祥の地と伝える。(丸山益延)とある。

また、「信濃古武士」には、

日岐大城城主丸山氏は、桓武平姓仁科氏で、仁科盛忠の弟、盛光を日岐六郷に封じ、

丸山地籍に居館して丸山氏を称す。とある。

この二つの資料を合わせると、丸山地籍の殿屋敷は仁科氏から分かれた丸山氏が最初に居館を

築いた場所である。ということになり、丸山地籍の伝承の中に、平家の落人伝説があり、

仁科氏も平家とされていること、また、丸山の地が山々に囲まれていていかにも隠れ住む場所

というような立地などを考えると仁科の一族が戦いに敗れてこの丸山に落ちてきて丸山氏を

名乗ったというのは想像出来そうであるが。。。。

また、「東筑摩郡誌」の丸山氏ノ邸址の項に、

生坂村字丸山  日岐大城の南、二十町許に殿屋敷と称し約百坪の平地あり。

口碑に往昔 丸山肥後守が居館のありし所なりといふ。ともある。



                ~殿屋敷の現状~

maruyamachizu.jpg

(国土地理院 2万5千分の1地図使用)

maruyama5.jpg

丸山殿屋敷を見る。
殿屋敷は訪牧場跡(以前は畑)の急斜面に所在し、現在、遺構の確認は出来ない。
ただ、説明にあるように崩落により遺構が消滅しその斜面を利用して畑や牧場を造ったとも考えられる。 


maruyamatonoyasiki2.jpg

訪牧場跡にポツンと立つ木がある、ここ周辺が丸山殿屋敷である。
丸山の集落があった頃は、この木ではなく一本の松が立っていて麓に祠があったらしい。
集落では「こうぼうさま」と呼んでいたとのことである。
ここが丸山氏発祥の地となるのであろうか? 
 


maruyamatonoyasiki5.jpg

この殿屋敷は、丸山氏発祥の地とされている割に集落はすべて井口氏であり、丸山氏は存在しなかったようだ。
地権者の方に聞いた話では、そのような話は聞いたことがあるが古文書を持っていた一番古かった家が火災に
合いすべての古文書を焼いてしまいこれを裏付けることが出来ないらしい。

関係はないが、この家が火災に合い焼失した時に周りの家は「うちだけ残るのは申し訳ない」ということで
消火をせずに周りの家も焼いてしまった。という話があるらしくこの集落の絆の強さがうかがえる。


maruyamatonyaskii7.jpg

枯れてしまった松の痕跡。祠の痕跡は確認できなかった。
この殿屋敷を訪れて感じたことは、殿屋敷の位置である。
殿屋敷の存在する場所は、丸山集落が上段にあり集落から続く斜面の中段にあることである。
通常、領主であれば逆に集落を見下ろす位置にあってもよさそうなのに逆に見下ろされる位置にあることである。
そう思うと。。。平家の落人伝説である。
この丸山集落の人々がのちに丸山氏を名乗る人を匿っていた。。。。とは考えられないだろうか。
そうであれば集落の人々は井口氏でもいいわけで。。。


maruyamatonoyasiki10.jpg

想像では、この後に丸山氏を名乗る人(高貴な)が住んでいた場所は、集落からは見下ろす位置にあるが
周りは山に囲まれさらに集落がある高まりがあるおかげで周囲からは隠れて見えない。
更に三方はこの深い沢に囲まれていて守るには有利な立地である。
その後、この丸山氏を名乗る人が日岐に進出して勢力をもつと、この館があった場所は神聖な場所として
祠が祀られたのではないだろうか?(城跡にもよく祠が祀られることが多い) 


以上、殿屋敷を訪れて感じたことを書いてみました。
あくまで想像・感想なので史実に沿っていないかもしれないが、この地にいてこのように感じたしだいである。

今回はこの集落出身の地権者の方により行くことが出来たが、標柱・説明板などこの地の歴史を表すものが
ないし、あくまで私有地で関係者以外訪れない場所である為、中々伝わることが無いと思われる。
県内によくある山間の廃村と同じでこの場所も忘れられていく存在であることが悔やまれる。

このブログによって少しでも伝えることの手助けになれば幸いであるし、関係者はその努力をしなければいけない
と感じる次第である。
早期の対策が望まれる。

~参考文献~

生坂村誌    (生坂村誌刊行会   平成9年)

信濃古武士   (丸山 楽雲     平成21年)
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