長野県の歴史を探し求めて

長野県内にある城跡・石造物などを探し求めそれらを紹介していきます。

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池田町  白駒城①

所在地・・・・池田町会染                                 訪城時間・・・・0分

別 名・・・・白駒の城・白駒山城・白熊城                            危険度・・・・★☆☆☆☆

訪城目印・・・・登波離橋



                  ~白駒城の歴史~

 「信府統記」 には、

「(前略)(源)義重ノ息ノ内一人宇留賀殿ト称ス又犬養ノ家へ養子トナリシ人アリ、即此宇留賀殿二ヤ別人二ヤ

俄二シレス手塚太郎カ子ヲ三郎兵衛ト云フ白駒ト云フ所ノ城二置ケリ(後略)」

とあり、白駒城主を手塚太郎の子 三郎兵衛であるとしている。


また、 「池田町誌」 の白駒城址の項には、

「本村(池田町村)より東三十二町の距離のあたりにあり、池田山白駒ノ城址、東西十四間・南北八間なるあり。

城主詳らかならずといえども袖山上野介の守る所なりと、里人の口碑に伝う。

其年暦に至りては更に知るべきなし。」とある。


さらに詳しく伝承などが書かれている資料に 「信濃池田町史話」 というのがあり、

その中に白駒城の項がありそれによると、

池田町に残されている城では白駒城が一番古い城で、この城が築かれたのは鎌倉時代と考えられている。

妬割の伝説で有名な樋口行時、兼時とも言われていて後に袖山上野介という武士が居たという言い伝えがある。

北安曇郡誌には、「鎌倉時代 仁科義重に臣樋口兼時の拠る所なりという」とある。

この仁科義重が鬼無里の安吹屋へ落ち延びた時の家臣に樋口次郎・手塚の太郎・山田次郎などがあり、この内の

手塚の太郎の子に三郎兵衛という人があって、この人に白駒の城を下されたということが安曇開基という資料に

書かれている。

白駒城主をまとめると、樋口行時(兼時・行晴とも言われている)、手塚三郎兵衛後に、袖山上野介がなっていた

ことが分かる。

廃城の時期は、天文22年安曇郡、筑摩郡が武田領なった時との記録があるとしている。

ただ、天正10年(1582)の小笠原氏による日岐攻めの時の「生坂村誌」の記事に、

7月9日には小笠原出雲守頼貞や百束氏の援軍が穂高へ行き、穂高にいた古厩因幡守盛勝、渋田見源助ら旧仁科衆

の勢力と共に軍略を練り、西口の池田から中山城・白駒城などを攻めたとある。

そうなると最後の城主は袖山上野介で天正10年に小笠原氏と戦いこの時に白駒城は落城し廃城となったと考えられ

るのではないだろうか。


しつこいようですが・・・・・

池田町誌」記載の池田町上原卓郎家文書の日岐村の項に、

「(前略)西方、白駒之城と言、袖山上野介ト言人居住之由、(丸山)肥後守隠居城とも説有之、(後略)」

ともあり丸山肥後守の隠居城という説も載せている。



                 ~白駒城の現状~

sirokomasiro.jpg


いつもながらの微妙な図ですが理解していただけたらと思います。

sirokomasiro11.jpg

道路脇にある白駒城のことをうたった俳句の碑を見る。

sirokomasiro23.jpg

城跡を破壊して通過している道路から、本郭下郭と堀①がある城域を見る。

堀①

sirokomasiro26.jpg

sirokomasiro25.jpg

堀①を見る。
現状は道路により外郭がある尾根と分断されているが、道路建設以前は尾根が続いていたので外郭と城中心部とを
区切る必要があり、その為に掘られた堀切であったと思われる。
規模的に小さく深さは1m程度である。


土取跡

sirokomasiro12.jpg

sirokomasiro14.jpg

本郭下郭には、この陶器を作る為に土を取った堀状の溝があり、看板が無ければ堀と間違えてしまう。
このように城跡では、城跡の遺構か、後世の土取や木を落とした跡や自然の荒れなど判断に悩むことが多い。


本郭下郭

sirokomasiro54.jpg

sirokomasiro51.jpg

 ①本郭下にある郭である。
現在見る限りでは、郭内は凹凸があり削平が甘く、ほぼ自然地形である。
ただ、間伐?の為の倒木が表面を覆っているし、土取跡などもある為、後世にいじられている可能性もあるが。


sirokomasiro52.jpg

間伐され放置された倒木に覆われた郭と後方に①本郭の高まりを見る。
この頃、城跡に行くと良く見られる光景で間伐をしたまま切った木を放置してしまうことが多い。
その為に城跡の詳細の観察が困難になってしまっている。


 ①本郭 

sirokomasiro67.jpg

 手作りの城跡の標柱がありがたいですね。
土地の方が城跡の存在を理解して下さっている証拠です。
 


sirokomasiro61.jpg

本郭はきれいに削平されているが土塁は見られない。

今回は、ここまで~す。
あまり長すぎると見るのも疲れますからね!

次回は、本郭周辺から紹介していきたいと思いますのでお楽しみに!
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  1. 2012/08/09(木) 04:09:06|
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  1. 2012/08/13(月) 01:31:07 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> よくわかってきたね~ 長いと疲れるからね 池田まできたね 大町を楽しみにしてます



コメントありがとう。
大町まで長い道のりですが頑張りますので、
これからもよろしく!
  1. 2012/08/13(月) 08:19:49 |
  2. URL |
  3. ていぴす #-
  4. [ 編集 ]

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